9人目
次の日、先生は練習に来なかった。
「やる気あるの?あのコーチ?」
「無断欠席とは許せませんね!」
「それよりも野球やろー!」
「今日も手袋投げて遊ぼー!」
「コーチなしに何が出来るんですかねぇ?」
「フォースの力を覚醒させることは出来る」
と先生が現れないことに不満をぶつける部員。いつも私たちが集まるよりも前にグラウンドに姿があるのに今日はその姿がない。ジャージ姿に真新しいグローブを慣らしながら待っている。なんで急に来なくなったのか。
「有紗ちゃん!先生が来ない理由知らない?」
来ない理由なんて知るわけない。連絡先でも交換しておくべきだったな。
「あ!真理子先生だ!」
「本当だ!真理子先生だ!」
珍しく真理子先生がジャージ姿で現れた。
「は~い、皆さん集合してね。今日、松葉先生は突然の腹痛にお休みだって。ということで先生が練習を見るよ。練習メニューはランニングしてアップしてキャッチボールっていういつもどおりでいいみたいだから、早速練習開始だよ!」
という掛け声と共にだらだらとみんないつも通りグラウンドを走る。私も一番後ろから追いかけようとすると真理子先生に肩をつかまれて止められる。
「綾元さんには別のお仕事を頼もうかな」
「え?仕事って?」
「松葉先生のお手伝いだよ」
手伝い?先生は腹痛で休みなんじゃ。
「昨日の公園で待ち合わせだって。よくわからないけど、綾元さんにはわかるはずだって言ってよ」
昨日の公園。観月さんの妹ちゃんと弟ちゃんが遊んでいた公園のこと。
「真理子先生は先生の嘘に付き合ったんですか?」
真理子先生は自分の唇を人差し指で押さえる。
「秘密だよ。でも、あんなに熱血な人が嘘をついて練習をサボるとは思わないよ。何かとっても大切なことがあるんだと思うんだよ。綾元さんはその大切なことをするのに必要なんだと思うの。だから、行っておいで」
後悔して欲しくない。観月さんに向けて呟いた先生の言葉だ。私は後悔した。
「すみません。真理子先生」
「行ってらっしゃい。くれぐれも松葉先生のことを好きになっちゃダメだよ。異性として」
「し、しませんから!」
一瞬だけ顔が熱くなる。着替えることなくジャージのままグラウンドの脇にあるフェンスの穴から学校の敷地を飛び出して昨日の公園へ目指す。
女の子だから野球は出来ないって言われて決め付けられて野球に消極的になっていた。でも、女子のプロ野球もあるし高校生も大会がある。そしたら、私はもっとたくさんいろんな人と野球を出来ていたかもしれない。野球をやろうって勇気を出していれば今のチームみたいに人が集まったかもしれない。後悔がある。観月さんもやりたいことがあるのにそれを押し殺している。それはたぶん後悔する。先生はそれをわかっていたんだ。だから、嫌われることを知った上であんなことを昨日言ったんだ。
閑静な住宅街を飛び出して昨日のスーパーが見えてきた。それから少し車どおりの多い通りを車の切れ目を見つけて渡って公園を目指す。わいわいと騒がしい声が聞こえる。公園は昨日と同じように小さな子供たちで一杯だった。手を膝において息を整えながら先生を探す。すぐに見つかった。
「悪い奴はゴーレンジャーレッドが倒してやる」
「ハハハ。貴様程度の力では俺様を倒せまい」
「正義は最後に勝つんだ!」
「ならば試してみよー!」
「とりゃー!」
「ぐはー!」
「先生何やってるんですか?」
先生はいつも練習で着ているジャージ姿で男の子とじゃれあって遊んでいた。
「ていうか、その子観月さんの弟ちゃんじゃないですか!」
「そうだ」
「おにーさんは邪悪海賊デスカーンだよ!」
「そうだ!俺様はデスカーンだ!」
「ワハハハ!」
ノリノリで楽しそうですね。
昨日は観月さんをいじめるなって叩かれてたのに、昨日の敵は今日の味方って感じだ。先生は弟ちゃんと仲良しになってしまっている。
「カズ。あまり服を汚さないでよ。お洗濯が大変でしょ」
ジャングルジムの上で見下すように妹ちゃんの姿もあった。
「アイねーちゃん!ピンチだよ!助けて!」
「ハハハ。ゴーレンジャーレッド!貴様の力はその程度か!」
「まさか、ダークレディから力を得ているとは!」
え?私?
「そうだ。俺様の力はダークレディがいなければない等しいのだ~」
なんでこっち見るの?何期待してるの?ごっこ遊びに付き合っていられないよ。
ちょっと、弟ちゃん。なんでそんなウルウルした目でこっち見てるの?なっちゃんみたいなことするのは恥ずかしいよ。こっち見ないで。なんでだんだん萎れていくみたいに笑顔を失くさないで!泣きそうにならないでよ!私が悪いみたいじゃん!……えーい!やればいいんでしょ!やれば!
「オーホッホ!そうです!私がダークレディ!デスカーンの力の源であり!美の象徴ですわ!」
「あんた何やってるの?」
冷めた目で観月ちゃんが見ていた。
ふっと周りを見れば誰もいなくて閑古鳥が鳴いていた。先生は妹ちゃんと弟ちゃんと三人仲良く砂場で遊んでいる。まるで私がひとりいたいことをしているみたいで、顔が爆発しそうなくらいに恥ずかしくなる。同時に怒りが湧いて脳みそが沸騰しそうになる。
「先生の!アホー!」
思い切りとび蹴りを食らわせる。
「ぐはぁ!」
そのまま三人で作った砂山に顔面を突っ込む。
思い知ったか!
「何してるの?」
「べ、別に私はダークレディとかじゃなくてね……そう!もうすぐ、学園祭でしょ!演劇やることになっちゃったからその練習を!」
「学園祭は10月じゃない?」
現在、5月。まだまだ、先のお話。
「ち、違うから!別にそういうのが好きとかそういう話じゃないらからね!」
「あのね!」
押さえつけられるような言い方に気圧される。
「あたしが言いたいのはあたしの妹と弟と何をやってるのかって言ってるのよ?何がしたいわけ?あんたたちは?」
顔面を砂山に突っ込んだままの先生が砂埃を上げながら復活する。顔や髪に付いた砂を払いながらこっちを振り返る。
「ミキねーちゃんはとってもソフトボールが上手だって教えてくれた。家に帰ってくるといつもソフトボールのことばっかり話してくれた。いつもソフトボールのことばっかりで遊んでくれなくて寂しかったけど、試合に出てるミキねーちゃんはかっこよかった。アイちゃんとカズくんが教えてくれたよ。相当なソフトボールバカだったみたいだったな」
形相を鬼のように変えて持っていたバックを投げ捨てて先生の胸倉を掴む。
「それ以上口を開くようなら舌をハサミで切り刻むわ」
私ならごめんなさい。許してくださいって謝って逃げてしまうところだ。でも、先生は負けなかった。負けず見下すように観月さんを下で見る。
「何よ!その目!」
「お前。今のままで満足か?」
「満足って何が?」
息を荒くしながら先生を押し倒す。先生は咳き込みながら立ち上がる。
「母親が亡くなったのは1年半前。父は出張族で家には滅多に帰ってこない。幼い妹と弟の世話をするためにソフトボールを辞めた。苦渋の決断だった。そうだろ?」
観月さんは握りこぶしを作って先生を思い切り殴った。先生は頬が真っ赤にはれる。二日連続で観月さんに叩かれているけど、臆することなく真っ直ぐ観月さんを見つめる。
「今のがミキの答えだな」
「名前で呼ぶな!気色悪い!」
「ミキはソフトボールを続けたかった。昨日、言葉でも聞いたそして今気持ちでも知った。ミキはソフトボールに未練がある」
「あるわけないでしょ!無駄だと思って辞めただけよ!勝手にあたしのことを詮索するな!」
「嘘だ。仕方なく辞めたんだ。この子達のために」
妹ちゃんと弟ちゃんが先生と観月さんの間に入ってくる。
「お姉ちゃん、あたしはお姉ちゃんが出てる試合に行って応援するのがすごく楽しみだったんだよ。お友達にお姉ちゃんの自慢をいっぱいしたんだよ。試合に出て活躍してるんだって」
「ねーちゃんはかっこよかったよ。ピンチになったらチームを助けるねーちゃんに僕憧れたんだよ」
「もしも、あたしたちのせいでソフトボール辞めちゃったなら、どうすればまたやってくれるになるの?お手伝いすればいいの?」
「もう、わがままも好き嫌いもしないから。かっこいいねーちゃんに戻ってよ。いまのねーちゃんつまらなさそうなんもん」
ふたりのために好きなことを辞めた。でも、それをふたりは望んでいなかった。その事実に気付かされた。導いたのは先生だ。こうなることをどこかで先生は予想していた。だから、今日ここにいる。
「ずるいわ。ふたりにそんなこと言われたらあたしの決心が揺らぐじゃない」
「そうだろ?俺も同じような手段を有紗にやられた」
「これもあんたの仕業?」
違うから!と慌てて首を振る。
「はぁ~、あたしはこう見えて忙しいのよ。スーパーの特売がなくて夜ご飯も昨日の残りのおかずと冷凍ご飯があってふたりでも用意できる。そういう日なら練習に参加してあげてもいいわ」
それは紛れもない本人から得た女子野球部入部の承諾だった。
「ありがとう!ミキちゃん!」
「だから!名前で呼ぶな!抱きつくな!鼻水が汚い!」
そんなことを気にならなかった。これでようやく9人で野球が出来る。そのうれしさが爆発した。野球は女の子がやるスポーツじゃないって言った男の子に見せ付けてあげたい。こんなに野球をやってくれる女の子がいるんだってことを。
「それよりも松葉先生だっけ」
「俺か?」
「知りたいことがひとつあるのよ」
「なんだ?」
「あんた怪我をしてプロの道も絶たれてそれでも野球を続けてるのはなんで?」
「好きだからだ」
さも当たり前のように答えた。
口元で笑みを浮かべながらバカねって呟いた。優しい言葉だった。
「じゃあ、もうひとつ。なんでピッチャーにこだわったのよ?肩壊した時点でもっと別の方法で野球を続ければよかったじゃない」
私も気になっていたことだ。野球が好きなら続けられる道を模索することも出来た。でも、先生は肩の怪我を押してピッチャーを続けた。野手に転向すれば先生はこんなところで腐らずに野球を続けていた。
「そんなの決まってる。真正面から立ち向かって三振を奪って悔しがる打者を見るのが快感だったからだ」
始めて聞いた。
「ド変態じゃない」
「勝手に決め付けるな!でも、今はちょっと監督って言うのも興味があるんだ。ちょうどいいんだ。今が」
「そう。そういう自分に素直なところ嫌いじゃないわ」
ミキちゃんは初めて私に敵意剥き出しの眼をしなくなった。
「まぁ、明日からよろしく。えっと」
「綾元有紗です!女子野球部のキャプテンでピッチャーです」
「どうも、観月ミキよ。ソフトボール部のときはファーストとキャッチャーをやってたわ。勝手が違うかもしれないけど、戦力に慣れたらうれしいわ」
こうして9人目の部員がやってきた。私はこれで野球が出来る。その感動をずっと覚えておこう。人生最高の喜びを。




