無駄な理由
「来ましたね」
「来たな」
制服に着替えて先生と元に校門の影から観月さんを待っていると観月さんが校門から出てきた。グラウンドのほうを見ながら帰りを急ぐように早足で帰路に着く。グラウンドのほうを見るということはやっぱり観月さんの中で野球をやりたい気持ちがあるんだ。でも、それを邪魔しているものがある。今日はそれを追いかける日だ。
グラウンド脇を通って駅とは逆方向へと歩いていく。私とは帰る方向が逆だ。
先生は原付を学校においてふたりで観月さんのあとをつける。閑静な住宅街を抜けて少し車どおりの多い通り沿いに出る。歩行者専用の横断歩道を渡る。その後をばれないように慎重につける。すると観月さんはその横断歩道から近いスーパーへ入っていった。
「ここ安いんだよな」
「そうなんですか?」
「有紗はこの辺に住んでないんだっけ?」
「学校からバスと電車を使って1時間半かかるところに住んでます」
まぁ、私は食料品とか買ったことないからどこのスーパーが安いとかあまりわからない。
スーパーに入っていった観月ちゃんは卵をカートに入れて野菜を入れて割引されているお魚を入れて三パック買うとお得なお肉を三パック入れて、お母さんみたいな買い物をしている。
「見た目と違って家庭的な子なんだな」
試食のソーセージを食べながら陰から観月ちゃんを追う。
「おいしそうですね」
「試食って匂いに釣られてつい手をつけちゃうよな」
その気持ちわかります。
結局、女子高生が買いそうなお菓子もジュースもカゴに入れることなくお会計へ。ふたつの袋にいっぱいに詰まった買い物袋をぶら下げて少し車どおりの多い通りを歩いていく。その後を追う。再び閑静な住宅街に入ると公園が見えてきた。小学生くらいの子供たちが元気いっぱいに遊びまわっている。そんな公園に観月さんは入っていく。
するとブランコで遊んでいた女の子と男の子が元気よく観月さんのほうへと駆けて行った。
いつも不機嫌そうな表情をしている観月さんが笑った。
「妹さんと弟さんですかね?」
「かもな。あの子にもあんな顔をする時があるんだな」
なんかほっこりする一面を見て和んでいるところに私たちの尾行を邪魔する子達が現れる。
「あれ?」
「あれれ?」
「有紗ちゃんと!」
「松葉先生!」
「え?」
「はぁ?」
私たちは思わず振り返るとそこにはアイスバーを片手に手をつなぐ神野ツインズがいた。高校生にまでなって姉妹で手をつないで恥ずかしくないのかなって思う前に今、このふたりに会うのは不味い。
「なにしてるの!」
「練習が早く終わって何やってるの!」
「もしかしてデート!」
「禁断の恋!」
「そんなわけないでしょ!ふたりとも!」
「でも、有紗ちゃんならありえなくないよね~」
「野球好きな男の人好きそうだし~」
「松葉先生そこそこかっこいいし」
「そうそう。そこそこかっこいい」
「それは褒めてるのか?」
そんなことよりも!
「私はべ、別に先生のことなんか好きなじゃないし!い、いや、別に先生のことが嫌いなわけじゃなくて、その、野球選手としては尊敬してますし、好きですよ。でも、先生のことを好きか嫌いかといわれたらどう答えたらいいのやら」
「有紗は何が言いたいの?」
私にもわかりません。
「あんたたちこんなところで何してるわけ?」
背中から刺されたみたいな声に私と先生は肩を震わせてゆっくりと振り返る。神野ツインズのせいで尾行は完全に失敗した。
「校門からずっとつけてるけど、何か用?」
尾行なんて最初から失敗してた。
「お姉ちゃん。この人たちは誰?お姉ちゃんのお友達?」
と観月さんの妹らしき子が観月さんに尋ねる。
「友達じゃないわ。ゴミよ。近づくと臭くなるわ」
ひどくない?
妹弟も鼻をつままないで。別に臭くないから。
「観月さん。その子たちは観月さんの妹と弟かい?」
「そうだけど、何?忙しいから帰るわ。いくわよ」
観月さんの手招きで私たちの横を通って行く。
「観月さん!なんでソフトボールをやらないんだ!」
急に声を張って先生は尋ねた。その声に驚いたのは私よりも観月さんのほうだ。振り返らず足早になる。その理由はすぐにわかった。
「お姉ちゃん。また、ソフトがやりたいの?」
妹ちゃんが素朴に思った疑問。観月さんはそれに答えない。
「ねーちゃん?」
弟ちゃんも不思議そうに観月さんを呼ぶ。
ため息をついた観月さんは足を止めて振り返る。
「やるわけないでしょ!あんな無駄なもの!時間の無駄よ!あたしは忙しいのよ!それにあんたはあたしを野球部に入れたいんでしょ!なんでソフトボールを辞めたなんて訊くわけ?意味わからないんだけど!」
私にもわかった。観月ちゃんはなぜか焦っている。この場の早く執着させて帰ろうとしている。その違和感を先生はいち早く感じとった。
「なんで観月さんはソフトボールも野球も時間の無駄なんだ?教えてくれよ」
「いやよ!」
鋭い眼光に私は後ずさりしてしまう。たぶん、踏み込んで欲しくない領域に私たちはいるんだ。これ以上踏み込んだら観月さんにどんな目に合うか分からない。
「先生、今日はこの辺で」
と私の制止を無視して観月さんを追う。
「せ、先生」
「なんかやばそうだ!」
「逃げろー!」
神野ツインズ逃亡。
そもそも、見つかったのはふたりのせいなのに!それ以前に見つかってたんだっけ?
「着いてくるな!ストーカー!」
「なんで逃げる?あれだけ強気の君が何で逃げる?」
「うるさいわね!いいから帰れ!」
「俺は帰らない。君がなぜソフトボールをやらないのか理由を聞くまで」
今にも買い物袋に入っているものを投げつけてきそうだ。歯を食い縛って鬼の形相で睨み続ける。私は怖過ぎて漏れそうなんだけど、先生は屈しない。重圧の中で戦い続けたピッチャーだけに精神力は本当に惚れ惚れする。
「なんでソフトボールをやることが無駄なんだ?なぜ、無駄な時間なんだ?何がそんなに忙しいんだ?」
深追いしすぎだ。止めないとダメだって思った瞬間、観月さんは両手に持っていた。買い物袋を置いて大またで先生の下にやってきて平手で先生を思い切り叩いた。パシンという音が鳴り響く。先生は唇を切って血が出る。先生の目は驚くことも怯えることもなく観月さんをじっと見つめ続ける。
「あんたに何が分かるわけ?何も知らないゴミ野郎が!あたしだって……あたしだって!」
初めて私たちに見せる感情。ぽつんと落ちる一滴の涙。泣いていた。
すると先生の足元で何かが突進してきた。それは弱々しくて先生はびくともしない。犯人は観月さんの弟ちゃんだ。
「ねーちゃんをいじめるな」
声を震わせながらまた先生にぶつかってくる。
「ねーちゃんは僕らのためにがんばってるんだ。いじめるなら僕が許さないんだから」
足を震わせながら先生の前に立ちふさがる小さな戦士。
先生は落ち着いた声で再び尋ねる。
「観月さん。君はなんで野球をしたくないんだ?」
「……無駄だから」
「そんな答えを知りたいんじゃない。本当の理由はなんだ?」
観月さんはしゃがみこんで買い物袋の中身が無事なのを確認して拾い上げて立ち上がる。
「松葉先生だっけ?マジでうざいわ。肩と肘をぶっ壊して何のために野球を続けてるわけ?あたし以上に無駄なことをしてるって自覚してる?」
「してる!」
「じゃあ、なんで野球を続けてるの!」
「野球が好きだからだ!わかりきったことを訊いてるんじゃない!」
真っ直ぐな答えに思わず言葉を失う。私にも先生みたいに真っ直ぐに言葉をぶつけることが出来ていればもっといろんな人と野球が出来たんだろうと思う。
「観月さんはソフトボールが好きか?」
「…………好きよ!好きだったわよ!」
驚きと観月さんの叫びに鳥肌がたった。私と同じだったから。
「でも、仕方ないでしょ!この子達の面倒はあたしがみないと!誰がみるのよ!部活なんてやってたら……無駄なのよ!本当に無駄!」
観月さんは逃げるように帰っていく。妹ちゃんと弟ちゃんもその後を追う。先生と私は追いかけることはしない。初めて観月さんは教えてくれた。から本当に野球部に参加してくれない理由。幼い妹と弟の面倒を見ないといけないから。
「先生。やっぱり無理ですよ。観月さんを野球部に入れるのは。別の子を探したほうが」
「いや、観月さんには野球部に入ってもらうぞ」
「どうしてそこまで」
確かにソフトボールをやっていたことは大きいけど、探せばうちの学校にもソフトボールをしたことがある子くらいいるかもしれない。その子を探したほうが早い。でも、先生は。
「今のままだと観月さんは絶対に後悔する。俺は後悔して欲しくない」
自分の壊れてしまった肩をおさえながら呟く。




