七、前向きな心を
水の壁の向こう側を魚達が泳いでいる光景はとても不思議な感じで、一行はつい見入ってしまいそうになり、その歩みはゆっくりです。
「……メリル、やっぱり妖精の力って、何度見てもすごいね……」
そんなとき、ふと、サラがそんな感想を零しました。
「うん。……でも、だからこそ、妖精さん達と仲良く出来る私たちがこの力を間違ったことに使わないようにしないとね」
「そうか……、そうだね、私もそう思う」
「大丈夫だよ、メリル。私たち妖精はそういう人間の心の色みたいなものが分かるから、悪い人とは仲良くならないよ」
「そうそう、オイラだって、メルやサラが良い子だって分かるからこそ、仲良くしてるんだぞ」
ちょっと深刻になったメリルとサラに、アミィとユイルがフォローを入れます。
「そうなんだ、それなら安心かな。……でもやっぱり、人の気持ちって色々に変わるから、それに甘えないようにしないと」
「ま、オイラ達を無条件で見たり話したり出来るメリルがちゃんとそう考えられる奴なら、オイラ達も安心だ」
そんな一行の会話に聞き耳を立てていたクーアが、興味をかき立てられたのか、くるっと向き直り、質問をしてきました。
『メリルが私たちと話せるのは、特別なんだ?』
「うん、お母さんの家系が昔から星霊樹を護っていたみたいで、私が妖精さんと話したり出来るのはそのせいみたい」
「そうだったの?!」
アミィは、一番付き合いの長いはずの自分も知らなかったことに、思わずそんな驚きの声をあげてしまいますが。
「……実は、私も知ったのは最近なんだ。仲良くする妖精さんが増えて、ヒルダさんから家族のことを聞いて、妖精のことや家族のこと、他にももっと色々なことを知りたいと思って、まずはお父さんの部屋にあったノートとかを思い切って読んだの。お父さんのことを考えるのって、ずっと避けてたから、今までは部屋にも殆ど入らなかったけど、知らんぷりしていても過去が変わるわけじゃないから」
メリルは少し照れたような苦笑いでアミィにそう答えました。
「……メリルは色々と考えててすごいね。私はまだ自分の周りのことしか考えられてない……」
そんなメリルを見ていたサラは、ちょっと寂しそうにそう零します。
「私だって、結局は考えてるのは自分のことばかりって気はするけどね。まだ勉強も始めたばかりで、精霊のことも知らなかったし……。でもサラは、そのサラの周りのメルちゃんの為に、こうやって行動してるじゃない。上手く言えないけど、それって凄いと思うし、きっとサラにとって大切なことだと思う。だから今は、メルちゃんを元気に出来る妖精さんを探すことに集中しよう?」
「うん、ありがとう、メリル」
そんな会話をしながら、いくつかの足場を超えて、いよいよ一行は精霊の居るという場所に辿り着こうとしていたのでした。
精霊の住処の手前には、大人でも泳いで渡るのは難しそうな、急な流れが行く手を遮っていました。
しかし、妖精達が力を合わせると、嘘のように流れが治まり、これまでと同じように道が開きました。
その道を進みきった最後の足場は、入り口の辺りと同様にしっかりと石材で整備されていて、特別な印象を与えます。
そして、正面には立派な石の扉。メリルやサラが力を合わせてもびくともしなさそうな、重厚な扉です。
ですが、扉の上方にある隙間から水の妖精達が中へ入っていくとすぐ、扉はメリル達を歓迎するかのように簡単に、音もなく内側へと開いたのでした。
「ようこそ、可愛い新たな友人達」
部屋の中へ足を踏み入れたメリル達を迎えたのは、そんな透き通るような優しい声。
その声の主は、とても綺麗な人間の大人の女性に見えましたが、よく見ると、髪の毛などが水面のように揺らめいて見えます。
「……あなたが、水の精霊様ですか?」
「ええ、そうです。精霊になる前は名を持っていましたが、今はありません。なので、気軽に水精霊ちゃんと呼んでね」
「……え? えっと……、私はメリルです。その、よろしくお願いします、……水精霊ちゃん」
もっと威厳のある精霊の姿を想像していたメリルは、思いがけずフレンドリーな様子に面食らい、挨拶も辿々しくなりましたが、当の精霊はそれを気にする様子もなく微笑んで、むしろ律儀に水精霊ちゃんと呼んでもらえたことを喜んでいる様子でした。
「あ、私はサラです。よろしくお願いします、その、……水精霊ちゃん?」
「ええ、よろしくね、メリル、サラ。人間のお友達は本当にとっても久しぶり。凄く嬉しいわ。そちらの二人の妖精はこの子達と仲良くしているのね?」
「あ、はい。オイラは土の妖精ユイルです」
「初めまして、水の精霊様。私はアミィです。その、力は……、まだ使えません」
「あら、力のことなんてその内どうにでもなるから、気にする必要は無いわ。そんなことよりも、あなた達も私を水精霊ちゃんと呼んでくれて良いのよ?」
「えっと、それは……、その、オイラ達は、なあ?」
「……うん、何というか、ちょっと抵抗が……」
「あら残念」
ちっとも残念そうではなさそうにそう言う水の精霊は相変わらず優しげに微笑んでいます。
そんな様子を見たアミィは、自分の力のことを“そんなこと”と言われたことが、本当にその通りのように感じてきて、ちょっと気持ちが軽くなったような気がしたのでした。
「クーア、ユスティを呼んできて」
メリル達の目的を聞いた水の精霊は、側に控えていたクーアにそう告げました。
『はーい、分かりました』
クーアはそう簡潔に答えて、扉の外へ向かいました。
それを見送った水の精霊は、メリル達に振り返り、口を開きます。
「あなた達が来てくれたことは、あの子がまた元気になるきっかけになるかも知れないわ。まだ結果も出ない内に言うのもなんだけど、ありがとう、って言わせてね?」
「ええっと……?」
「ふふっ。いきなりそんなこと言われても分からないわよね。……そうね、これから来てもらうユスティの話を聞きたいかしら?」
「はい、私たちが聞いても良いのなら、お願いします、精霊様」
「…………」
メリルの返事に、でも水の精霊は何かを期待するような眼でメリルを見つめて微笑みを浮かべるだけで、ただ黙っています。
「? ……!! ……えっと、お願いします、水精霊ちゃん」
「そうそう。それじゃあ、お話しさせてもらうわね」
そんな風に、ちょっとお茶目なところを見せた水の精霊は、だけどすぐ真面目な表情になって、ゆっくりと語り出しました――。
ユスティという妖精は、特別な水を作ることの出来る力を持っていました。
その水は、人間の生命力を強くして、怪我や病気の治りを早くする効果がある――はずでした。
事実、その時までは確かにその効果があり、ユスティの姿を見ることの出来ない人間達からは決して感謝されることは無くても、人間が元気になる姿を見ることはとても嬉しく、ユスティは自分の力を誇りに思っていたのです。
ところが――。
ある日、島の北端に、東の方から小さな船が流れ着きました。
その船に乗っていたのは、三人の人間。その内の二人は既に事切れていました。
だけど、残る一人はとても衰弱してはいましたが、まだ息がありました。
その場に居合わせたユスティは、自分の力でその人間を助けることが出来る幸運に感謝し、早速自分の力で作り出した水を、その人間に与えました。
その人間は、突然口元に宛がわれた水に驚いたようでしたが、喉が渇いていたのか、すぐにその水を飲み干しました。
これでこの人間は元気になる、そう思ったユスティはしばらく見守ることにしましたが、一向に元気になる様子がありません。
それどころか、時間が経つにつれてどんどん元気が失われていくようでした。
ユスティは喉が渇いたであろう頃合いを見計らって自分の作りだした水を与え続けましたが、結局、二日と持たずにその人間も息を引き取ったのでした。
それ以来、自分の力を信じられなくなったユスティは、水の聖地の奥深くに籠もり、力を使うことをやめてしまったのでした。
「――妖精の力の源は、人間の心の力。だからこそ、絶望に囚われた人間の側では、妖精の力もその影響を受けて後ろ向きの効果を見せてしまうことがあるの。ユスティのように、人間に直接作用する力なら尚更ね。だから、その時のことは決してユスティが悪いわけではないと伝えたのだけれど、そう簡単に割り切れるものではないということなのでしょうね……」
水の精霊がそこまで話し終えた、ちょうどその時、クーアともう一人の妖精が扉をくぐってきました。
「ユスティ、早速だけど、あなたに珍しい客人よ」
『クーアから聞きました。人間が、私を探してるって……』
「ええ、あなたの力を必要としてるそうなの」
『でも、私の力は……』
そんな風に水の精霊と話すユスティは、なんだかとても悲しそうな雰囲気を纏っていて。
その姿を見ていたメリルは、急に居たたまれないような心持ちがして、思わず声を上げました。
「あの! ……あ、私はメリル。あの、ユスティ、私達は、あなたが持っている人間を元気にする力を必要としているの。私の大切な友達の為に、その力を使って欲しいの。その子は、隣のこの子……サラの、妹で、病気になりやすいんだけど、最近は今までよりも治りが良くないの。だから――」
『でも!』
メリルの言葉を遮って、ユスティは突然そんな大きな声を上げます。
そして、自分を落ち着かせるように一つ呼吸を吐いて、言葉を続けます。
『……でも、私のせいでその子はもっと辛い思いをするかも知れない。もっとひどいことになるかも……。もしそんなことになれば、その子だけじゃなくて、家族や、友達のあなたも、みんなが悲しい思いをしてしまうわ……』
ユスティの言葉からは、自分の力のことよりも、その結果人間が悲しむことを恐れていることが伝わって、メリルも胸が張り裂けそうな思いに襲われますが、そんなユスティにも元気になって欲しい、そんな想いで言葉を続けます。
「あなたのことは、精霊さんから聞きました。私じゃきっと、あなたの辛さを解ってあげられないのかも知れない。それでも、私はメルちゃん……さっき言った大切な友達に、元気になって欲しいから。それに、あなたが言ったのとは逆に、メルちゃんが元気になれば、みんな、嬉しいの。それはきっと、あなただって。だから、お願い、力を貸して」
『……』
メリルの素直な言葉に、だけどユスティはすぐに返事を出来ません。
その時、サラが口を開きました。
「ユスティ、私にはあなたの声は聞こえないから、メリルよりもずっとあなたのことを解ってあげられない。でも、聞いて。あなたの力が人間の後ろ向きな心に影響を受けてしまうというのなら、私がもっともっと強い前向きな力をあなたにあげる。私が、メルに元気になって欲しいって、強く強く思っている前向きな気持ちを、あなたの力に変えて。絶対にあなたが心配しているようなことにはさせないから!」
そのサラの言葉から、そして何よりその言葉の奥、サラの心から伝わってくる力に、ユスティはとても大きな勇気をもらったような気がしました。
『……分かった。私はあなた達の気持ちを信じてみる』
そう言ったユスティの表情は、先ほどまでとは打って変わって、決然としていて、とても力強く見えて。
メリルも、伝え聞いたサラも、アミィもユイルも、そして、水の精霊や水の妖精達も、みんなみんな、ユスティがそんな姿を見せてくれたことを喜んだのでした。
「すぅ……、すぅ……」
そんな安らかな寝息を立て始めたメルを見て、メリル達はそっと、その場を離れました。
聖地から戻り、サラの家にやってきたメリル達は、メルが元気になることを強く願いながら、ユスティに力を使ってもらいました。
その水を飲んだメルは、苦しそうな様子を見せることもなく、すぐにうとうととし始め、そして、ストンと眠りについたのでした。
「良かった。あの様子なら大丈夫そう」
「うん、本当に……良かった。ありがとう、ユスティ」
『……こちらこそ……』
「ほっほ。その様子じゃと、上手くいったようじゃの」
メルの部屋から小声で話しながら出てきたメリルやサラ達に、ヨナドが声を掛けます。
「うん。……ヨナドもありがとうね」
「なに。おぬし達が元気なら、わっしらも元気をもらえるからの。お互い様じゃ」
そんな会話を交わす一同は、安心感からかみんな穏やかな表情を湛えていて、周りの空気もどこか温かで優しげです。
「ユスティ、改めて、本当にありがとう。そして、良かったら、これからも力を貸して欲しいの。……どうかな?」
サラは微笑みながら、目の前の光にそう語りかけます。
ユスティは、ここで優しい光景を目の前にして、これが自分の求めていたものなのだと、知りました。
こんな光景を見せてくれた、そして、そのきっかけになる大きな勇気をくれたサラの申し出を断る理由は、ユスティにはありません。
「……私の方こそ、ありがとう。それと……、これからもよろしくね、サラ」
サラの目の前で目映く光り、そしてサラの目にもその姿を見せた妖精は、満面の笑みでそう答えたのでした。




