三、風読みの丘で
川を渡った先は、しばらく緩やかな上り坂が続きます。
少し疲れの見えるサラに合わせてゆっくりと登っていくと、やがて、ちょっとした広場のようになっているところへ辿り着きました。
そこには――。
『やいやい! 待ちくたびれたぞ、人間達!』
「ほっほっほ。助けておくれー」
少し生意気そうな妖精と、土の檻に囲まれているにもかかわらず緊迫感のない妖精がいたのです。
「あなたが、ユイル?」
『そうだ!』
メリルの問いかけに、生意気そうな妖精は答えます。そのまま続けて何か言おうとしましたが――。
「ねえ、ねえ! メリル、メリル!」
そんな、フランが強くメリルを呼ぶ声に遮られました。
「ん? どうしたの?」
「見える! 見えるよ!」
フランが興奮した様子でそう言うと。
「うん、うん! それに、助けておくれー、って、聞こえたよ!」
サラも興奮した様子でそう続けます。
「えっ!? 二人とも、見えるの!?」
「うん、あの、捕まってる方の妖精さんだけなんだけどね」
「フランも? 私も!」
「わっしの名前は、ヨナドじゃよ。よろしくの」
「ヨナド!」
妖精の声が聞こえたのがよほど嬉しいのか、フランとサラは声を合わせて復唱します。
そんな様子を茫然と見ていたユイルでしたが、我に返ると、
『やいこら! 無視すんな!』
と、怒り出しました。でも――。
「あ! ごめんなさい!」
メリルがそう言って頭を下げると、
『え……、あ、うん、分かれば良いんだよ。別にオイラもそこまで本気で怒ってるわけじゃ……』
そんな風に戸惑うような様子を見せたのでした。
その姿を見て、この子も悪い子じゃなさそう、と思ったメリルは、思い切って聞いてみることにしました。
「ねぇ、どうしてヨナドを閉じ込めたの?」
『えっ? ……そりゃ、なんだ。お前ら、冒険しに来たんだろ? だったら、目標があった方が良いじゃん』
「私たちの為? でも何で……」
どうして私たちの為にそんなことをしようと思ったのか。
そもそも何処で私たちの冒険のことを知ったのか。
そんな疑問がメリルの頭の中に浮かび、そして、メリルの頭にある人物のことが閃きました。
「……ねえ、ユイル。もしかして、メルちゃんの花壇によく遊びに行く妖精って、あなたじゃない?」
『んなっ! な、何でそんな風に思うんだよ!』
そんな慌てた様子だけで、メリルの言ったことが当たっているであろうことは、推察できましたが。
「だって、私はあなたとは初めましてのはずだもん。だから、あなたが私たちの為に、っていうのはちょっと違うと思うし。それに、何処で冒険のことを知ったのかな? って。私たちがその話をしてたのは、サラ達の家の庭だけだもん。そう考えたら、あなたがあのときあの庭にいたのかな、って。そして、何でそこにいたのかな、って考えたら、メルちゃんに会う為じゃないかな、って、そう思ったの」
『う……』
「あなたもメルちゃんに元気になって欲しいから、私たちの冒険が少しでも面白くなるように考えてくれたんでしょ?」
『うう……』
「ね?」
『……うん』
メリルの言葉に、ユイルはなにも反論できず、結局最後にはメリルの指摘に頷くのでした。
ユイルが腕を軽く振るうと、ヨナドを閉じ込めていた土の檻はてっぺんから分かれて倒れ、そして砂となって崩れ落ちました。
「やれやれ。最後は随分とあっけなかったの、ユイル?」
『うっせやい!』
そんなやり取りの後、ヨナドはメリル達の前に歩み寄ります。
「お嬢さん方。改めまして、わっしはヨナド。空間の妖精ですじゃ。その名の通り、空間をちょいと操ることが出来ますぞ」
「メリルです。よろしくね!」
「えっと、フランです。よろしく……」
「わ、私はサラです……」
メリルは妖精との対話は慣れたものでしたが、フランとサラは先ほどの興奮も落ち着き、初めての体験に戸惑いが勝っているようです。
そんな様子を見たメリルは、先ほどから思っていた疑問を口にします。
「何でヨナドだけは二人にも見えるんだろうね?」
「ほっほっほ。メリル、おぬしがこうやって色々な妖精と知り合い、人間との仲を取り持っていけば、自ずとその理由も知れるのではないかの」
「そうなの? うん、それならもっと頑張ってみようかな……。と、言うことで……」
メリルはそう言いながら、ユイルの方へ向き直ります。
「ユイル。私はメリル。よろしくね」
『お、おう、よろしく……』
そうやってメリルに笑いかけられたユイルは、最初の強気も何処へやら、少し照れたように答えるのでした。
その後、全員と意思疎通できるメリルとヨナドを中心に他愛もないおしゃべりを続けていた一同でしたが、しばらく何かを考えていたユイルがおずおずと口を開きました。
『な、なあ、メリル。その……最後はなんか盛り上がらなかったけど、メルはさ、喜んでくれるかな?』
その疑問にメリルが答える前に、口を開いたのはヨナドでした。
「それならば、ほれ、全員こっちへ来るといい」
そう言って歩いて行くのは、広場の奥の方、木々が途切れ、更に開けている場所でした。
みんながついて行くと――。
「わぁー……」
それは誰かの、いいえ、もしかしたらみんなの口から漏れた、溜息。
「……綺麗……」
眼前に広がるのは、温かなオレンジに染まる世界。
足元にはオージュ村全体が俯瞰でき、その向こうの広大な大地も、近くの鉱山や牧場も、歩けば随分遠いはずの川の姿も、ここからは眺めることが出来ました。
その光景の美しさに、みんな、言葉もなく見惚れてしまうのでした。
「どうじゃな? これならそのメルという子も喜んでくれるのではないかな?」
景色から目が離せずにいるみんなを見渡したヨナドが満足そうにそう言うと。
「はい……。でも、出来ればメルにもこの景色を見せてあげたい……」
サラがそう答えます。
「ふむ……。ならば、わっしの力をお見せする良い機会じゃな……。ではサラ。おぬし達の家はあの村の何処かの?」
そう問われたサラが、ヨナドに家の場所を教えると。
「では……。んっほい!」
そんなかけ声と共に、ヨナドの目の前の空間がパカッと開いたのです。
そして、その裂け目の向こうには――。
「私の家だ!」
その光景に、サラが思わずそんな驚きの声を上げました。
「え? もしかして、この穴を通って向こうへ行けるの?」
「もちろんじゃよ、メリル。さあ、いつまでも驚いていないで、メルを連れてきてあげなさい」
「あ、うん! さ、行こう、サラ!」
そう言ってメリルはサラの手を取り、空中に空いた裂け目に飛び込んでいったのでした。
「わぁ……。……本当に綺麗……」
そんな風に、先ほどのメリル達と同じような感想を口にしたのはメルです。
突然庭から現れたメリルとサラに驚いたり、空間の裂け目をくぐって丘の上に出たことに驚いたり、ヨナドの姿が見えることに驚いたり。
そんな驚きの連続に、体調があまり良くないことも吹き飛んでしまったかのようで、今はここから見える素晴らしい景色に魅入っています。
「……ねえ、ユイル。どうしてメルちゃんのことをそんなに気に掛けるの?」
メルの様子を見ていたメリルが、同じようにメルのことを見つめていたユイルに小声で問いかけます。
『……あの子を初めて見た時にさ、あの子は土に栄養を混ぜながら、「土さん、どうか綺麗なお花を咲かせて下さい」って、話しかけてくれてたんだ。他にもそういう人間はいるのかも知れないけどさ、オイラはそんな人間を見たのは初めてだったんだ。それは、土の妖精であるオイラにとってすごく嬉しいことで、だから、あの子にも喜んで欲しくて……』
「そっか……」
メリルはそう呟きながら、何かを考えて、そしてまた口を開きます。
「……ならさ、ちゃんとユイルの口からメルちゃんに御礼を言った方が良いんじゃないかな?」
『えっ? でも、オイラの声はきっと聞こえないよ?』
「それでも、だよ。今ユイルが言ったことを私が伝えてもメルちゃんは喜ぶと思うけど、ちゃんとユイルがメルちゃんに向かってそれを言うってことが、大事なんじゃないかなって、思うんだ」
『…………。うん、分かった。オイラも、ちゃんと自分の口で御礼を言いたい。例え声が届かなくても、気持ちは伝えたい』
そう言ってメルに近づいていくユイルの後を、メリルはなんとなく嬉しい気持ちになりながら追いかけました。
「メルちゃん」
そう呼びかけるメリルの声に、メルは我に返ったかのように振り返りました。
「今ここにね、メルちゃんが庭で見たって言ってた妖精さん、土の妖精のユイルがいるの。そして、そのユイルがね、メルちゃんに御礼を言いたいんだって。声は聞こえないかも知れないけど、聞いてあげてくれる?」
「この光が……ユイル? うん、もちろん、頑張って聞くよ。でも、私、御礼を言われるようなこと、したかなぁ?」
「メルちゃん、お花を育てる前に花壇の土に向かって、綺麗なお花を咲かせて下さい、ってお願いしたんでしょ?」
「え? 何で知ってるの!?」
「ユイルがね、それを見てたんだって。そして、それが凄く嬉しかったんだって。だから、その御礼をしたいって」
「……うん、分かった。御礼を言われるようなことじゃないです、って言うのも悪いんだよね? なら、ちゃんと御礼をもらうね」
そのメルの言葉を聞いたメリルが、無言でユイルに目配せをします。
ユイルは、その姿を見られてないと分かってはいても、つい恥ずかしそうにして、でも思い切って前に出て、そして御礼の言葉を口にします。
『その……、花だけじゃなくて、土にまで声を掛けて、大切にしてくれて、その……、嬉しかった。だから――』
その時、目の前で起こったことを、メルは、ずっとずっと忘れないでしょう。
ユイルという妖精だという目の前の光の球が、突然明るく大きくなったと思ったら――。
「――ありがとう」
人に似た姿に変わり、そして、その声も、確かにメルの耳に届いたのです。
「ど、どういたしまして……」
そう返事をしながらも、茫然とするメルの様子から、メリルは何が起きたのかを悟りました。
「メルちゃん、もしかして……」
「メリルさん……。うん、……見えたよ。……聞こえたよ」
そしてメルは、そのままぽろぽろと涙をこぼし始めたのでした。
「メル!?」
それを見たサラが、メルに駆け寄ります。
「……大丈夫だよ、お姉ちゃん。ユイルがね、見えたの。ユイルの声がね、ありがとうって、聞こえたの。だから嬉しいだけなの」
サラはそのメルの言葉に安心して、優しくメルを抱きしめました。
「……そう。……良かったね、メル」
「うん。……うん」
そうしてメルは、そのまま少しの間、サラの腕の中で嬉し涙を零し続けたのでした。
その様子を見てオロオロしてたユイルに、メリルが話しかけます。
「ほら。心からの言葉は、ちゃんと伝わったよ」
「ほ、本当に? オイラのこと、見えたって……、ええっ!?」
そこまで言って、急に恥ずかしくなったのか、ユイルは森の方へ飛んで行ってしまいました。
「あっ! ……もう、恥ずかしがらなくたって良いのに……」
そんなユイルに、メリルは苦笑いしてしまいます。
「でも……」
でも、もしかしたら。
人が妖精を信じるだけじゃなく、妖精も人間に心を開いて、そこで初めて、人間は妖精とちゃんと交流することが出来るようになるのかも知れない。
そして、ヨナドは長く生きている妖精だから、それを知っているのかも知れない。
――メリルはそんな風に思ったのでした。
そして。
「さあ、メル、帰ろう。体調は大丈夫?」
「うん。今は大丈夫」
サラとメルは手を繋ぎ、ヨナドが再び開けてくれた空間の裂け目に向かいます。
『お、おい。……その、また遊びに行くからな!』
そこへ、恐る恐る戻ってきたユイルが、もう帰るというメルに思い切って声を掛けました。
「うん! 待ってるね!」
メルは嬉しそうに返事をしますが、まだユイルの声は、特別なメリルを除けば、メルにしか聞こえないようです。
だけどメリルは、それでも大きな一歩が踏み出せたような嬉しさを胸に、その様子を見ていました。
そんなメリルに、ヨナドが声を掛けます。
「どうやら思ったよりも早く、人が妖精を見る為に必要なことに気付けたようじゃの」
「ヨナドさん……。まだ、絶対そうだって思える程じゃないですけど」
「ほっほっほ。他の子と同じで、ヨナド、と呼び捨ててくれて構わんよ。……まあ、おぬしならきっと人と妖精の関係を良い方向へ導けるじゃろ。なに、難しく考えることはない。これまで通りで良いのじゃ。さっきだって、感じたままに行動した結果じゃろ?」
「……うん、そうだね」
ヨナドの言葉に、メリルはなんとなく安心できたような気持ちになりました。
「では、そんなおぬしにご褒美じゃ」
そう言ってヨナドがメリルに差し出したのは、手のひらにすっぽりと収まるサイズの、綺麗な石でした。
「これは?」
「その石に強く念じれば、わっしにその念が届く。わっしの力が必要だと思った時には遠慮なく頼ると良い」
「うん、ありがとう、ヨナド!」
こうして、メルの為に始めた冒険は、最初に想定していたものとは大きく違ったものになりましたが、メルにとってはもちろん、メリル達にとっても、とても素敵な思い出となって幕を閉じたのでした。




