十六、希望
メリルを失う。
それはアミィにとって、とても、とても悲しいことでした。
そして、その深い悲しみの中で、ようやく自分が“時の妖精”であることを知ったのです。
自分に出来ること、そのやり方、そして、その力の凄さ故の恐ろしさまで、全てを一瞬で理解できました。
――そして同時に、メリルを助ける為に、幾度となく繰り返してきた時の記憶も、ハッキリと思い出していました。
最初は、ただ悲しみの感情に流されるままに、時を戻したいと願いました。
メリルと一緒に過ごした長い時間が、アミィの中にそれを行うに充分な力を与えていたので、躊躇う事はありませんでした。
何度も繰り返す同じ時間の中でも、起こる事は少しずつ違っていましたが、アミィがそれを知るのはいつも、メリルが倒れた後でした。
それでもアミィはその少しの違いが、メリルが助かる未来に繋がることを願いながら、時を戻しました。
その内アミィは、メリルに良くない事が起こるときに見えた光景は、覚えていないはずの記憶だったことを知り、それを新たな希望にして、また同じ時へと戻っていきました。
やがて、どんな経過を辿っても、いつも記憶が戻るのが同じ“その時”である事に、アミィは心が挫けそうになりました。
だけど、そうして落ち込んでいたところに、現れた人物がいました。
その人物は、アミィに“その先”にある希望をもたらしました。
しかし、“その先”までを何度か繰り返してもまだ、メリルが助かる未来には届きませんでした。
――だけど、今回は。今回こそは。
だから、今はアミィに出来ることの中での最善として、メリルの時間の流れを遅らせて、メリルを助ける為の時間を稼ぎます。
それから、もうすぐここを訪れるはずの人を、また今度もその通りになることを祈るように、じっと待つのでした。
その待ち人は、さほど時間を置かずに森の中から姿を見せました。
「……これは、まさか……、メリル? そんな!」
そう言って、慌ててメリルに駆け寄ったその男の人に、アミィは自分の声が届くことを微塵も疑うことなく、冷静に話しかけます。
「落ち着いて下さい、マルコスさん」
メリル以外が目に入っていなかったのか、或いは思いがけず自分の名前を呼ばれたせいか、その男の人は、驚いたようにアミィに向き直ります。
「……君は?」
「私はアミィ。メリルの友達の……、時の妖精です」
「メリルの……、時の妖精!? まさか本当に存在するとは思わなかったが……」
「でも、私が初対面のはずのあなたのことを知っているのがその証拠になると思います。私はメリルを助ける為に何度も同じ時を繰り返していますから」
「……そうか。……なら、父親として、ありがとうと言わせてもらうよ」
アミィの言葉を聞いて、マルコスは色々思うところがあるような様子でしたが、結局アミィに対しては御礼だけを口にしました。
「あなたがしようとしていた事も、あなたから聞きました。あなたは奥さん、メリルのお母さんを呼び戻す為に、それが叶わなければ、メリルが同じ目に遭わないようにする為に、奇跡さえ起こすという伝承をヒントに、その方法を見つける為に、メリルを置いて旅に出た」
「そう。妻の顔をまた見たいが為に、メリルの為でもあると自分に言い訳をして、メリルを一人にした、最低の父親だ」
「でもあなたは、その方法を遂に見つけ出した。だけど星霊樹の異変に気付いたから、急いでここに来たのですよね?」
「ああ、そうだ。だけど……、間に合わなかった」
「いいえ。少なくとも、私が知っているあなたは、まだメリルが助かる可能性はあると言いました」
そのアミィの言葉を聞いて、マルコスはメリルの様子を改めて冷静に観察します。
「……とてもゆっくりだが、呼吸をしている? そうか、君が時間を操って、メリルの消耗を遅らせているんだね? しかし……本当に君は時の妖精なんだな……」
「はい。あなたは、メリルの魂の全てまでは星霊樹に吸い上げられなかったようだから、心に力を取り戻せさえすれば、目を覚ますだろうと。でも、それは、それこそ奇跡でも起きない限り起こりえないだろうと、そう言って私に精霊珠を託してくれたんです」
「なるほど。確かに、もうそれしかメリルを救う方法は無さそうだね」
そう言って、マルコスはバッグの中からアミィでも持てるようなサイズの箱を取り出し、蓋を開けて見せます。そこには、水晶のように透明な、小さな球体が四つ、クッションに包まれて収まっていました。
「もう知っているようだが、これが精霊珠だ。各精霊の力を一つずつ込めてもらう事が出来れば、後は想いの力次第でどんな奇跡さえ起こす、はずだ。だけど、それは言うほど簡単じゃないだろう」
「あなたが不安に思っている、“想いの力”については、心配はしてません。だってメリルは、私以外にもたくさんの友達が、人間にも、妖精にもいるんだから。少なくとも、あなたが奥さんを想う力よりも、ずっと確かだと、私が保証します」
そのアミィの断言に、マルコスは驚いたような顔を見せますが、すぐにどこか嬉しそうにも見える苦笑いを見せました。
「……そうか、それはつまり、絶対に大丈夫だってことだね」
「はい」
「なら、これは君に託す」
そう言って、マルコスは精霊珠の入った箱をアミィに手渡します。
「やっぱりあなたは……」
「そんな顔をするってことは、やっぱり他の僕もやろうとする事は一緒だったのかな?」
「それは……そうです。だけど、あなたもメリルと一緒に生きる未来はないの? メリルは決して表に出さなかったけど、きっとあなたの帰りを待ってた。それなのに……」
そのアミィの言葉に、マルコスはほんの少しだけ寂しげな表情を見せましたが、すぐ毅然とした態度になって、答えます。
「僕は自分の命一つで、妻の想いも、娘のことも、娘が護ろうとした全てのものも、全部まとめて護ろうとしてるだけだ。贅沢だろう? 我が儘なんだ、僕は。元々、妻を助けたいという我が儘で、娘には寂しい思いや辛い思いをさせた。そして今また僕の我が儘でもっと辛い思いをさせるのかも知れない。でも、これが今、そんな人間が父親として出来る、ベストなんだ。大陸ではついこの間、長い戦争の歴史の中で初めて終戦を視野に入れた休戦協定が結ばれた。そんな今だからこそ、星霊樹が十分な力を取り戻せば、人を憎むことにさえ疲れ果てた人達の心に良い影響を与えることが出来るはずだ。それで戦争が本当に終われば、星霊樹の負担は軽くなり、メリルがまたこんな目に遭うこともなくなる。だから今じゃないとダメなんだ。今が、チャンスなんだよ、僕の命一つで、そんなにも大きなものを手に入れられる。……それにね、これは僕じゃなければ出来ないことだ。星霊樹に力を与えられるのは、守護者の血族と、それに縁深い人間だけだからね。守人の夫であり父親である僕しか、今、星霊樹に力を与えられる人間は残っていないんだ。……まあ、そんな訳だから、僕は、また娘に辛い思いをさせてでも我が儘を通す。済まないね。それと、ありがとう。メリルのことを、大切に想ってくれて」
「……気障ですね、あなたは」
「そうだろう? でもね、妻はそんなところも好きだって、言ってくれたんだよ」
そう言って目の前の星霊樹を見上げるマルコスの表情は、まるで愛しい人を見つめるようで。アミィは、これ以上自分が言葉を尽くしても彼の気持ちは決して変わらないだろうことを理解しました。
「そもそも僕には、妻や娘以外に奇跡を起こすほど想ってくれる人はいないだろう。だからアミィ、君の一番の目的を忘れてはダメだよ。メリルの幸せを思うあまり、僕まで助けようとして、また長い繰り返しをしても、その先に望む未来が必ずあるとは限らない。逆に、多くを求めるあまりに本当に大切なものを見失っては意味が無い。だから、今回で必ずメリルを救って、終わりに……いや、君とメリルが共にある未来を、きちんと始めて欲しい」
そのマルコスの言葉を、アミィはしっかり噛みしめて、それから力強く頷いて見せました。
「ありがとう。伝説の時の妖精が請け負ってくれるなら、僕も妻も安心できる。……じゃあ、さよならだ」
「……さようなら」
アミィは、それだけを口にして、村へ全力で飛んで戻りました。
アミィを見送ったマルコスは、メリルの傍らに跪き、メリルの両手を自らの両手で包み込みました。
そして、目を瞑り、心の中で何かをメリルに語りかけます。
その目から零れた涙は、別れを悲しんでのものでしょうか。娘の成長を喜んでのものでしょうか。
暫くして目を開き立ち上がったマルコスは、再び星霊樹に向き直り、そっとその幹に手を添えます。
そして――、
「……ただいま、レイエル」
マルコスはその身を目映い光に包まれながら、やがてその全ては星霊樹の中へ消えていったのでした。




