2話
結局、目当ての子供連れの一家を探し当てる事はできなかった。これ以上、街をうろついて不審者扱いでも受けようものなら、詰所とやらに連行されるのは目に見えている。
そうなる訳にもいかない私は、子供を二人連れた女性に話を掛けていた。子供は小学生くらいの、かろうじて善悪は理解できるであろう年頃の双子。親であろう女性は、下手に悪意は口にできないだろう。
「すみません。少しお尋ねしたい事があるのですが、お時間は大丈夫でしょうか」
心は笑ってなどいないというのに。最早、条件反射のように笑みが零れる。
「え、えぇ。大丈夫ですよ」
「だれー? しりあいー?」
「こら、失礼な事言わないの。ごめんなさいね」
「いえ、気にしてなどおりませんよ。子供は無邪気な方が可愛らしいですから」
嘘ではない。悪意に汚れる大人よりかは、よっぽど子供の方が善意を持ち合わせており、何より悪意も分かりやすい。どういった感情を持たせるかなど、容易に操作できるのだから。そんな子供という存在の中にも、『厚顔無恥』や『他力本願』な『人』も居る訳ではあるが。
「実はつい先日、この街に着いたばかりでして。麗しき水都と噂には聞いていたのですが、お恥ずかしながら名所までは詳しくなくてですね。宜しければこの街の魅力や名所などを教えて頂ければと思い、お声掛けさせて頂いた次第です」
「あら、旅人さんかしら?」
「似たようなものですね」
旅など酔狂な事をした実行した過去はないが、その立場の利便性は有り難く利用させてもらう。
「そうねぇ……。ここら辺は居住区だから、目ぼしい名所は街の反対側になるわね。一番近い名所となると歩いても結構時間が掛かるから、一度ギルド会館に行った方がいいかもしれないわ。街の地図なんかも売っていて、名所の場所も書かれているのよ」
「なるほど、そうでしたか。無知の身としては有り難い情報です。宜しければ無知ついでに、ギルド会館の場所をお教え願えれば幸いです」
「え、えぇ。ここからも見えるのだけれども、あの一回り大きな建物がギルド会館よ。道も、この大通りを道なりに進んでもらえれば着く筈だわ」
「わざわざありがとうございました。これでこの街を堪能できそうです」
「それなら良かったわ。堪能できるといいわね」
「えぇ。ではこれで」
情報の真偽はともかくとして、一応ギルド会館とやらに向かうとする。今の持ち物は皆無であり、無一文ではあるが情報を集めるにはちょうど良いだろう。不必要となった表情筋から力を抜き、目的地へと視線を固定。されど周辺視野に意識を向け、歩み始めた私は。
一瞬であった。とある『人』とすれ違う際に、心の内を覗くような、視線を晒された者が悪寒を感じるような瞳が。私を捉えていた。
しかし私は、悪寒に対して反応を見せずにただ歩き続けた。面倒事が起きると分かり切っていた為に、さっさと走り逃げてしまいたかったが、悪意を発した人物が何を思っているのか分からない以上、下手に刺激をしたくはない。
騒ぎを避ける為にも人通りの多い道を選んでいるのだから、余程の常識外れでないのならば無視している方が、安全ではある。ただ、面倒ではあるのだが。
歩けども背後に感じる気配は一向に消え去らない。どうも私の跡を追い始めたらしい。念の為に、周囲を見渡す振りをして追跡者の身なりを視認するも、魔女の仮装にはちょうど良いような、つばの長い帽子を身に付けているせいで顔は見えない。身体にも外套を羽織っており、もはや魔女そのものと言われても納得してしまうような服装であった。
目立つような服装なのだが、残念ながら同じような格好をした人がこの街には何十人、何百人といるらしい。現にすれ違った人の中にも、十人以上は魔女もどきがいた筈である。
「おい、そこのお前」
予想よりも早く関わってきた追跡者は、私の肩に手を掛け呼び止めた。勝手に触れてくる時点で不快だと言うのに、初対面の相手に向けた言葉遣いもままならないとは。論外である。
「はい、私に何か御用でしょうか?」
内に秘めたる不快感を押し殺し、悪意の欠片もないように笑顔を振り撒いた。
「お前、何で私を無視した」
帽子のつばから覗くように素顔を見せた追跡者は、意外にも少女であった。声を聞いた時点で気付いてはいたが、口調と行動からして男だと予想していたが。
「無視、ですか。そもそも私とあなたは、初対面であると記憶しているのですが。どこかで会いましたでしょうか?」
「さっきすれ違っただろう」
それを会ったと表現していいものかと、是非とも異を唱えたいものだが、反発したところで何の利点もない。
「それは失礼いたしました。何せこういった賑やかな街というものは初めてでございまして。高揚感に酔っていたようです。どうかご容赦を」
「そんな事はもうどうでもいい。それよりも何で私の殺気を無視したと聞いている」
この少女が私に何を求めているのだろうか。目的が知れない。
「殺気を向けられた理由に心当たりがありませんので、てっきり私ではない他の方へのものかと。ですがその様子では、私に向けた事に間違いはないようですが、一体何故と聞いても?」
「お前の感情に興味が湧いたからだ」
彼女の言葉を正しく認識した瞬間。
私は再度、心に鍵をかけた。
周囲に意識を割く事など中止して、目の前の外敵に神経を尖らせる。
「私の感情、ですか?」
愛想笑いは崩れていない。
声音は乱れていない。
挙動は自然体と変わらない。
よって、何も問題ない。
「誤魔化せていると勘違いしているようだが……私をあまり見くびらない方がいい。その黒い感情は隠し切れないぞ」
「さて、一体何の事でしょうか。私は至って正常でございますが」
触れさせない。何人たりとも。
「用が無いのでしたら私はこれで。あなたの言う『黒い感情』とやらが私の内に存在していたとしても、それを外に出す事はありません。有り得ません。絶対に」
確信を持って告げ、凍てついた心で笑う。その意は私に関わるなと。『人を拒絶する私』の心内を現した行動であった。
もうここに立ち止まる必要もないと、ギルド会館への道に視線を移動させた────のだが。
「チッ……ったく、これだから人間というものは嫌なんだ。おい、待て、話は終わっていない。別に私は、お前の感情がどんなものであるかは知った事ではない。むしろ歪んだ感情であるならば好都合だ」
彼女の言葉など微塵も信じてなどいないが、私の心を覗こうとしないのであれば、耳を傾ける程度の時間は割ける。
「そうでしたか、これは失礼しました。では改めて、私に何か御用でしょうか」
「単刀直入に言おう。私の僕となれ」
突飛な発言故に、相手の動きを注視し真意を窺うが、至って真面目らしい。となれば確認すべき点がいくつか挙げられる。
「……もし私が仕えるとして、あなたに何の利点があるのでしょうか」
直接的に聞いても、本来の意図は口には出さないだろうと推測しながら、思考の裏では私の利点を整理する。
「魔女の気紛れだ。お前の黒い感情に興味があったのも事実だがな。それに人手が欲しいと思っていた。巡り合わせというやつだ」
「その結果が私などとは余程の不幸ですね。魔女の僕が欠陥品では周りに示しがつかないでしょう」
「余計なお世話だ。後、卑屈になるのは勝手だが、私の前ではそれは止めろ。気分が悪くなる」
この返答はどう受け取るべきだろうかと、思考を移行させる。可能性の低いものならば、私の心の機微を察しての彼女なりの優しさ。それか街中での会話の為、世間体を気にしての優しさの見せ掛け。
だが間違いないと言ってもいい程、この二つの可能性はないだろう。会話の一端を盗み聞いた市民が、それが優しさであると気付くとは考えにくいからである。
可能性が高いものであれば、単に気分が悪くなるという本音。それか、私のあからさま過ぎる唐突の卑下に、警戒しての無難な心無い返答か。私が彼女の反応を探っていると勘付いて、その探りを止めろという警告とも考えられる。
「私は何分こういう性格でして。もし気になるようであれば、別の方をお誘いした方がよろしいかと思われますが」
「残念ながら私は諦めるのは嫌いでな。お前のそれを私の前で見せないのであれば問題ない。それと薄気味悪い笑みも止めろ。感情と表情が噛み合っていない様は見苦しい」
「これは私にとって、世を歩く為の唯一の術ですので、簡単には手放せません。あなたも同じような術はお持ちでしょう?」
「もう一度言うぞ。気分が悪くなるからそれを止めろ」
釘を刺されたところを見るに、どうも私が卑屈を演じている上、探りを入れている事には気付かれているらしい。確かではない為、違和感を抱いている程度に収まっているかもしれないが、これ以上は敵対するような真似は控えておく事とする。
「失礼いたしました。私の感情に触れようとした意趣返しとでも思っていただければ。とはいえ、私の行動は意図的なものでしたので、私が僕となる事でお許しを頂けるのであれば、喜んでお仕えさせて頂きましょう」
もちろん、心から喜んでなどいない。利点と欠点を天秤に掛けた結果の返答である。
「ふん……まぁいい。とりあえず、これ以上無駄話で時間を浪費するのは頂けない。さっさとついてこい」
ようやく、まともに意識を周囲へと張り巡らせられるようになった為、多少の安堵を覚えつつ。
不機嫌そうに歩く魔女を視線で追い掛けながら、追従する。