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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
92/115

ふたりのいつもの日曜日

 ある日曜日、僕はみゆを大学近くのカフェに連れていった。

 以前下見をした時にパンケーキの画像を送ったら、彼女はすっかり食べたくなってしまったそうだ。いつか絶対行きたいと言われていて、それが今日ようやく叶った。

 こういう機会があるからやっぱり下見の時間は必要だ。二人暮らしでもこういうのがないと彼女を驚かせたり、喜ばせたりできない。もちろんずっと一緒にいられるのも幸せなことだろうけど、離れている時間があるからこそできることもある。


「わあ、すごくおいしそう……!」

 目の前に置かれたリンゴのキャラメリゼパンケーキに、みゆは感嘆の声を上げた。

 僕はそんな彼女の様子を左隣の席から眺めている。

「うん。本当においしいから、期待していいよ」

 日曜日のお昼時、カフェはたいへん混みあっていてカウンター席しか空いていなかった。差し向かいの距離感にも慣れてきたこの頃ではあるけど、こうして隣の席に座るのもいい。

 僕らはずっと、こういうふうに隣にいたんだから。

「じゃあ、いただきまーす」

 みゆは行儀よく手を合わせた後、ナイフとフォークを手に取った。

 そしてふわふわのパンケーキを慎重に一口ぶん切り分け、それを薄切りのリンゴ、バニラアイスと一緒に口へ運ぶ。

 食べた直後の横顔がぱっと輝き、彼女はうれしそうに顔をゆるめた。

「おいしい!」

 その素直な反応がかわいくて、つい僕までつられて笑いそうになる。こっちはまだ食べてもいないのに。

「よかった、喜んでもらえて。ずっと連れてきたかったんだ」

 僕が言うと、みゆはますます表情を輝かせて応じる。

「おいしいお店、見つけてくれてありがとう!」

「どういたしまして」

 その後も僕はカウンターに頬づえをつき、しばらくの間、みゆの食べる顔を観察した。ここの看板メニューは本当に彼女の口に合ったようで、連れてきてよかったとしみじみ思うほど幸せそうに食べてくれる。

 ただ、あんまり見つめていたらさすがに気づかれた。みゆはパンケーキに夢中になっていたことに今さら気まずそうにした後、おそるおそる聞いてきた。

「篤史くんは、食べないの?」

「ああ、ごめん。食べる顔見てた」

「見ちゃだめ!」

 だめって言われてしまった。それでも見るけど、僕は盗み見が得意だから。

 ともあれ僕もお腹が空いていたし、せっかくの焼きたてパンケーキが冷めてしまうのももったいない。盗み見つつ、食べはじめることにした。

 僕が頼んだのはブルーベリークリームチーズパンケーキ。たぶんシェアすることになるだろうから、彼女のとは味が違うものを選んだ。それと甘すぎないよう、フルーツがふんだんに載ったものにした。

「こっちもすごくおいしいよ。チーズケーキみたいだ」

「おいしそう! 篤史くん、一口交換してもいい?」

「いいよ」

 僕らはお互いのパンケーキを交換しあい、食べてから感想、主に絶賛の言葉を言いあった。そんなどこのカップルもやりそうなことが、僕らにとってもすごく楽しかった。


 そう、僕らはごくごく普通のカップルだ。日本の、あるいは世界のどこにでもいて、珍しくもなんともなくて、もちろん特別ですらないふたりだ。

 僕にとってみゆは特別だし、みゆにとっても同じことだろう。ただそれはあくまでも僕らの間の認識であり、他の人から見ればそうじゃない。当たり前のことだった。

 僕らも、それでいい。二人暮らしをはじめてから僕らが過ごしてきたのは、大きな事件なんてないような、どうってことのない平穏な日常だ。でも僕らはずっと、高校時代からずっとそうだったし、その中で起きたちょっとしたさざ波を大きな事件のように感じていた。そこから今日まで僕らの間にはいろんなことがあったし、いろんなことに悩んだり考え込んだりもしたけど、振り返ってみればやっぱりどうってことのない毎日だったと思う。

 これからもそんな日がずっと続けばいい。

 あとで振り返ってみて、僕らって普通のカップルだよな、なんて思える記憶があればいい。


「でも篤史くん、すごいよね」

 パンケーキを食べ終え人心地ついた後、みゆはこちらを向いて言った。

「こういうお店見つけて、おいしいかなって調べておいてくれるでしょ? そういうアンテナ張ってるのがすごいなって」

「まあね」

 それは常に、彼女のことを考えているからだと思う。

 僕ひとりだったら『よくあるパンケーキメインのカフェ』という印象しかなかったであろうこの店も、みゆのことを考えた上で見てみたら『ふわふわスフレのパンケーキが彼女好みそうなカフェ、オレンジジュースは普通のとブラッドオレンジの二種類。店員さんの愛想もいいし、全体の雰囲気も隠れ家風で居心地よくてみゆは好きだと思う。女性客多めで食後ものんびりしてる人が多いし、混みあってても早く帰るよう促されたりはしなさそう、星三つ』みたいな印象になる。

 そういうふうに物事を見てみたら、今まで気づけなかったことも見つけられたりするものだ。

「でもみゆだって、パン屋さんを見つける技術はすごいだろ」

 僕は言った。

 彼女は仕事帰り、朝食用にとパンを買ってくることがたまにある。それが僕らの朝食をバラエティ豊かに、そしてほんのちょっと楽にもしてくれる。

「技術って言うのかなあ」

 みゆは照れて首をすくめた。

「パン屋さんはつい目に留まっちゃうの。おいしそうだし、それに買って帰ったら篤史くんが次の日の朝、ちょっと楽になるでしょ? たまには目玉焼き作りもお休みしないと疲れちゃうよね?」

「優しいな、みゆは」

 僕としては毎日目玉焼きを作ったところで負担でもないけど、でもそういう日があったら楽になるのは事実だ。ただおいしい目玉焼きトーストをふるまって、彼女を喜ばせたいという欲求もなくはないので、たまにでいい。

 僕らの毎日はたまに変わったことが起きつつも、どうってことなく続いていくのがいい。


「はあ……明日からまた仕事かあ」

 食後のオレンジジュースを飲みながら、ふと彼女がぼやいた。

 隣の席の僕を見て、苦笑いを浮かべてみせる。

「日曜日って一緒にいられて楽しいけど、月曜のこと考えちゃうよね」

「それはしょうがないよ」

 僕だってそうだ。明日からまた大学、ぼちぼちインターンシップの準備もしなくちゃいけないし、これから訪れる夏は少し忙しくなりそうだ。

 でも、僕は週末を楽しみにしている。

 ふたりでいられる時間のためなら、どんな毎日でも乗り越えられる。そしてまた彼女を喜ばせられるささやかなことを見つけたり、ふたりでメッセージを送りあったり、お互いのことを考えながら次の週末を待つんだろう。

「次のデートはどうやって過ごすか、平日のうちに考えとこう」

 僕が言うと、みゆは一度まばたきをしてから柔らかく微笑んだ。

「一緒に暮らしてると、毎週お出かけできてうれしいな」

 それに関しても完全同意。

 二人暮らしの一番のメリットは、『帰りたくない』『帰したくない』って思わなくてもいいところだ。


 そして僕らは同じ部屋に帰る。

 しっかりと手をつないで、幸せな気分で、この先にやってくる未来にわくわくしながら――それだって人から見たらきっと『普通』なんだろうけど、そういう毎日が一番いいんだって僕らはちゃんと知っている。

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