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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
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ふたりの昼休み

 正午前を狙って入ったカフェは程よく空いていた。

 僕はカウンター席の隅を陣取り、この店の看板メニューだというリンゴのキャラメリゼパンケーキとアイスコーヒーを頼む。

 初めてのお店では、素直に店のお勧めに従ったほうが外れがない。デートの下見のつもりならなおさらだ。


 二人暮らしにおいて困り事があるとすれば、こういう下調べの時間が乏しいことかもしれない。

 同棲してからというもの、土日はほとんど彼女と過ごしている。僕がバイトに行ったり、サークルに出たりということはあったけど、それ以外の外出はほぼみゆと一緒だ。そういう時の行き先は通い慣れたショッピングモールか駅前かで、それはもちろん楽しいし幸せなんだけど、時には新しいお店を開拓しておいて、『こんなお店もあったんだね!』なんて彼女を喜ばせたい気持ちもなくはなかった。

 だから時間のある時はこうして知らない店にも入ってみる。そしてよさげな場所があったら、次は彼女を連れてくる。それこそが二人暮らしの醍醐味じゃないかと僕は思う。


 三限の授業は午後一時から。十分前には席に着いておきたいなと時計を見たら、現在の時刻は十一時四十五分だった。

 それから携帯電話を確かめたら、みゆからメッセージが届いていた。

『今から休憩。今日のお昼はコロッケのお弁当だよ』

 送信時刻はついさっきだ。どうやら今日の昼休みは早番だったらしい。

 彼女の職場では十一時半、十二時半、一時半の三シフトに分かれて昼休みを取るそうで、早番の時はいいけど遅番になるとお腹すきすぎて倒れそうになると彼女が言っていた。ただでさえ彼女の職場はおいしいと評判のお弁当屋さんなので、いかに事務所勤めのみゆでも商品からあふれ出すいい匂いからは逃れられない。空腹時にお弁当の匂いばかり嗅がされるのは確かにつらそうだ。

 コロッケ弁当ということは、今日はまかないにしたんだろうな。

 僕は少し笑って、早速返信を打つことにする。

『僕もこれからお昼だよ。パンケーキにしようと思って』

 男の一人ごはんにしてはかわいすぎるチョイスかな。

 送り終えてからちょっと照れていたら、すぐに彼女からメッセージが届いた。

『パンケーキがお昼っていいね、うちにもパンケーキ弁当があったらなあ』

 そんな文面の後に送られてきたのは、まだ箸をつけられていないコロッケ弁当の画像だった。こんがりいい色に揚がっていて、添えられた真っ白いポテトサラダも魅力的だ。ご飯の上には海苔が隙間なく載せられており、たぶんその下にはおかかが敷かれているんだろう。これはこれで、十分おいしそうだけどな。

 僕も料理が来たら写真を撮って、彼女に送ろう。

 そんなことを考えていると、ちょうど店員がパンケーキを運んでくるのが見えた。


 昔と比べたら、みゆのメッセージの打ち方はずいぶん読みやすくなったと思う。

 高校時代、彼女と連絡先を交換したての頃は改行も読点も知らないのかってほど、とにかく読みにくいメッセージばかりもらっていた。長文をびっしりと一度に送ってくるから余計にだった。文字を打つのが遅い上に返事を考えるのも時間かかるから、全部の返信を家に帰ってからするようにしてる、って言ってたな。

 僕も彼女からの長くて改行もなくて読みにくいメッセージを、解読するみたいにじっくり読むのが好きだった。あとでさかのぼって読み返したりもしたな、この長文を僕のために時間をかけて打ってくれたのかと思うとすごくうれしかった。まだ片想いだった頃の話だ。

 今は、みゆから長文のメッセージをもらうこともなくなってきた。一緒に暮らしているんだから、積もる話は家で顔を合わせてすればいい。今みたいに短いメッセージのやり取りはするけど、それすら隣にいるみたいな気軽な会話が多い。

 どっちがいいという話じゃないけど――僕も結局は『どんなみゆでもいい』んだけど、時々はあの長文メッセージが恋しくなることもある。

 僕のために時間を費やし、一生懸命考えてから送ってくれた、あのメッセージは手紙みたいだった。


 運ばれてきたパンケーキを、僕は何度か角度を変えて撮影した。

 厚みのある二段重ねの上に薄切りのリンゴを載せてキャラメリゼした後、バニラアイスを添えたパンケーキだ。写真写りのよさは申し分なく、僕はそれをみゆに宛てて送る。

『これから食べるよ、おいしかったら今度は二人で来よう』

 そう伝えた後、すぐに既読がついたのを確かめてからナイフとフォークを手に取った。

 ここのパンケーキはふわふわのスフレタイプで、ナイフを入れると何の抵抗もなく沈んでいく。表面のキャラメリゼがぱりぱりしているのとは対照的で、口に入れると二種類の食感が楽しい。パンケーキ自体はちょっと甘いかなと思うこともあったけど、そこを甘酸っぱいリンゴが緩和してくれるのがありがたかった。パンケーキにはフルーツを添えたほうが絶対にいいと僕は主張しておきたい。

 半分くらい食べてから携帯電話を見ると、彼女からの返信はまだなかった。

 まだ休憩は終わってないと思うけど、向こうは職場だし、早く戻らなきゃいけない理由があったのかもしれない。あるいは休憩室に他の社員が来て、おしゃべりでもしてる可能性だってある。きっと忙しいんだろうと、僕は多少の寂しさを覚えつつも自分を納得させた。


 スフレパンケーキはふわふわと軽く、そして思いのほかおいしくて、気づけばあっという間になくなってしまった。

 けっこうおいしかったな、家で焼くホットケーキと何が違うんだろうな、これも家で作れないかな――なんてことを考えながらアイスコーヒーを飲んでいたら、思い出したように携帯電話がぶるっと震えた。

 画面を覗くと、通知にあるのは彼女の名前だった。

『パンケーキの写真すごくおいしそう~きっと絶対おいしいよ、見てわかるもん。どんな味だったか教えてね、私も今度行ってみたいし、篤史くんと一緒にごはん食べたいし。でもうちのお弁当もおいしいから、いつか篤史くんにも食べさせてあげたいな。揚げ物とかお肉が多いんだけど、篤史くんの口に合うかなあ。うちの会社の近くに小さな公園があってね、お天気のいい日にふたりでお弁当食べに行くのどうかな、なんてずっと思ってたんだけど言いそびれてた。そんなこと考えてたらすごく返信遅くなっちゃった。こんなふうにメッセージ送るのひさびさだけど、改めて読むとすごく読みにくいね。今気づいてごめんね!』

 みっちりと、改行なしで、それでも読点はちゃんとつけて送ってきた。

 読みにくい。

 でもすごく懐かしくて、みゆらしくて、気づけば自然と口元がほどけていた。僕はその文面を丁寧に、何度も何度も繰り返し読んだ。そうすることで読みにくさなんて気にならなくなるし、この長くて打つのが大変そうな返信が、何よりもうれしいメッセージになる。

 彼女の昼休みは僕よりはるかに短いのに、あの小さな手でもたもたと、それでも昔よりは慣れた感じで打ってくれたんだろう。毎日顔を合わせていても言ってなかったこと、言い忘れてたことは意外とあるものだ。文章にしてみたら思い出せること、伝えられることだってあるのかもしれない。

 みゆが一緒にいない時も僕のことを考えてるんだって、すごくよく伝わってきた。


 だったら僕も、みゆのことを考えてたよってわかるように返信をしよう。

 三限に間に合うよう店を出るまでに、ここのパンケーキがどれほどおいしかったかという克明な食レポと、今日は実は下見のつもりで、次は一緒に来たいと思ってたことも送っておこう。彼女のやり方を真似てめちゃくちゃ長文にしてみようかな。読みにくいって最初は思われるかもしれないけど、じっくり時間をかけて読んでもらえば僕の言いたいことも伝わるはずだ。

 一緒にいられない時だって、僕らはお互いのことを考えてる。

 初めて連絡先を交換した頃と同じく、もどかしい距離があったとしても、ちゃんとつながっている。

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