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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
卒業後の話
74/115

二十歳の彼女と十九の僕(3)

「お部屋探しって難しいね」

 くたびれた様子の佐藤さんが、遂にぼやいた。

 あれから駅前にある不動産屋さんを片っ端から回ってみた。といっても店頭の物件情報を見て歩いただけだけど、結局めぼしいものは見つからず、すごすご退散してきたところだった。

「意外とないものなんだね、希望の物件って」

 佐藤さんが挙げる条件が厳しいというのもあるのかもしれないけど、単身者向けの物件自体がなかなかないのが現状のようだった。

 大学など、学生が多く暮らす家賃の安い界隈にはそれなりにあるものの、それでは『通勤に便利』という条件がクリアできない。そしてそういうところのアパートは築古物件というやつで、築年数がそれなりだ。リフォームされてきれいな部屋もあるにはあるようだけど、全ての条件を兼ね備えるとなると家賃が跳ね上がる。

「ネットで探してみたら、もっといいの見つかるかもしれない」

 僕は慰め半分、アドバイス半分でそう言った。

「それか、試しにお店で聞いてみるかだね」

 不動産屋の店頭に張り出されている物件情報なんて、きっと数ある中のほんの一部だけだろう。何せあの人達はプロだ、佐藤さん好みの物件も案外たやすく見つけてくれるかもしれない。そしてこういうことはプロに任せるのが早い。

「お店でかあ……」

 そこで彼女は臆したような顔つきになる。

 こわごわといった様子で隣の僕を見返しながら、

「お店で聞いたら、後戻りできなくならないかな」

 と言った。

 人生の大決断でも迫られているかのような深刻ぶりだ。僕は笑ってしまわないように気をつけながら聞き返した。

「後戻りしちゃ駄目なの?」

「だって……」

 佐藤さんは言いにくそうに答える。

「ここでためらったら、二度と踏み出せない気がするんだもん」

「そうでもないだろ。いつだって踏み出せるよ」

 思い立ったが吉日とは言うけど、今の佐藤さんはまだ思い立っていないくらいの段階、みたいだった。大人になりたい、自立したいと言いつつも、その気持ちにいまいち確信が持てないんだろうか。もしかしたら『いい部屋』を見つけることで、それを最後の一押しにして決めてしまいたかったのかもしれない。

 僕が表情を窺えば、隣を歩く彼女は恥ずかしそうにしている。

「でも私、二度と戻らないくらいの決心がないと、すぐ駄目になりそうじゃない?」

「そんな決心の要ることかな」

「私は要ると思う。その方がちゃんと続きそうだし」

 佐藤さんの言うことはいちいち真剣というか、重い。

「やっぱり、理由が理由だから。続かないと子供に逆戻りしちゃいそうで」

「随分と深刻に考えてるね。戻ったら戻ったでよくない?」

「よくないよ。私、もう二十歳だもん」

 真面目な顔で唇を結んだ後、佐藤さんは僕に告げてきた。

「山口くん、お店の人と会う時もついてきてって言ったら、変かな」

「変じゃないよ、付き合うよ」

 僕はもちろん即答した。

 そうしないと佐藤さん、ろくに物件も見ずに話だけ聞いて判押しちゃいそうだからな。

「ありがとう!」

 途端に彼女の顔が明るく輝いた。

「じゃあその時はよろしくね、近いうちに電話してみるから」

 佐藤さんはそう言ったけど、この分だと本当に『近いうち』かどうかは怪しいものだ。何せ本人が迷っているくらいなんだからな。

 もっとも、いつになろうと、佐藤さんが望むなら僕はいつだって付き合うつもりでいるけど。

「とりあえず、気分変えようか」

 今日のところは物件も見つからなかったし。

 それならせっかくの誕生日、鬱屈と過ごす理由もない。

「誕生日プレゼントを買おうよ、佐藤さん。どこがいい?」

 僕が尋ねると、佐藤さんは遠慮がちにはにかんだ。

「じゃあ……欲しいって言うか、見たいお店があるの」

「わかった。どんな店?」


 それで今、僕はぬいぐるみにまみれたファンシーな店にいる。

「わあ、可愛い!」

 入店するなり佐藤さんは歓声を上げ、飾られていたぬいぐるみの一つに飛びついた。

 ここは駅前商店街の一角にある、ぬいぐるみだけを取扱う小さなお店だった。メーカーで作る既製品を売るのではなく、何人かの職人がハンドメイドの品を持ち寄って販売しているそうだけど、その品数と言ったら尋常ではない。この店一軒でサファリゾーンが開けそうなほど動物のぬいぐるみだらけだ。

 並んだ棚という棚にクッションみたいなふかふかの象、フェルト素材の熊、毛糸で編まれたうさぎ、挙句の果てにはダイオウグソクムシやメンダコといったレアものまでずらりと揃えられている。どれも佐藤さんみたいな女の子が『可愛い!』と叫びたくなりそうな面構えをしていて、しかしながら僕の心に特に響くものはなかった。

 店内は可愛らしいパステルカラーで統一されており、何だか甘い匂いまで漂っている。取り扱う品が品だけに、客層は九割以上が女性だった。僕以外の男はもう一人、明らかに彼女に引っ張ってこられた様子でそわそわしている少年がいるだけだ。僕は彼に、心の中でこっそりアドバイスを送る。

 ――ぬいぐるみを見ているから戸惑うんだ。ぬいぐるみを見ている彼女を見ればいい。

「見て見て、山口くん! 新作だって!」

 佐藤さんが心を奪われているのは、例によってネズミのぬいぐるみだ。

 七月の新作と銘打たれたそのネズミは、浴衣姿だった。作者によって男だと決められているのか、浴衣は渋い青の絣縞だ。

「これ欲しいなあ……」

 佐藤さんは瞳をきらきらさせながら浴衣のネズミに見入っている。

 かと思うと、その隣に置かれていた革ジャンサングラスのネズミにも物欲しそうな目を向けた。

「でも、こっちもいいなあ。今までにない系統だよね、これ!」

 今までの系統というやつを知らない僕には相槌の打ちようもない。

 とは言え、ぬいぐるみに夢中になっている佐藤さんは可愛い。ほっぺたを薔薇色にして目をきらきらさせ、ぬいぐるみに次から次へと目移りする様子は見ていて飽きない。僕もぬいぐるみには一切興味がないから、さっきからずっと佐藤さんばかり見ている。

「ね、どっちがいいかな?」

 佐藤さんが浴衣と革ジャン、両方のネズミを掲げてみせた。

「迷うくらいなら両方でいいんじゃない。誕生日なんだし」

 どうせ決めかねたし、僕はそう答えた。

 たちまち佐藤さんは目を丸くする。

「そんな、悪いよ。一つで十分だから」

「いいって。両方買おう、その方が早い」

 当初の予算を三万円と見積もっていたのと比較すれば、ぬいぐるみ二つなんて安いものだ。僕は彼女が選んだネズミ二匹を受け取って、レジまで持っていこうとした。

 そこで佐藤さんが僕の袖をぐいっと掴んで、引き止めた。

「で、でも、最近ちょっと置くとこなくて!」

「そうなの? そんなに置いてたっけ?」

 確かに佐藤さんの部屋もぬいぐるみまみれだったけど。全部ネズミの。

「うん……結構、増えちゃって……」

 佐藤さんはもごもごと、言い訳でもするみたいに答える。

 薔薇色だったほっぺたは更に色濃くなり、今では耳まで真っ赤に染まっている。おまけに僕から目を逸らし、視線を宙に泳がせていた。

 何かを恥ずかしがっているようだけど、この期に及んで何が恥ずかしいのかわからない。佐藤さんの部屋がネズミのぬいぐるみまみれなのも、そのぬいぐるみを買った経緯が僕にあることも既に知っている。今更もじもじするようなことなんて――。

 ぴんと来た。

「ああ、もしかしてそれで一人暮らししたいって?」

 僕のひらめきはどうやら大当たりだったらしい。

 佐藤さんはめちゃくちゃ慌てた。僕に飛びついてくるなり訴えた。

「ち、違うの。違わないけどちょっと違うの、それもあるけどそれだけじゃなくて! 自立したいっていうのも本当だから!」

「別に疑ってないよ」

 いつになく慌てふためく佐藤さんが可愛くて、僕は笑いを堪えるのに必死だった。

 そうか、なるほどね。一人暮らしをしたいと言う割に迷っているそぶりだったのも、いくつもある理由のどれもが何となくパンチに欠けていたのも納得がいった。

 佐藤さんは、一人暮らしをしたい一番の理由を、僕に言ってなかったんだ。

「それなら、広い部屋に住まないとね」

 僕はにやにやしないように心掛けたつもりだったけど、無理だったのかもしれない。

 佐藤さんはきまり悪そうな顔で答えた。

「でも、一人暮らしなら部屋以外にも置けるかなって。玄関とか、キッチンとかにも」

 それはそれはネズミまみれの部屋になりそうだ。

 僕が訪ねていって、果たして落ち着けるだろうか。一抹の不安も過ぎる。

「お母さんはね、『二十歳にもなってぬいぐるみなんて』って言うの」

 彼女はちょっと寂しげに、僕が手にした二匹のネズミを見つめている。

 ネズミ達もつぶらな瞳で佐藤さんを見つめている。連れて行ってくれとねだっているようだった。

「だけど私にとっては宝物だし、自分のお金で買ったものだし」

 佐藤さんの視線が僕に移る。つぶらな瞳で見つめてくる。

「何より、ネズミは思い出だから……大切にしたくて」

 そう言われて悪い気がしない僕も大概重症かもしれない。

 でも僕は、その思い出の意味を知っている。文化祭で撮ったあの写真を見た人だって、佐藤さんがネズミを集める理由にまでは思い至らないかもしれない。だけど僕は、ちゃんと聞かせてもらっているから。

「佐藤さんは、自分の城が欲しいんだね」

 今度は笑わず、僕は彼女にそう告げた。

 思い出を一つ残らず持ち出して、大切に取っておく為の彼女のお城。一人暮らしの部屋はそういう場所になるんだろう。

 佐藤さんはゆっくりと瞬きをして、

「そう……そうだね。山口くんの言う通り」

 まるで知らない言葉を教えてもらった後みたいに、目が覚めたような顔をした。

「お城にしたかったんだ、私。……私と、山口くんの」

 だけど、その時。

 本当に目が覚めたのは、僕の方だったのかもしれなかった。


 佐藤さんと、僕の城。

 その言葉を聞いた時、僕も全くの新しい言葉を知ったような気分になった。

 たちどころにイメージが広がる。脳内で見たことのない景色が浮かび上がる。

 アパートの小さな部屋。玄関にも、キッチンにも、もちろん部屋にも飾られたネズミのぬいぐるみ達。それを嬉しそうに眺めながらくつろいでいる佐藤さんと、そんな彼女を隣で見つめている僕――。

 そういう暮らしは、もしかしたら悪くないんじゃないかって。

 もしかしたら、最高に幸せなんじゃないかって。


 結局ネズミを選びきれなくて、浴衣と革ジャンの二匹を揃ってお買い上げした。

 そして店を出て、隣同士並んで歩きながら、僕は彼女に切り出した。

「一人暮らしするか、迷ってるんだったらさ」

 佐藤さんが怪訝そうに僕を見上げる。

「――いっそ、二人で暮らさない? 僕と」

 その見上げる顔が、ほんの一瞬で混乱に彩られる。

「え? え? 山口くん……と?」

「今すぐじゃないけどね。僕はまだ未成年だし」

 僕はなるべく落ち着き払って見えるよう、呼吸を整えながら続けた。

「今日物件見てて気づいたんだけど、単身者用よりファミリー向けの方が充実してたからさ。二人暮らしの方が部屋探しやすいんじゃないかって気がしたんだ」

「う、うん……」

「それに僕、こう見えても料理できるし。掃除も洗濯も家でやってるし。バイト代貯めてるから家賃だって払える。女の子の一人暮らしよりは安全だろうしね」

 語れば語るほど、そうすべきだという気持ちが強く募った。

 その方が早い。そりゃ僕はまだ学生だけど、それでも佐藤さんを守り、支えていくことはできるだろう。僕だって一人暮らしの彼女を案じてやきもきしているよりかは、二人で暮らした方がよほど気が楽だ。

「だから、どうかな?」

 一通りメリットを語った僕の問いに、佐藤さんはしばらく考えを巡らせてから、照れ笑いで応じた。

「山口くんとルームシェアなんて素敵だね。私もそうしたいな」

 でもそれは、僕の望んだ答えではなかった。

 なぜルームシェア。僕達は付き合ってるんじゃないのか。

「僕達の場合、同棲っていうんじゃないかな」

 そう返せば、佐藤さんはそこで初めて気づいたというように赤面した。

「ど、うせい……そ、それって何か、大人みたい……」

「佐藤さんは大人だろ。今日で二十歳なんだから」

「そっか、そうだったね、私……」

 納得はしたものの、受け止めるまでには随分時間がかかったようだ。佐藤さんは一人でもじもじして、俯いて、そのままなかなか顔を上げられずに黙っていた。


 だけど僕が辛抱強く待っていたからか。

 やがて顔を上げて、言ってくれた。

「私も……そうしたい。山口くんと、一緒がいい」

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