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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
卒業後の話
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僕たちの修学旅行リベンジ(3)

 コンクリート造りの川岸をしばらく走った。

 浅い流れの水面には日差しと緑の影が落ちていて、魚のうろこみたいな模様で光る。ところどころに藻が浮いていて、決してきれいな川でもなかったけど、自転車を漕ぎながらよそ見をする分には十分涼しげに、眩しく映った。

 旅先の、知らない川だからというのもあるのかもしれない。地元の人たちからすれば割とどうでもいいどぶ川一歩手前の流れだったりするんだろう。それが妙に光り輝いて見えるのは、間違いなく今が旅行中だからだ。

 隣では佐藤さんが自転車を漕いでいる。

 平坦な道ではのんびりと、ちょっとでも上り坂になろうものなら途端にふらふらと危なっかしい感じになって、だけど僕としては下りに差しかかった時、両足を伸ばして歓声を上げて、意気揚々と滑り降りていく姿に一番はらはらさせられる。

 佐藤さんは自転車に乗ってたって子供っぽい。しつこいようだけど、社会人なのに。


 そのうちにサイクリングロードは唐突な終わりを迎えて、僕たちは何の覚悟もないままに岸壁と消波ブロックの山と防波堤と、景色を二分割する水平線とに出くわした。

 真横に走る片側一車線の海岸通り、信号のない横断歩道で数十秒足止めを食らった後、やっとのことでぴかぴか光る海を眺められた。その時点で『海に着いた!』なんて感慨は吹き飛んでいて、代わりに汗が噴き出してくる。鬱陶しい。

「わあ、海!」

 それでも佐藤さんは、見ればわかるようなことをお約束みたいに叫ぶ。

 僕も潮風が心地いいので特に突っ込んだりはしない。ようやく波の音も聞こえてきたし、いかにも夏らしい旅行になってきた。

 岸壁の傍で一度自転車を停めてから、早くも海岸の景色にかぶりつこうとする彼女を引き戻すべく尋ねる。

「で、どっちに行く?」

「どっちって?」

 不思議そうな佐藤さんに、左右それぞれの方向へ繋がる岸壁を指し示した。


 右方向には砂浜が見える。なだらかに広がっている砂浜はじきに、人で混み合う海水浴場へと続く。ところどころに立つパラソルの派手な色合いと、三軒ほど並んだ海の家らしきものまで確認出来た。今日みたいな日は海水浴日和でもあるだろう。

 左方向は漁港のようだ。岸壁をずっと目で追っていけば、小さな釣り船が肩を並べて停泊しているのが見えてくる。ちょうどお昼時だからか沖に出ている船はほとんどなく、揃ってぷかぷか浮かんでいるのが、いかにも港町って感じがしていい。

 さて、佐藤さんはどっちの海が好きだろう。


「あんまり人が多くない方がいいな」

 意外にも、彼女は海水浴場の方に難を示した。

 好きそうだと思ってたんだけどな。海の家とか、そこで売ってるかき氷とかラムネとか焼きそばとか、色気より食い気の佐藤さんなら。でも彼女のことだ、泳ぐのはきっと不得意だろうから、そういう意味で海水浴場はたとえ見るだけでも嫌なのかもしれない。

 ――と僕がそこまで考えた時、こっちの意外そうな反応を見て取ったんだろう。

 言い訳みたいにぽつりと、

「だって、今日はデートだよ。静かなところの方がいいよ」

 僕を『やり直しの修学旅行』に駆り出した張本人が、そう言った。

「修学旅行って最初に言ったの、佐藤さんじゃないか。デートのつもりもないのかと思ってた」

 冗談交じりに指摘してやれば、佐藤さんも少し笑った。

 でもその後で、拗ねたような顔も作ってみせる。

「言ったのは私だけど、でも、本物の修学旅行とはやっぱり違うもん。ちゃんと違うつもりだったよ」

「僕はてっきり、現地で勉強もするつもりだったのかと」

「しないよ! ……それに向こうは水着の人ばかりだけど、私、水着持ってきてない」

 そして付け加えるには、

「山口くんはそれでも、海水浴場がいい?」

 僕は思う。

 むくれてる佐藤さんって貴重だ。そして可愛い。

 もしかしたら佐藤さんは、海水浴場に行ったら僕がよその水着の女の子に見とれたりするのが心配なんじゃないだろうか。向こうには水着の人が一杯いるから、だけど佐藤さんは水着を持ってきてないから、それで珍しく拗ねてるんじゃないか――とか考えるのは、さすがに僕に都合のよすぎる妄想かもしれない。

 そうだったらうれしいけど、うれしいなんて言ったらますますむくれられそうだけど、まあ彼女に限ってやきもちなんてことはまずない。何せ佐藤さんと来たらお人よしで鈍感で、おまけに子供っぽいんだから。きっと水着を着てないとビーチじゃ浮きそうだからとか、その程度の懸念だろう。

 ともかく、そんな彼女を長く拗ねさせておく訳にもいかない。

 僕は漁港の方をもう一度指差した。

「じゃあ海水浴場は止めとこう。あっちに行ってみる?」

「うん」

 やっと佐藤さんが頷いて、行き先が決まった。


 お互いくたびれたというほどではなかったけど、ずっと自転車を漕いできたのと、昼時の強い日差しとも相まって、なかなか汗が引かなかった。

 だから漁港の辺りは自転車を押して、ゆっくりと歩いた。

 賑わう海水浴場とは対照的に、こちらの方には人気がなかった。ただ海岸通りを走り抜ける車の量は多かった。八月後半の土曜日、これからどこかへ出かけようって人も結構いたのかもしれない。

「修学旅行のやり直しって、おかしかったかな」

 佐藤さんは今更そのことを気にしているらしい。一つ結びの髪を潮風に揺らしながら、少し浮かない顔をしてみせる。

 僕としては、初めに切り出す前に考えといて欲しかった。

「最初に言われた時は、何事かとびっくりしたよ。だって修学旅行なんて、高校卒業したらもう縁のないものだと思ってたし」

 正直に応じると彼女はあたふたして、

「でも、でもね。山口くんとはもう一回修学旅行がしたかったの。あっ、もちろんデートだけど。デートだっていうのが大前提だけど!」

 その落ち着かない様子に僕はつい、にやにやしてしまう。

 もっとも佐藤さんの前でそんな弛んだ顔はしたくないから、口元を必死に引き締めていた。しかしさっきの拗ねた顔といい、僕の反応を気にしつつ慌ててる感じといい、実にいいものを見た。

 普段とはどことなく違う彼女、ってのも旅の醍醐味の一つかもしれない。

 いつもこうでも、ちっとも構わないんだけどな。

「山口くんはあの時のこと、気にしてなかった?」

 自転車を押しながらだからか、佐藤さんの言葉はいささか足りなかった。

 あの時のこと、が何を指すか、にやつきを堪えるのに必死だった僕が悟るまで、時間がかかった。

「……ああ、それか」

 よりによってそのことをずばりと聞くかと思ったけど、まあこれも旅の醍醐味ってやつだ。僕も素直に答えてみる。

「気にしてなかった訳でもないけど、それ以上に、思い出したくなかった」

 右隣の佐藤さんがはっとしたように僕を見る。

 その時、僕の左側ではサーフボードを乗っけた車が何台か通り過ぎていき、僕はエンジン音に水を差されるのも嫌なのでしばらく待った。車道が静かになって、波と風の音だけになってから、改めて口を開く。

「だってさ、佐藤さんはそうじゃなかっただろうけど、あの頃から僕は――」

 思い出したくないことを思い出す。

「――僕は、佐藤さんが好きだったから」

 今なら言える。

 平然ととまではいかないものの、必要になれば、そういう局面であれば何度だって言える。

 でもあの頃はそうじゃなかった。彼女が気になって気になってしょうがなかったくせに、言えないどころかそもそも認められなくて、考えたくもなくて、結果的に僕は佐藤さんを傷つけた。そして諍いになって、仲直りをして、それでも彼女の心が僕の方を向いてないと思い知らされた時、初めて気づいた。

 佐藤さんが、ずっと前から好きだったんだ、って。

「片想いの記憶なんてろくでもないよ、本当。いいことなんて一つもないし、辛い思いはいくらでもしたし。思い出さずに済むならその方がいいくらいだ」

 僕が言うと、佐藤さんも顎を引く。

「うん。わかるよ」

「そこでわかられるのも複雑なんだけどな……」

 そしたら気になっちゃうじゃないか。佐藤さんはいつ片想いの辛さがわかるような経験をしてたんだよとか。その時の相手は誰なんだとか。そういう、辛い記憶にも匹敵する腹立たしい想像まで巡らせちゃうじゃないか。勘弁してくれ。

「あっ、ち、違うの! そういう意味じゃなくって、あの」

 彼女はまた慌てふためいて、すぐに言い直した。

「山口くんの気持ち、今はしっかり伝わってるよってこと!」

「本当かな。佐藤さん、時々わかってないんじゃないかって気もするんだけど」

「本当だってば。それに私も……山口くんが、好きだよ」

 終わりの方はごにょごにょっと、呪文でも唱えるみたいに言われた。

 僕も大概甘い奴で、今の言葉と急に俯き出した彼女を見てたら、あとはもういいかななんて気分にさせられる。

 古い記憶はこの辺で捨ててしまって、新しい思い出だけ持ち帰ればいい。お互いに必要なのは高校時代のやり直しじゃない。こうして気持ちが通じ合ってる以上は、余計なことを考える必要だってない。

「なら、もっと楽しい思い出を作ろう」

 僕は気を取り直して、元気よく促した。ついでに、

「とりあえずそろそろ昼ご飯の時間だし、何か美味しいものでも食べようよ」

 佐藤さんが喜びそうなことも言ってみた。

 色気より食い気の佐藤さんはたちまちのうちに顔を上げ、僕もいそいそとガイドブックを――すっかりよれてるやつを取り出して、この辺でご飯の食べられそうな店を探してみる。


 結果、海鮮丼が美味しいと評判らしい店を見つけた。

 港町の旅らしくていいかなと、そこまで足を伸ばしてみることにした。

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