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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
最後の秋の佐藤さん
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多分、親切なだけの佐藤さん

 スカート用の黒い生地を購入した後、僕らは近くの雑貨屋にも立ち寄った。

 パーティーグッズを取り扱っているその店で白い全身タイツを探す。残念ながら、普通にあった。


「結構するんだな、全身タイツって」

 値札を見たらこの期に及んでためらいたくなった。

「そうなの?」

 佐藤さんも一緒になって、僕の手元を覗き込む。

 メンズサイズ、身長百八十センチまでと記された全身タイツ。お値段は三千五百円也。

「わあ、意外と高いんだね」

「全くろくでもない出費だよ。一回きりのお芝居の為にこんなもの買わなきゃならないなんて」

 文化祭が終わればもう二度と着ないだろうに――というか二度と着たくない。これきりにしたい。

 唯一の救いは意外と厚手の生地で、思ったよりも身体の線が出にくいらしいことくらいだ。全身タイツというから、本当にタイツみたいな素材だったらどうしようかと思っていた。僕の名誉も多少は守られそうだ。

「じゃあ、買ってくるよ」

「うん。行ってらっしゃい」

 気づかわしげな佐藤さんに手を振られ、心を奮い立たせて会計に向かう。

 三千五百円の出費への覚悟は、レジの前に立ってようやく決まった。店員は無情な対応で全身タイツをビニール袋に突っ込んだ。笑ってくれたらまだ気が楽なものを、にこりともされなかった。

 受け取った袋を提げて歩く気にはなれず、即座にバッグへしまう。このまま取り出さずに済めばいいんだけど、そうもいかない。


 会計を終えた僕は、佐藤さんのところへ戻った。

 彼女はまだパーティーグッズのコーナーを眺めている。こういう店にはあまり来ないんだろうか、子供みたいに目を輝かせて商品に見入っていた。横顔が思いのほか真剣で、何を見ているんだろうと思う。

「待たせてごめん」

 僕が声を掛けると、彼女はうれしそうに振り向く。

「……あ、お帰りなさい」

 にっこり笑って、僕が尋ねる前に見入っていた商品を差し出してきた。

「ね、見て見て! サンタクロースの衣装!」

 彼女が手にしているのは、白い縁取りの赤い衣装だ。外国人のモデルさんが笑顔で着ている写真つきでパック詰めされている。

「ああ、そういえばそういう時期か」

 文化祭の準備に追われて忘れがちだったけど、気づけばもう来月だ。僕は思わず笑い、それから冗談半分で聞いてみた。

「佐藤さん、着るの?」

「着てみたいけど私、髭が似合わないから……」

 意外と真面目に返された。

「それにプレゼントはもらう側の方がいいな。今はもうサンタさんも来てくれない歳になっちゃったけど」

 えへへと笑う彼女に対し、僕も少し考えてみる。

 クリスマスか。佐藤さんはプレゼントに何をあげたら喜ぶだろう。

 いや、それよりもまず先に確かめておくべきことがある。

「クリスマス、佐藤さんはどうやって過ごすか決めてる?」

 冷静な態度を心がけたつもりだったのに、勢い込んだ質問になった。

 彼女はびっくりしたように目をみはり、それからかぶりを振る。

「ううん、今年は家でおとなしく過ごすかなあ。山口くんは?」

 僕の場合は相手次第だ。

 胸の中でだけ答えつつ、さらに問いを重ねる。

「友達とかと約束はしてない?」

「してないよ。だってみんな受験生だもん、誘いにくいよ」

 そう口にした時だけ、彼女は寂しそうな顔をした。既に進路が決まっているのもいいことばかりではないらしい。

 こちらとしては好都合だけど。

「僕は空いてるよ」

 すかさず告げると、またびっくりされた。

「え……でも山口くん、受験勉強は? 追い込みの時期じゃない?」

 おそるおそる聞き返されて僕は笑った。なるべく平然と笑おうとした、つもりだ。

 実際にどんな顔になっているかは、佐藤さんしか知らない。

「一日くらいサボったって平気だよ、息抜きも必要だしね」

 むしろ他の日に必死になるからいい。

 そのくらいクリスマスの予定は重要だ。佐藤さんの方から切り出してくれたんだから、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 口元が引きつるのを自覚しつつ、僕はからからの喉から声を振り絞る。

「だから、よかったら二人で、ケーキでも食べに行こう」

 食べ物を口実にするあたり、僕も佐藤さんと大差ないみたいだ。

 でも受験勉強だとか進路の違いだとか、そういったことを障害にはしたくなかった。これからもずっと佐藤さんの隣にいたい。一緒にいられる時間は全部、一緒にいたかった。

 僕の必死さに気づくはずもなく、佐藤さんはにっこり笑ってくれた。

「うん! 誘ってくれてありがと、山口くん」

 よしよし。心の中で快哉を叫ぶ。

 もちろん表面上は冷静に、穏やかにお礼を告げた。

「こちらこそありがとう。近くなったら連絡するよ」

「予定、任せていいの?」

「もちろん」

「じゃあ、お願いしようかな。待ってるね」

 佐藤さんも思いのほかいい笑顔で応じてくれた。

 喜んでくれているみたいだ。好感触にほっとしていると、さらにこう言ってきた。

「実は私もね、山口くんとクリスマスに会いたいなって思ってたの」

「え……」

 声を上げようとしたのと、息を呑んだのとが重なって、上手く言葉にならなかった。


 なんだ、その深読みしたくなるような台詞は。

 どういう意味なんだ。いい方向に解釈していいのか。解釈したい。是非とも。


 絶句したままの僕をさて置いて、彼女の話は続く。

「だって、山口くんにはいっぱいお世話にもなったもんね。ちゃんとお礼をしたかったんだ」

「お礼……?」

「うん。あ、今はまだ秘密だけど」

 嬉々として、唇の前で人差し指を立てる佐藤さん。

 それから手にしたままのサンタの衣装を見て、ちょっと笑った。

「この衣装、買っておこうかなあ」

「……本気で?」

 僕は思う。

 佐藤さんのことは好きだけど、クリスマスにサンタの格好で来られたらさすがに困る。かわいいかもしれないけど、でも佐藤さん、髭をつけたいみたいだからな。やっぱりだめだ。

 僕の表情を見てか、佐藤さんは衣装のパックを棚に戻した。

「一年ってあっという間だね」

 そんな言葉を、しみじみと口にしながら。

「文化祭が終わったらもうクリスマスで、年が明けたら卒業なんだよね。早すぎるよ」

「そうだね」

 全く同意だった。

 気がつけば、卒業までもう時間がない。クリスマスは卒業前に二人で過ごせる最後のチャンスかもしれなかった。

 その前にやってくる文化祭は憂鬱だけど――本当はそこでもう一度、佐藤さんの気持ちを確かめられたらと思っていた。告白してからもう五ヶ月、来月で半年になる。一緒に過ごす時間が増えて、以前よりも仲良くなれたとも思う。でもそろそろ、はっきりした答えが欲しい。文化祭でそれを聞けたらと思っていたけど、さすがにネズミのコスプレした後では格好がつかない。

 でもクリスマスに約束ができたから、こっちに賭けることにしよう。


 僕らはひとしきりパーティーグッズを冷やかしてから店を出た。

 からっ風が冷たい商店街を、最後の目的地、クレープの美味しい店まで歩いていく。

「お店、すぐ近くだから」

 隣を歩く佐藤さんが励ますような調子で言った。僕が寒さに身をすくめたのに気づいたらしい。

「着いたら温かい物でも飲もうよ」

「いいね」

 僕は短く答える。

 口を開けるだけで冷たい風が吹き込んできて、話すのが億劫になる。寒い季節は好きじゃない。

「でも、安心した。山口くん、元気そうだね」

 佐藤さんは話すのが億劫ではないらしい。にこにこ笑いながら僕を見る。頬も耳も真っ赤になっているけど、その表情はとても柔らかい。

「最近ずっと元気なさそうだったから気になってたの」

「ああ、うん……まあね」

「今日だって、駅で落ち合った時はしょんぼりしてたみたいだし」

 言い当てられて、ぎくりとした。

 あれは――駅で会った時は、別に落ち込んでたわけじゃない。

 ごく当たり前のことに気づかされて、驚いただけだ。

 佐藤さんとは進路が違う。そんなのはずっと前から知っていたけど、それが確定的となった今、受け止めなくちゃいけないと思った。この先もずっと、隣にいられるように。

 今も、クリスマスも、その為の時間なんだと思いたかった。

 決して無意味なことじゃない。口実があるから会ってる、それだけじゃないんだって。

「元気になってくれたなら、よかった」

 彼女が僕を心配してくれてるらしい理由も、意味があるんだって思いたかった。


 佐藤さんのことだから、彼女は優しいから、ただ単に親切なだけかもしれない。

 でも、そうじゃないといい。僕はずっとそう願っていた。

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