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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
最後の秋の佐藤さん
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笑顔の佐藤さん

 十一月に入ると、文化祭の準備期間が始まった。

 各クラスは文化祭に備え、ホームルームや放課後を利用して展示の用意をすることになっている。高校生活最後の文化祭だからか、C組一同はずいぶんと張り切っている。乗り気じゃないのは僕くらいのものかもしれない。


 当然ながら、佐藤さんも張り切っていた。

 もっとも彼女の場合、張り切らない方がいいのかもしれない。何せその演技力といったら悪目立ちしている。

「まあっ、なんてきれいな方でしょう」

 彼女が演じる『貴婦人C』の、劇中での台詞はそれだけだ。舞踏会に颯爽と現れたシンデレラに感嘆し、褒め称える言葉を口にするだけだ。一瞬だけの見せ場だというのに、棒読みだわ声は裏返るわで酷い有様だった。貴婦人らしさなんてかけらもない。

 佐藤さんが台詞を口にするたび、放課後の教室はどっと笑いに包まれる。

「みゆきちゃん、そんなに緊張しなくても」

 笑いをこらえようと必死な斉木さんの横で、外崎は無遠慮にげらげら笑う。

「シンデレラより目立ってどうすんだよ」

「ごめん、次はちゃんとやるね」

 笑われている佐藤さんも笑っている。

 恥ずかしそうに笑う顔は、だけど陰りが全くない。みんなにげらげら笑われていても、落ち込んでみせたり悲しがったりしない。そのメンタルの強さが羨ましいような、とても真似できないような。


 佐藤さんは、台詞を口にする度に笑われている。劇の練習用に机や椅子を下げた教室で、皆の言うようにシンデレラよりも注目を集めている。

 彼女の登場する段になると、みんなが笑いをこらえようとする。佐藤さんの声が裏返るのを予測して、そのすっとんきょうな声で吹き出さないように身構えている。純粋に面白がっている無神経な奴もいるようだ。

 僕はそんなクラスの空気を、教室の隅から眺めていた。

 先のくじ引きの通り、僕の役柄はハツカネズミ、そして馬車馬だ。佐藤さんの登場する舞踏会のシーンでは馬車の傍で四つんばいになって待機する。これはこれで相当な屈辱だった。

「じゃあ、今のシーンを最初からね。シンデレラは馬車に戻って。馬車馬さんも」

 柄沢さんが台本を見ながら指示を飛ばす。

「はーい……」

 僕は四つんばいになったまま教室の端へと捌けた。

「山口、馬車馬になりきってんじゃん!」

 新嶋が言うと、みんながくすくす笑う。

 でも佐藤さんの時みたいに無遠慮に笑ったりはしない。そういう空気の微妙な違いを、僕は肌で感じ取っていた。


 舞踏会のシーンの冒頭から再開。

 僕が引いた馬車がお城に到着し、湯川さん演じるシンデレラは城内へと飛び込んでいく。

 お城ではちょうど舞踏会が開かれているところだ。王子様と居合わせた舞踏会の出席者たちは、現れたシンデレラの美しい姿にどよめく。

 ――と、ここまではいつも順調に進む。

 問題は次だ。出席者たちが次々とシンデレラを褒め称える段になると、クラスの連中がそわそわし始める。笑わないようにと顔を抓(|つね)る奴、指を差して囁き合う奴、もう既に肩を震わせてる奴もいる。みんなの視線は一転に集中する。

 貴婦人たちが一言ずつ喋っていく。Aの子が言い、Bの子が言って、その次はいよいよ佐藤さんの台詞だ。

 僕が顔をしかめた直後に聞こえた。

「まあ、なんてきれいな方でしょうっ!」

 酷かった。さっきよりも力んでいるせいか、声がすっかり引っ繰り返っている。

 おかげでみんながどっと笑った。クラスの連中は、佐藤さんの時だけは遠慮しない。教室はげらげら笑う声に包まれて、その中で、笑われている当の佐藤さんまで笑顔でいる。恥ずかしそうにしつつも、まるで自分のことじゃないみたいににこにこしている。

 僕は馬車馬らしく無表情でいることにした。何が面白いのかちっともわからない。みんな、佐藤さんに失礼じゃないか。


 僕なら笑われるのは嫌だ。

 馬車馬役でもハツカネズミの役でも、台詞ですらない鳴き声を上げる度、みんなににやにやされるのが不快で堪らない。そういう役だとわかっていても、馬鹿にされるのは嫌だった。

 でも佐藤さんは平気そうだ。僕よりもずっとマシな役になって、台詞はひとつきりしかなくて、なのに唯一の見せ場でさえ笑われている彼女。皆に笑われても、からかわれても、嫌な顔もせずにこにこしている。

 もし僕が佐藤さんの立場なら、思いっきり睨みつけてやるところなのに。


 結局、その日の佐藤さんはずっと笑われっぱなしだった。

 台詞を言う度に笑われて、それでも彼女は不快そうにはしなかった。むしろ楽しそうにすら見えた。そういう佐藤さんだから、みんなもお構いなしに笑うんだろう。

 練習が終わった後、僕は佐藤さんを捕まえ、率直な疑問をぶつけてみた。

「あんなに笑われて、嫌じゃなかった?」

 すると佐藤さんはきょとんとしてから、首を横に振った。

「ううん、そんなことないよ」

「嫌な時は嫌って言った方がいい。皆、佐藤さんがにこにこしてるから調子に乗るんだ」

 動物役への鬱憤からか、僕の口調もいつになくきつくなる。

 でも彼女は小首をかしげ、はにかみながら答えた。

「面白がられてるっていうのはわかってるし、私の台詞、確かに酷いなって自分でも思うもん。もっと上手く言えたらいいんだけどね」

 謙虚なのか何なのか。

 笑われるのは自分のせいだって佐藤さんは思っているらしい。それも確かに彼女らしい考え方ではある。いつだって佐藤さんはそうだから、みんなに笑われても平気でいられるんだろう。


 僕は無理だ。

 自分が笑われるのだって嫌なのに、佐藤さんが笑われてるのを見てるのはどうしても嫌だった。胃がむかむかして、笑っている連中を一人ひとり注意して回りたくなる衝動に駆られた。佐藤さんがそうして欲しいって言ってくれたら――彼女ならそんなことを言わないのもわかっていたけど。

 高校生活最後の文化祭は、案の定いい思い出にはなりそうもない。


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