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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
110/115

山口くんと山口さん(1)

「はあ……」

 ここ最近、溜息の数が増えた。

 理由は簡単、就職活動がいよいよ始まってしまったからだ。


 大学で出会った数々の先輩がたから『つらいつらい』と連呼されていた就職活動の場は、その噂にたがわぬ荒涼ぶりだった。

 僕ら就活生は選ぶ側でありながら選ばれる側でもあり、そして選ばれる側としての立場は圧倒的に弱い。書類だけで落とされたらそれっきりだし、面接まで漕ぎつけてもお祈りメール一通きりで切って落とされる。もちろんどうして落とされたかなんて仔細に教えてもらえるはずがなく、僕らは選ばれなかった傷を抱えつつ、自分の至らぬ点をあれやこれやと無闇に見つめ直しながらも修正箇所を見出せぬまま次の就活に向かうわけだ。

 こうしてここ最近の自分を見つめ返すだけでもネガティブとしか言いようがなく、作り笑顔と空元気を携えて就活生としての日々を過ごしている有様だった。

 今日も面接を終えてきたばかりで、手応えはあるようなないようなというところだ。以前、自分でも手応えがあると思っていたらすげなく振られた経験があるため、迂闊に手応えを感じてはいけないと心にストッパーがかかっているのかもしれない。それもまたネガティブで非常によくないと自覚はしつつ、だけどどうやって浮上すればいいのかわからない。

 この欝々とした気分への一番の特効薬は、就職先が決まってしまうことだ。

 でもそれが最も難しくて、だからこそ僕は溜息ばかりついている。


「はあ……」

 ようやく着慣れてきたリクルートスーツのまま、僕はリビングのソファーに寝転がっていた。

 今日の面接先は去年の夏にインターンでお世話になった市内の印刷会社で、その時の職場の雰囲気がとてもよく、担当してくれた社員さんにもいい印象があったため、できれば受かりたいと思っているうちの一社だ。まあ、いつだって『できれば受かりたい』と思っているけど。

 ともあれ手応えはあるようなないような、というふわふわした不安を抱えて帰宅した僕は、着替えをする気力もないままソファーの上に倒れ込んでいた。

 頭の中は面接時の一問一答をぐるぐる反芻していて、あの時こう言うべきだったか、ああ言うのがよかったかも、などと今さらのように考えている。

「ただいま――……篤史くんどうしたの!? 大丈夫!?」

 そして後から帰ってきたみゆにびっくりされる始末だった。

「具合悪いの?」

「いや、体調は悪くないよ、ちょっとへこんでただけ」

「そっか……今日も面接だったんだよね」

「そう」

 そんな短いやり取りだけで彼女は全部察してくれたようだ。先に着替えを済ませてしまうと、リビングまで戻ってきてソファーの端のほうに座った。

 そして、スカートをはいた膝をぽんぽんと叩いてみせる。

「膝、使う?」

 僕は黙って、でも一も二もない速さで彼女の膝に頭を載せた。適度な高さと柔らかさ、そして服越しのほのかな体温が心地いい。

 するとみゆが僕の額にそっと手のひらを載せてきた。手を洗ったばかりだからか、ひんやり冷たくて気分がすっとした。

「手応えはどう?」

 みゆが僕の前髪を優しくかき上げる。

 その仕種に思わず目をつむって、僕は答えた。

「よくわからない……いや、けっこういけたと思うんだけど、もっとうまく答えられたような気もするし、でもベストではないにせよベターな対応はできたんじゃないかと思ったり……」

 自信はない。ないようである。過剰な期待を持ってはいけないと思いつつも、心のどこかでは『いけたんじゃないかな』という思いもあり、だけど落ちた時に備える覚悟も持っておきたい。そんな複雑に入り混じった気分の全てが本音だ。

「わかるよ、それ」

 就活における先輩でもあるみゆが、しみじみと応じる。

「面接の直後って、気持ちの整理がつかないよね。そのまま待つのもつらいよね」

 本当にそうだ。

「いっそ帰り際に確率で教えてくれたらいいのにな。雨の予報みたいに」

 本日の面接は合格率四十パーセント、次の面接に備えて新しいES、履歴書の準備が必要です――みたいに。かえって鬱になるかな。

「それならそれで、はっきりしなくてやきもきするかも」

「それもそうか」

 みゆが少し笑ってくれたから、僕もつられて笑う気になれた。


 就活に落ち込むことは多々あれど、こうしてみゆと一緒にいると、鬱々とした気分もほどけていくのがわかる。

 彼女もそれをわかった上で、最近は僕を甘やかしていてくれる。

 その優しさに彼女との人生経験の差を感じつつ、しみじみと安堵も覚える自分がいた。


「ありがとう、みゆ」

 僕は目を開け、彼女に向かって感謝を告げる。

「それとごめん、みゆだって疲れて帰ってきてるのに」

「ううん、こういう時はお互い様だよ」

 見上げた先、みゆは笑顔でかぶりを振った。

「私だって篤史くんに愚痴聞いてもらうことあるし、去年寝込んだ時にはすごく面倒見てもらったでしょ? 篤史くんがつらい時は私に甘えてほしいな」

 彼女のそういう優しさが、今こそ心に染み入るようだ。

「……本当にありがとう」

 僕は彼女の膝を借りたまま、幸せな思いを噛み締めていた。

 くよくよしても仕方ない。反省点があるなら大いに反省すべきだけど、次に向けて動き出すことも必要だ。そのために立ち上がる力は今もらった。


 大きな視野で見れば、就活なんて人生のほんの一ページの出来事に過ぎない。無事に就職が決まったところで今度は仕事について悩んだり、迷ったりすることもあるだろうし、学生時代だって『ああ言えばよかった、こうすればよかった』なんて思ったことは何度でもある。コンビニで偶然クラスメイトの女の子に出会って、初めて私服姿を見せてもらった時、とか。

 そういう些細な、あるいは大きな後悔と反省を積み重ねて、僕はここまで来たんだ。

 そして今は、みゆが傍にいる。

 僕がネガティブな考えに囚われる時、つらい時、苦しい時、こうして彼女に話を聞いてもらうだけで気持ちが楽になった。今目の前にある就活も、これから先に起こりうる悩みや問題も、そうやって彼女とふたりで乗り越えていけばいい。もちろん、彼女が悩んでいる時も同じように。

 そうやって生きていくことが、僕らにはできる。


「元気になった?」

 みゆが僕を見下ろし、柔らかく微笑んだ。

「なったよ、ありがとう」

「……よかった」

 僕の答えを聞いて、彼女は心からうれしそうな顔をしてくれる。

 それで僕はふと思う。

 病める時も健やかなる時もって、こういうことを言うんだろう、って。

「結婚しよう」

 とっさに口をついて出た言葉の後、僕は勢いよく起き上がる。

「え?」

 聞き取れなかったのか、きょとんとする彼女にソファーの上で向き直ると、その両手をぎゅっと掴んでもう一度告げた。

「就職先が決まったら結婚しよう、みゆ」

「……え!?」

 みゆはもう一度聞き返してきたけど、今度は聞こえなかったというわけではないらしい。ひどくびっくりした様子で、頬をぱっと赤くしてから僕を見返す。

「け、結婚!?」

「だめかな」

「だ、だめじゃない! だめじゃないけど今じゃないと思ってて……あ、違うの、今じゃないって言うのは結婚じゃなくてプロポーズがね、あの、もっと後だと思ってたから、不意打ちでびっくりしたっていうか、でも嫌じゃないし全然いいっていうか……」

 彼女が混乱した様子を見せたから、今さらながら僕もちょっとあわてた。

 過去にはデートなり何なりで下調べを入念にする派だった僕も、そういえばプロポーズに関してはまだあまり調べていなかった。よく映画やドラマでは指輪の箱をぱかっと開けているけど、あの指輪のサイズはどうやって調べるんだろう。サイズはもちろん、デザインが気に食わないといわれたらどうするのか。そのあたりも謎だ。

 それでも、指輪はなくても花束くらいは用意しておくべきだっただろうか。

 だけど今、言いたくなったんだ。

 それに考えていたのはずっと前からだ。就活をするよりも前、僕は一足早く就職したみゆに水をあけられていると考えていて、いつか追いつけたらと思っていた。

 だから、その時が来たら結婚したい。

「あの、私も……」

 僕が一気にいろんなことを考えている間、みゆもひとつの答えに辿り着いたようだ。

 気恥ずかしさにか目を潤ませつつ、小さな声でこう言った。

「私も、篤史くんと結婚したい。いつでもいいよ、私」

 答えはわかっていたはずなのに。

 安堵とうれしさと幸福感が胸に押し寄せてきて、僕はソファーの上で彼女を抱き締めた。

「ありがとう、がんばるよ」

 そう、まずは無事に就活を終えてしまわないと。

 でもおかげでやる気が湧いてきた。何度すげなくされても、振られても、みゆがいればいくらでもがんばれる気がする。

「うん、応援してる」

 みゆは僕を抱き締め返してくれた。

 それから、こうも言われたけど。

「なんなら私が篤史くんを養ってもいいよ」

「いやそれはちょっと……」

 気持ちはうれしいけど、僕はみゆに追いつきたくてここまでやってきたんだから。


 ともあれ励みができた僕は、その後一ヶ月もしないうちに内定先を決め――。

 一緒に喜んでくれたみゆに、改めてプロポーズをした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もう五回以上読んでいますが、何回、再読してもいいお話です。 下手な駆け引きもなく、素直な佐藤さんだからこその、山口くんの幸せなんでしょうね。 ぶつくさ言いながらも山口君が惹かれていく様子や…
[一言] こういった自然なプロポーズいいですね!かなり好きです。これまでは準備をしっかりしてからデートに臨んでいたのが、プロポーズの際には前準備せず、日常の中で自然と口から出たというギャップ?のような…
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