訪問
学力テストの翌日。体育館では月に一度の学年集会が開かれた。
テストの結果と本日の「聖域」行きのクラスが発表される日である。
この日の莉緒は、気が重かった。
朝から降る冷たい雨は、今朝の莉緒の気分の象徴そのものだ。返ってきた、見たくもないプリントを見ると、そこには「四十二点」という、これまでの最低記録を更新していた。これが肩を落とす、という言葉の意味かと、初めて実体験させられた。
これで今回の持ち点が確定した――四十二ポイントしかない。
落胆した莉緒は、最後の祈りを捧げる。それは、どうか今日の聖域行きだけは勘弁してください、という祈り。
気分的にも乗らない。しかも低い点しか取れなかった今日という日は、運勢的にも良くないだろうと考えたからだ。
だが、よくよく考えてみれば点数なんて、テストを終えた時に既に決まっていたわけで、今日だから点数が低いという考えは、馬鹿げているということを莉緒は気づかなかった。
今回の一番バッターは風組だった。鳥組は最後、四番目に決定した。莉緒の祈りは、どうやら届いたようだ。
聖域行きのないクラスは午前中の授業だけで下校となる。
その日の帰り道。
莉緒は校門の辺りで声をかけられた、「莉緒ちゃん」と。
男の人から、そう呼ばれるのは学校にも数人だけ。その内の一人である、直だった。
しかし莉緒は驚いた。最近は話しすらしていなかった直が昔の呼び方で莉緒を呼び止めたことに。しかも、それだけではなかった。
直の隣には樹の姿もあった。
「莉緒ちゃん。これから暇?」
「えっ、どうして?」
「これから樹の家に遊びに行くんだ。莉緒ちゃんの家も近くでしょ。だから、どうかなと思って。」
莉緒は、どうして駅が同じで家が近くだからって、誘うのだろう?しかも、それが樹の家ときた。それはない、と莉緒は思った。
「べ、別に用事とかないけど。」
莉緒は自分でも驚いた。断るつもりだったのに口から勝手に言葉が零れたのだ。
「本当。じゃあ行こうよ?ねっ、樹。」
「おいでおいで。何もないけどな。」
莉緒は自分が後悔しているのか、それとも理由を作って誤魔化そうとしているのか分からなかったが、一つ言えることは樹の家に行く事を嫌だとは決して思っていなかった。むしろ逆だ。彼の家に行けば樹の事が少しは分かるかも知れない。莉緒にとって樹は謎だらけの人物なのだ。
「でも、いきなり行ってご両親は迷惑じゃないかな?」
樹と直は顔を見合わせ、
「大丈夫やで。俺、一人暮らしやねん。」と、言った。
莉緒の中に、また「樹」という男の子の謎が増えた瞬間だった。
三人は、樹の住む十三階建ての鉄筋コンクリート造りのマンションへと案内された。樹の部屋は最上階だった。
部屋の間取りは1LDK。一体何畳あるのか、一人では広すぎるリビングだ。最低限に置いてある家具は、どれもお洒落で高価そうな物ばかりだった。とても高校生が一人で住むような部屋じゃない。
それに樹に繋がるような物も特に見当たらない。
恐らくは、あの部屋。
しかし勝手に入る訳にはいかず、もちろん入っていい?という程の仲でもない。
莉緒はストレートに質問してみた。
「樹君の両親ってどうしてるの?」
「ん!ああ、おらへんよ。」
莉緒は、しまった!と思った。なんてデリカシーの無い質問をいきなりぶつけてしまったのかと、悔いた。
「いやいや、そういう意味やなくて。日本にはおらへんねん。今はアメリカで二人とも暮らしてる。」
紛らわしい!と、莉緒は少し腹をたてた。
「アメリカで何してるの?」
「CIAに勤めとるよ。」
これには莉緒だけでなく直も驚いた。
「えーっ!」
「えーっ!」
「……じ、冗談やで。普通の会社員。」
莉緒と直は、顔を見合わせ笑った。
なんだろうか?この不思議な感覚は。莉緒は懐かしくも楽しかった幼い頃を、ふと思い出していた。
最近では友達らしい友達もおらず、ましてや学校以外で、こうやって同級生と話をする機会もなかった。もうこの時点で、ここに来て良かったと莉緒は内心密かに思っていたのだった。
「ちょっとトイレ借りていい?」
「ええで。そこの突き当たりな。横に漏らすなよ、直。」
「はいはい。」
直がトイレに立ち、部屋には樹と莉緒の二人になった。
樹は一人、お茶を入れるべく忙しく動いていた。
「私も手伝うよ。」
「ほんまに。助かるよ。」
樹の横に行った莉緒は急に緊張し始めた。そして、何か話さなきゃと頭をフル回転させた。
「が、学校には、もう馴れた?」
頭をフル回転させて出た答が、この平々凡々な質問だった。
「そやな、だいぶ馴れたかな。皆、ええ奴やし……あーだけど、世良君は、ちょっと苦手やな。」
樹の、その言葉に莉緒は思わず吹き出した。
そこへ直も戻ってきた。
「なに?莉緒ちゃん、なんか楽しそうだね。」
莉緒は赤面して笑いを止めた。恐らく自分が一番ビックリしていたのだろう。まさか、二人の男子の前で心からの笑いが出るなんて、と。
その後、三人はゆったりとお茶でも飲みながら世間話しをしていた。その主な話題は聖域であった。
他校の生徒同士なら恋愛や友人関係の話しになったりするものだろうが、この野鹿高校の生徒たちにとっては、聖域の話しも、それと同じくらい日常的な話しなのかもしれない。
「この間から気になってたんやけど、聖域にあった、ステージとスクリーンで、どんなイベントやんの?」
樹の疑問に直が答える。
「あれは不定期で開催されるんだけど。ようはスポーツを対象とした賭け事なんだ。うちの学校の運動部の地区予選や全国大会を、あのスクリーンで生放送で見て賭ける。スポーツの種類は様々で、事前の情報も一切なし。部活している選手たちは、活躍すれば大量のポイントがゲットできる仕組みになっているんだ。」
「そんなことまでやんのかい!」
「これは賭けた生徒たちのポイントを一つにして当たった生徒たちに分配される。もちろん賭けたポイントが多い生徒が、よりたくさんのポイントが貰えるようになっている。」
樹は素朴な疑問にぶつかった。
「それって、やりようによっては八百長できるんちゃうか?」
今度は、これまで黙って聞いていた莉緒が口を開いた。
「それは多分、可能。でも誰もやらないよ。そんなこと。」
「なんで?」
「まず第一に部活やってる子たちは、そこでの活躍が成績に直結しているの。それに、その占める割合は非常に大きい。そして、対象になる試合は団体戦のみ。サッカーとかバレーボールが多いわね。もし誰かが、わざと負けてとお願いしても、その部活にいる全員分の報酬を渡さなければならないでしょ。」
確かにそれは骨が折れる、と樹は感じた。
さらに、今度は直が横から入ってくる。
「それに、この学校には特別なボーナスポイント制があるんだ。例えば町で人助けをしたとか、泥棒を捕まえたとかの特殊な状況だったり、誰かがスポーツ系の部活の人物に八百長やってと頼んだことを密告したりすれば、その生徒には大きなポイントが入るようになっているんだ。」
ここでまた、直から莉緒へバトンタッチ。
「それは文化系部活の生徒にも当てはまるわ。分かり易くいえば、入選したとかね。とにかく色んな状況でポイントゲットのチャンスを掴んだ生徒には、学校側が手厚い待遇をしてくれるのよ。運がいい人ってことでね。」
樹は頭が痛くなりそうだった。それは彼が考えていたより、遥かに
難しい状況下にあった。
「……あかんか。」
「そりゃ駄目に決まってるじゃない。これは純粋に運命を決めるためのゲームよ。それを軽々と越えられたら、真面目に運だけでやっている私なんて馬鹿じゃないの。」
樹には莉緒の思考回路が、よく理解できない。
しかし、咄嗟に閃いたように樹は言った。
「じゃあ俺は残り四回の聖域の間に学年トップに立ってみせる」と。