オープン!
遂に聖域への扉が開かれた。
生徒たちは静かに迅速に行動を開始した。扉をくぐる者、その場に留まる者。生徒の七割から八割は自動ドアを抜けて行った。
残った者は静かに黙々と本を読んでいたり、椅子にもたれかかって眠る体勢をとっている。
「行かないの?」
莉緒は興奮している様子になっていた。
「行くよ。」
赤色の絨毯が敷き詰められた聖域へと足早に消えていく莉緒。
その後ろを一歩一歩と踏みしめながら、のっそりと歩く樹。
白濁とした自動ドアが静かにスーっと開く。真下な絨毯は生徒たちの足音を吸収しているように、消し去る。
天井には大きく優雅なシャンデリアが、物凄い存在感を放っていた。そして皆の邪魔にならない程度に、ひっそりとジャズらしき音楽が流れていた。
「なんや、これ!」
思わず飛び出た樹の声に、スタッフらしき男がギロッと睨む。慌てて口を押さえた。
樹の目の前にある光景は、およそ学校と呼ばれる教育現場には相応しくないものであった――というより、あってはならないものだ。
それは、さながらラスベガスやマカオに、ある光景。
何も知らない者ならば、ここがラスベガスだ!と言い張れば、信じきってしまうであろう程の出来栄えである。
そう――そこには「カジノ」があった。
樹は棒立ちのまま、その空間を三百六十度、体をゆっくり回転させながら眺めた。
ルーレットにポーカー、ブラックジャックにバカラ。カードゲームが充実している模様である。
ディーラーも、きちんと居る。皆タキシード姿だ。見た顔が全くいないことから、ここのスタッフたちは教員ではなさそうだ。
他にも本場仕込みさながらのスロットマシンが、ずらりと並んでいる。
ホールの中央付近には大きなスクリーンが設置されており、何らかのイベントでも行われるのか、ステージらしきものも見える。
ここの空間は、かなり広い。恐らく上にあるであろう体育館と同等はあるだろう。
樹は莉緒の姿を確認した。彼女はスロットマシンに一心不乱にコインを投入中であった。
樹は一通り場内を見て回ってから聖域を出た。
休憩所に戻り、空いていたソファに腰を下ろした。
しばらくの時間が経つと生徒たちの出入りが激しくなってくる。
戻ってきた者の表情を観察していると、結果が手に取るように分かる。
そんなことをしながら時間を潰していた樹の元に一人の女の子が足取りも軽くやってきた。
「どうだった、聖域!」――莉緒だ。
いつもの彼女らしくない、ハキハキとした口調に樹は少し驚いた。
「凄いな……それしか言えへんけど。」
「でしょ。久我……あの樹君って呼んでもいい?」
「もちろん。構へんよ。」
「樹君もやってみなよ。楽しいよ。」
突然の出来事が次々と降りかかってくるような気分になった樹は、
「そうやな。もう少し様子見ようかな。ちょっと恐いわ。」
と、冷静に答えた。
「……そっか。」
莉緒は残念そうな顔を隠すこともなく、それだけ呟くと樹の元を離れていった。莉緒の後ろ姿を目で追っていく。すると、その先に何人かの生徒が集まっていた。樹は不思議に思い、その場所へと近づいた。
そこは売店であった。簡易的に作られた感がある、その売店は長テーブルの上にパンや弁当が、ずらりと並べられているだけの作りだった。
「そうか。もう昼か。」
樹は壁に掛けてある時計を確認して、言った。すると、突然に腹が猛烈に減ってきた気分になった。
しかし、ここで樹は重大な事実に気づく。
「あかん、財布忘れてきてもうた。」
声を押さえて呟く様に言ったつもりだった。だが、すぐ隣にいた男子生徒には、しっかり聞こえていた。
「ここの昼食は全部、無料だから好きな物を好きなだけ食べていいんだよ。」
「えっ!まじで!?」
「うん。」
「えーと確か――。」
「北条直だよ。久我君。」
樹は北条と話した記憶を探ってみたが、思い当たらず。
「そうそう。北条君やったな。初めまして。」
「今さら、初めましてって。」
北条は苦笑いしながら続けた。
「直、でいいよ。皆、そう呼んでるし。」
「オッケー。じゃあ俺のことは、樹って呼んでくれな、直。」
直は小柄で華奢な少年だった。おとなしそうな雰囲気に、どことなく口調が、おしとやかな印象だった。樹は何故か直のことを、そんな風に感じた。
「なあ直。俺たち、いつまでここに居ればええの?」
「えっ!?五時までだよ。先生から聞いていないの?」
「ど、どうやろ。俺、忘れっぽいねん。」
二人の会話だけが辺りに響いていた。気がつけば、他の生徒たちは手早く食事を済ませ聖域に戻っていた。もちろん莉緒の姿も、休憩所にはもう無かった。残った生徒は本を読んだり、ソファで寝転んでいる。
「樹は、行かないの?」
「今のところ、あんまり興味がないねん。直こそ行かへんの?」
「僕も正直、あまり興味がない……というより、何か怖くって。」
「そやな。その方がええ。」
直は樹の顔をジーっと見ていた。そこに、どんな意図があるのかは、分からなかったが、何かしらの信念があるような力強い瞳であった。
「そ、それじゃあ俺は、ちょっと昼寝でもしよかな。またな、直。」
樹は、そう言って昼食も摂らずにソファに横になった。
「変わった人だな、樹って。」
心の中で直は、そう呟いた。
それが良い意味なのか、悪い意味なのかは当の本人ですら理解できていなかった。