真面目なヒロインは、不真面目な勇者に対してお怒りのようです
シャロン・フォーレット。
騎士の家に生まれ、幼少の頃より父から剣を教えられ、騎士として真面目に健やかに育った少女である。
今年で十七歳。
白金色の髪はきらびやかに背へと流され、その優雅に剣を振るう姿は、見る者をたやすく魅了する。
剣の腕は同年代の若年騎士の中では随一。
隊長クラスの一流の騎士たちと比べても、遜色がないほどだ。
騎士としての勤務態度も真面目で、兵たちの模範となるという意味でも、誰よりも騎士らしい騎士であった。
欠点らしい欠点と言えば、その性格ゆえに融通が利かないことと、不真面目な上司や部下との相性が悪いことぐらいであるが──。
しかし、その欠点が色濃く出てしまったのが、今回の件であった。
「──団長、納得がいきません! どうしてあんな人が、勇者なんですか!?」
騎士団長の執務室。
執務机の向こう側の椅子に座る騎士団長に向かって、シャロンは机をバンバンと叩き、猛抗議をしていた。
シャロンの片方の手は、同じ部屋の中、彼女の斜め後方であくびをしている少年を指さしている。
年の頃はシャロンと同じぐらいだが、黒髪で黒い瞳という彼の身体的特徴は、この国ではほかに見ないものだ。
やや目つきが悪いことを除けば、顔立ちの整った美少年と言えるが、その覇気のない表情は、勇者というイメージが持つ精悍さからは遠くかけ離れている。
「机を叩くなよ……。品行方正なお前が、それだけ怒ってるってのも伝わってくるが……どうしてと言ったって、仕方ないだろう、勇者として召喚されたのが彼だったんだから」
騎士団長が、シャロンを嗜めるように言葉を返す。
つまりこの話は、こういうことだ。
この世界を災厄の渦に巻き込むと言われている「魔王」の復活が近いという報告を受け、世界各国では、召喚術士による「勇者」召喚の儀が行われた。
そして、この国で行われた勇者召喚によって、魔法陣の上に姿を現したのが、彼だったのである。
しかし、異世界から召喚された勇者は、この世界での常識を知らない。
そこで勇者の補佐役として任命されたのが、騎士団でも極めて優秀と評されるシャロンだったのである。
シャロンは当初、この誇り高き任務を、及ばずながらも全力でこなそうと意気込んでいた。
だが、それから半日が経過した今、彼女の心境は大きく変わっていた。
騎士の少女は、不服そうに言う。
「……机を叩いたのは、失礼しました。──でもあんな人、勇者として認められません!」
「あのさ」
そのシャロンの抗議の声に対して、発言権を求めるように片手を上げて口を開いたのは、彼女の後ろで眠たそうに様子を見ていた少年だった。
「本人の目の前で『あんな人』呼ばわりすんのは、騎士としてありなの?」
少年からそう言われて、シャロンはかああっと顔を真っ赤にする。
「あなたがちゃんとしていないから悪いんでしょうが! それに陰口を叩くのは良くないと思って、あなたのいるところで言っているんです!」
「あっそ……」
「それで、ちゃんとしていないというのは、具体的にはどんな具合なんだ?」
騎士団長が苦笑しながら、シャロンに問う。
シャロンは姿勢を正して、報告する。
「──はい。まず彼は、女性と見れば、すぐさま口説きにかかります。道具屋の娘、酒場のウェイトレス、冒険者ギルドの受付の娘、あと──とにかく、誰彼構わずです」
「そりゃ誤解だ。俺はかわいいと思った子しか、口説いてねぇよ」
少年が後ろから反論すると、シャロンはまた顔を赤くして振り返る。
「そっ──それならなおさら差別的です!」
「男なんだから、しょうがねぇだろ。あんただって、ブ男よりは美男のほうが好きだろ」
「なっ……そ、そんなことありません! 心さえ清ければ──って、今は私のことは関係ないでしょう!?」
「ははっ、男に夢見ちゃってるタイプか」
「こっ、このっ……!」
シャロンは少年を殴りたくなる衝動を、どうにか我慢する。
騎士団長はため息をつき、少女に先を促す。
「ほかには?」
「──は、はい。あと彼は、何かにつけて怠けすぎです。魔王の復活が迫っていると言われているのに、切迫した意思を感じられません。遊び歩いてばかりで──」
「いや、だってなぁ」
シャロンの言い分に、黒髪の少年は再び口を挟む。
「そんな漠然とした情報で、動きようがねぇだろ。だいたいせっかく異世界に来たんだから、観光ぐらいさせてくれよ」
「観光って……! 動きようがなかったとしても、今のうちに己の実力を鍛えておくとか、やれることはあるはずです!」
「だからやってるじゃん。街の外に出て、スライムを倒したり」
「一時間も頑張ってないじゃないですか! ちょっと出て行って、パパッと倒して、帰ってきて遊んでいただけでしょう!?」
「だから、一日に一レベルしか上がらない仕様になってるんだって。それ以上やっても意味ないんだよ」
「何を言っているのか意味が分かりませんー! 『れべる』って何ですかぁ~? だいたいあなた、勇者のくせにめっちゃくちゃ弱いんだから、少しは焦ったらどうなんですか?」
「焦っても事態は好転しねぇよ」
「あなたには切迫感が足りないと言っているんです!」
やんややんやと言い争いを始めた二人を見て、騎士団長はため息をつく。
「──で、シャロンは以上の理由を持って、勇者様の補佐役を降りたいと、そういうわけか?」
上司からそう聞かれると、シャロンは慌てて、
「……い、いえ。一度任務を受けた以上は、勤めを果たしきるのが、私の役目だと思っております」
と、顔を赤くしながら、しぼむように言う。
じゃあ一体何をしに来たんだ、という呆れの言葉を飲み込んだ騎士団長は、今度は勇者へと問う。
「勇者様も、もし彼女では問題があるようなら、改めて補佐を立て直しますが、いかがいたしますか?」
そう問われた勇者は、こちらはふてぶてしい様子で、
「俺は別に、今のままでいいよ。こいつからかうの結構楽しいし、何よりかわいい女の子が身近にいたほうが、やる気出るしな」
その少年の言葉を聞いて、シャロンはやはり真っ赤になって、ぱくぱくと口を開閉するが、その口からは何ら気の利いた言葉は出てこなかった。
「決まりだな。ではシャロン、これまで通り、任務は続行だ」
「……はい、分かりました」
騎士団長からの命令に、不服そうにしながらも従うシャロンである。
「──何なのあの人!? あんな人が勇者様だなんて、信じられない!」
その日の任務を終えて帰宅したシャロンは、風呂場でぷんすかと怒りながら、体を流していた。
簡易魔術の一般人への普及に伴って発達した入浴の文化は、今や国内全土にまで広がっている。
シャロンは体を洗い終えると、木造の湯船の縁をまたぎ、なみなみと張られた湯へとその身を浸からせてゆく。
そして頬にためた空気をブクブクと吐きながら、顔の半分までを湯の中に沈めてゆく。
(……あんな人が、勇者様だなんて……)
そう心の中で反復するシャロンの脳裏には、子どもの頃に読んだ物語に登場する「勇者」が思い浮かんでいた。
真面目で、勇敢で、思いやりがあって、優しくて──そして、強い。
幾多の強大なモンスターを苦闘の末に、しかし必ず退治して、最後には魔王をも打倒する。
(……まるで正反対じゃない)
不真面目で、女好きで、人のことをからかって楽しんで──そのくせ全然弱い。
訓練場で手合わせをしたら、彼はまるで素人同然の鈍い動きで、シャロンはあっという間に、彼の剣を弾き飛ばすことに成功してしまった。
それでいて彼は、「なるほどな」なんて言って、負けたことを悔しそうにもしていなかった。
そしてそれっきり、諦めて手合わせをやめてしまったのだ。
それから後は、彼は街の外に出て最弱のモンスターと少しだけ戦ったかと思うと、何体か倒したところで、あっさり街に戻ってきてしまった。
そしてその後は、街で遊び呆けては、女の子の尻を追い回してばかり。
(……あんなダメ人間に、どうして……)
──どうして、自分は胸を高鳴らせているのだろう。
結局のところ、シャロンの一番の悩みはそれだった。
シャロンは湯船から顔を浮上させ、つぶやく。
「……一番ダメなのは、私だ」
あんなダメ人間に恋い焦がれてしまった自分。
そのことを認められなくて、彼に八つ当たりしてしまう自分。
彼がほかの「かわいい」女の子にも、のべつまくなし声を掛けているのを見て苛立つのは、ひょっとしたら──いやひょっとしなくても、嫉妬なのかもしれない。
素直になれない自分は、どこまでも卑怯になっている。
「本当に、なんであんな人を好きになっちゃったのよ、私……」
湯船の中で胸に手を当て、その鼓動を抑えようと試みても、何の効果もない。
自分の心を胸の中から引っこ抜いて、新しくて正常なものと交換できたら、どんなにいいことか。
かと言って、自分の気持ちに素直になるというのも、怖かった。
彼は今の私のことを、何だかんだ言いながら、結構気に入ってくれているように思う。
素直に自分をさらけ出して、その自分に対して彼が興味を失ったらと思うと、怖くて仕方がなかった。
「私は……卑怯だ」
浴室の天井を見上げながらつぶやく。
そして、このままだとのぼせてしまうなと思ったから、湯船からあがり、浴室を出た。
明日も彼に遭えると思うと、嬉しさで胸が高鳴っていて、それがまた、彼女の自己嫌悪を増していた。
勇者は、翌日以降もちょっとだけ街の外でモンスターを倒しては、その後遊び呆けるという日々を過ごした。
シャロンはその彼の後ろをついて回り、彼を叱責しては、逆にからかわれるというような日々を過ごしていた。
──最初、『それ』は気のせいかな、と思っていた。
二日目に彼がモンスターと戦っているところを見ていて、あれ、昨日よりも格段に動きが良くなってない? と思ったのだ。
昨日の一日で戦い慣れしたのかもしれない、とそのときのシャロンは結論した。
しかしそれが三日目、四日目になってくると、その様相が顕著になってきた。
彼の動きが、日を追うごとにぐんぐんと、とてつもないスピードで洗練されていったのだ。
戦い慣れ、なんていう言葉ではとても説明がつかない、異常な進化である。
五日目の街の外でのモンスター退治が終わったとき、シャロンはついに我慢ができなくなって、彼に再びの手合わせを申し入れた。
彼は、「別にいいけど」と、その場で引き受けた。
街の外の荒野。
シャロンの正面、数歩ほどの間をあけて立った黒髪の少年は、無造作に半身で立ちながら、右手の剣を肩に置いていた。
シャロンは、自らの剣を正眼に構え、まっすぐに少年を見据える。
「……構えなくていいんですか?」
「そういうの知らねぇし。いいから掛かって来いよ」
「そうですか。でしたら──遠慮なく!」
言って、シャロンは地面を蹴った。
おそらくは何万回と反復練習した、踏み込みの動作からの、打ち込み。
素人があの構えから、この一の太刀を防げるわけがないという一撃。
しかし、次の瞬間──ギィン、という音を立てて、シャロンの剣が弾かれていた。
少年の剣が、瞬く速さで閃いたのである。
「なっ……!?」
シャロンがどうにか剣を手放さずに済んだのは、奇跡だったかもしれない。
しかしシャロンの体勢は、弾き飛ばされそうになった剣に引っ張られ、後方へと流されていた。
その隙をついて、少年の剣がシャロンの首元に突きつけられる。
あっという間の決着だった。
少年が剣を引くと、シャロンは崩れ落ちるように、ぺたんと地面に膝をついた。
少女はまったく、呆然としていた。
「どうして……」
数日前は、シャロンの方が赤子の手を捻るように勝利していた。
それが、たった五日ほどで、立場がまったく逆転してしまった。
シャロンが幼少の頃から、十年以上の歳月をかけて、汗と努力を積み重ねることで培ってきた実力。
どんなにやる気が出ない日でも、自分に鞭打って毎日剣の素振りを続けてきた。
同い年の子どもたちが集まって遊んでいるときも、シャロンは父の前で黙々と剣を振り続けた。
そうすることで自分が進歩してゆくことが、楽しくなかったと言えば嘘になるが、一方でもうやめたいと思うほど苦しかったことも、何度もあった。
それでも頑張って、頑張って積み重ねてきた自分の十年が──こんな不真面目な少年の、たったの五日間に追い抜かれた。
自分の努力は、すべて無駄で無意味なものであった──そうバッサリと切り捨てられたように、シャロンは感じていた。
「こんなの……ずるい……」
いつしかシャロンは、ぎゅっと両手を握りしめ、瞳からはほろほろと涙を流していた。
一方で、しゃがみこんだシャロンの目の前に立つ少年は、困ったという様子で頬を掻く。
「こっちは勇者なんだから、仕方ねぇだろ」
そう言う少年に対し、シャロンは涙声を隠そうともせず、嗚咽しながら言葉を返す。
「……だったら、もっと勇者らしくしてよ……」
「嫌だ」
「……ケチ」
その言葉が、自分の中からどうして出てきたのか、シャロンは不思議だった。
でも言ってみて、すごくしっくりときたので、ああそういうことなのかとようやく気付いた。
「ぷっ……はははっ、ケチか、そっか。あっははははは!」
少年が、お腹を抱えて笑う。
それにムッとしたシャロンは、すっと身を起こす。
「おっ……?」
シャロンは、笑っていた少年の首の後ろに腕を回して──不意打ちで、少年の唇を奪った。
そしてすぐに離れると、さしもの少年も、ポカンとした顔をしていた。
「笑われた、お返しです。……バーカ」
すねるように言って、シャロンは勇者を置いて一人、街へと引き上げた。
シャロンはその日、人生で初めて、任務をすっぽかした。
「あああああっ……もうダメだ、おしまいだぁ……」
そしてその日の夜、シャロンは風呂場で頭を抱えていた。
その日、何度目にもなる後悔であった。
このまま湯に溶けて、消えてなくなってしまいたい。
そう思いながら、シャロンは湯の中に、ブクブクと沈んでいった。
翌朝シャロンは、死刑囚が断頭台へ赴くような心持ちで、勇者が宿泊している宿へと向かった。
宿の入り口をくぐり、その正面のカウンターにいた女将に勇者の所在を訪ねると、「もう出かけちまったよ、一緒じゃなかったのかい?」、なんて答えが返ってきた。
シャロンはいたたまれない気持ちになって、宿を出る。
宿を出たら、目の前に黒髪の少年が立っていた。
シャロンの心臓が、口から飛び出しそうになった。
「来いよ」
少年はシャロンの手を引き、ずかずかと裏道へと入ってゆく。
わけも分からず、引っ張られるままについてゆくシャロン。
そして、人気のなくなったあたりで、シャロンは少年に、力ずくで壁際へと押しやられた。
少年はシャロンの正面間近に立ち、壁に手をついて、シャロンを威圧する。
「あのさ」
吐息がかかるような距離まで顔を接近させた少年が、シャロンに問いかける。
「──あんた、俺のこと好きなの?」
その言葉でシャロンは、蛇に睨まれた蛙のように、身動き一つ取れなくなった。
嘘をつくことすら、許されない──そんな錯覚をして、シャロンはつい、本音を漏らしてしまった。
「……はい」
そのシャロンの自白を聞いた少年は、シャロンを解放し、自らはバリバリと頭を掻く。
「ちっ……何でだよ。俺が女好きだってのは、知ってんだろ」
「……うん」
「いいのかよ」
「……良くない」
「なんだよそれ。じゃあなんで俺なんだよ」
「……そんなの、私の胸に聞いてください」
「こうか?」
ぽよん。
少年の手が、少女の胸を襲った。
シャロンの顔が一瞬で沸騰する。
「なっ、なっ……違います! そういう意味じゃ──って揉むなああああああっ!」
ふにふに。
少年は、シャロンの胸に手を置いただけでは飽き足らず、さらにその柔らかいものを取り扱っていた。
シャロンはバッと、己の身を少年の魔の手から離す。
「あ、わりぃ、つい」
「つい、で人の胸を揉む人がありますか!?」
「いや、あんまり触り心地がいいもんだから」
「ふー、ふー」
「威嚇のしかたが、小動物みたいだな。──なあ、ちょっと」
少年が、少女に向かって手招きする。
「な……なんですか」
「いいから」
そう言われて、シャロンは警戒しながらも、手招きされるままに少年に近づいてゆく。
すると少年は、シャロンがかなり接近してきたところで、片腕で少女の細い肩を抱き寄せ、もう片方の手でその白金色の髪をなで始めた。
「ふにゃっ!? な、な、何してんですか!」
少年の腕の中に納まったまま、自分より少し背の高い少年の顔を至近距離で見上げ、自らの顔を真っ赤にして抗議するシャロン。
「いや、小動物みたいだから、こういうの似合うかなと思ったんだけど。思った以上にしっくりくるな」
「ううっ……離してください……」
「そんな離してほしくなさそうに言われても」
「だってぇ……き、気持ちいいんだもん」
「……あんたときどき、とんでもない破壊力の言葉吐くよな」
少年は、しばらく少女を腕の中でなでなでしたあと、彼女を解放した。
「でも、俺はやめとけ。あんたみたいなクソ真面目なのは、俺には見合わねぇよ。もっといいやつ探せ」
「……じゃあ、なんで粉かけてきたんですか」
「そりゃあ……かわいいと思った子には、とりあえず声かける主義なんだよ」
「ずるいです。私ばっかりドキドキさせられて」
「……そうでもねぇよ」
はたと気が付いてシャロンが見ると、少年は顔をわずかに赤らめて、そっぽを向いていた。
シャロンの表情が、ぱああっと輝く。
「だ、だったら、脈ありと見ていいですね」
「だから、最初から脈はあんだよ。あんたが俺の浮気性を許せるかどうかだ」
「許しません。でも、私が勝手に好きになるのは構わないですよね?」
「止められねぇだろそんなの。……ああもう、好きにしろよ」
「分かりました。好きにしますっ」
シャロンは少年の片腕に、ぎゅっと抱きついた。
少女の豊満な胸が、少年の腕に押しつけられる。
「なっ、おまっ……キャラ変わってねぇか?」
「もう振り切りました。覚悟してください」
「お、おう」
──それは、ハーレムを作る予定だった勇者の身に起こった、ちょっとイレギュラーな物語であった。