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08

                     *



「ここか……。まず案内してくれるというのは……」


「そうよ。ここが、戦乱を逃れた人々が住む場所よ」


 ケイトがまず案内してくれたのは、華やぐ市街でも名所でもなく、薄汚い貧民街だった。


 貧民街には難民街も併設されていて、タイクニアやその他の国から、各国軍やジョン・ドゥ、アラン・スミシーなどの手から逃れてきた難民達が、避難してきているという。


 ろくでもないが、これが世界の現実だ。


 ああ。こんな世界、ケイトの言うとおり、壊れてしまえばいいとも思う。


 それはともかく、ケイト達神殿街の姫巫女達は、難民に食料や衣服などを避難民達に提供し、彼らを支援しているそうだ。


 パリスの街外れにある貧民街の更に外れ。


 元は畑か何かだったと思われる場所に建てられた天幕群をぼくは見渡した。


 ある意味で壮観な光景だった。


 一面の天幕の海。その波間を泳ぎ、行き交う人という名の魚達。


 まるでそこは大洋にも思えた。茶色の大洋。


 天幕の前に座り込む彼らの眼は一様に沈み、闇のように暗かった。


「わたくし達は、ここで食事や衣類の配給などを行っているんですよ」


 後ろを振り向くと、術法士や森僧などの巫女達が、宙に浮かぶ大きな円盤や動物などに、大きな箱や深底の鍋などを載せて運ばせていた。


 難民宿泊地の中央にある広場に巫女達がたどり着く。


 彼女らは、その食事などが入った荷物を載せた円盤などを広場に浮かせた。


 そして拡声術法で、自分達の到着を知らせる。


 あっという間に、器や匙などを持った難民達が四方八方から現れ、汁の入った大きな鍋などに群がる。


「お待たせいたしました。温かい野菜と肉汁ですよ」


 巫女達は難民達を綺麗に並ばせ、彼らに配膳していく。


 難民達はそれぞれが信じる宗教の祈りを捧げ、食事を受け取ると、思い思いの場所で、温かい食事を口にする。


「さて、ここは彼女達に任せて、わたくし達は難民街を巡回しましょうか」


「ああ」


 言われるがままに、ぼくはケイトと並ぶ。


 そして残りの巫女達を引き連れ、難民宿泊地と渾然一体となった貧民街へと向かった。


 貧民街はグラン・ロンデニオンにもある。


 だからその汚さ、臭さは知っているけど、パリスの貧民街はそれはそれで個性があった。


 貧民街だけど、どこか小奇麗なのだ。


 それは区画がある程度整っているからだと、ぼくは気がついた。


「そうですわ。もともとこの街区は、昔は富民の住むところだったんです。それが市街の拡大と人口の増加により富民街が移動し、ここに貧民が住むようになったんです」


 ぼくの疑問に、ケイトはそう答えてくれた。


 街は薄汚かったが、そこに住む人達は明るかった。


「おお、巫女殿。ごきげんうるわしゅう」


「お元気ですか、おじいさん」


「はは、元気じゃよ。足はよう動かんがな。この間政府の兵士にやられたんじゃ」


「まあ、なんてこと。早く良くなるといいですね」


「巫女殿にそう言われると、すぐにでも足が良くなりそうじゃな」


「では、ごきげんよう。おじいさん」


「ごきげんよう、巫女殿」


 出会う人達の多くが、ケイト達に挨拶を返してくれる。


 彼らは、巫女達に尊敬の念を抱いているのだ。


 オアーズ・パンテオンの信仰はまだ根強いんだな、と感心したその時だった。


 目の前から、変な男が現れた。貧民街によくいる家無し人や狂人ではなかった。


 王族や貴族が着るような、仕立てのいい服。


 そんなここには似つかわしくない服を着たひげ面の男が、ぼくらの横を通り過ぎたのだ。


 そしてさらに気になったのは、その男が、首に女物と思われる、青い宝石がはめ込まれたペンダントをぶら下げていたことだった。


 妙にその男が気になり、ぼくは振り返った。


 が、男の姿はどこにもなかった。


 おかしい。今通り過ぎたばかりなのに。


 そう首をひねると。


「どうしたのですか? ジャービスさん?」


 ケイトが怪訝そうな顔で問いかけてきた。


 いや、なんでもないよ。


 そう返したものの、ぼくの胸には薄気味悪いものが溜まっていた。


 何なんだ……。あいつは。


 そう思いながら、ぼくはケイト達とともに貧民街の中へと歩みを進めた。


 しばらくすると、市場のような場所に出た。


「ああ、ここは貧民街にある、大広場の市場とはまた別の、貧民用の市場ですよ」


 野菜や肉、魚介類、あるいは動物や道具などが、それぞれの露店などで売られている。


 それなりに店がある市場だけにに、賑わいぶりはひとしおだった。


 それでも。


「やっぱりちゃんとした市場と比べると、品物は少ないのよね……」


 ケイトがため息をつく。


「そうなんだ」


 言いながらぼくは左右を見る。


 行き交う人々はそれなりに多い。


 が、ブリティアの王都、グラン・ロンデニオンの朝市と比べると、それぞれの店で並べられている品目の少なさが気になった。


 というか、野菜や肉などが生や新鮮なものよりも、干したものや燻製させたものが多いのだ。


 その点を巫女達に指摘すると、巫女達が答えた。


「さすが察しがよいですわね、救世主メッシアさま。最近は各地との通行も遮断気味になっているので、地上では、保存してあった干し野菜や干し肉などの貯蔵を切り崩して売る店が、多くなっているのです」


「それにつれて、野菜や果物の種類も入れ替わっていますネー。昔はオアーズ古来の野菜などが多かったのが、今ではどこから来たのかわからない、新しい野菜などに商品の主流が入れ替わっていますネー」


「昨日食べたピズザも、その新しい野菜が具材として使われてることが多いですのよ」


「なるほどね」


 どことなく刺を含んだ言い方を聞きながら、ぼくは頷く。


 やはりジョン・ドゥの影は、ここでもか。これは早く排除しないといけないな。


戦乱さえなければ、もっと人もものも賑わって、もっといい市場になるだろうに。


 そう納得しながら、ある露店の前を通り過ぎようとした時だった。


「あらぁ、ケイトちゃん!?」


 そう呼ばれて、ケイトの足が止まる。


 つられてぼくと、巫女達の足も止まる。


 ぼくらが声のした方を向くと、露店の中から、歳は四十台だろうか、恰幅の良いおばちゃんがこちらに笑顔を向けていた。


「ああ、フェルネさーん」


 ケイトも笑顔を返し、露店の方へと近寄っていく。


 露店の中では色とりどりの果物が売っていた。


 干したものとかではなく、新鮮な果物だ。


「この人は……」


「フェルネおばさん。パリスの郊外で果樹園を営んでいるの。わたくし達の神殿街でも、お世話になっているわ」


 そのフェルネおばさんは、ぼくとケイトを交互に見ると。


 おやあ、という目つきで尋ねてきた。


「あらぁ、珍しく男と姫巫女達なんて連れてぇ? お客さん?」


「いいえ。馴染みの相方よ」


 ケイトがそう答える。


 ちょっと待て。ぼくはただの初見の客じゃないのか。


 いつの間にか馴染みの客扱いになっているじゃないか。


 ぼくがびっくりしたのをよそに、フェルネおばさんとケイトの会話は続く。


「あらぁ、彼氏出来たのぉ? 身請けでもするつもり?」


「ちょっと……、ね」


「まあ、このところ物騒な世の中だからねえ。早く身請けでもなんでもして、このパリスから抜けだして、どこか静かな田舎にでも行くといいわよぉ。昨日、神殿街が襲われたと言うじゃない。あなた達、大丈夫だった?」


「ええ、なんとか」


「あのね」するとフェルネおばさんは声をひそめて言う。「なんでも、遊女の誰かが持つ何かを狙って襲ってきたんですって。それってどうやら強力な術法の品の一部らしくって、王室の何処かから持ちだされたらしいのよ」


「……」


 わずかに、ケイトの表情が険しくなった気がした。


 それに構わず、おばさんは話を続ける。


「なんでも、それにはどんな願いも叶える効果とやらがあるらしいのよ。本当にそうなのかはわからないけれども。まあ、簒奪王が喉から手が欲しくて奪いに来るくらいだから、本当なんでしょうけどねぇ」


 簒奪王。おそらくはルイム十六世のことだろう。


「ケイトちゃん達、気をつけてねぇ。貴女みたいないい人は、はやく苦界から出るべきなのよぉ。だ・か・ら。そこのいいお兄さん」


 フェルネおばさんにいきなりそう振られて、ぼくはぎょっとした。


 おばさんは、目の前の棚から真っ赤な林檎を、次々と茶色い紙袋の中に入れる。


 そして袋をぼくに素早く手渡す。


 ちょ、ちょっと重いよ。こんなに……。


「皆を、身請けしてやって。このしがない果物売りからのお願いよぉ。林檎もお願いよぉ」


「は、はぁ」


 その妙な迫力に負けて、ぼくは林檎を受け取った。


 ケイトはその光景に苦笑いしながら、空いている手を振る。


「おばさん、林檎をありがとうございますわね。この御礼はまたいつかいたします」


「いいっていいって。あなた達の神殿とはいつも懇意にしてもらっているし。お礼はいらないわよ」


「わかったわ。じゃ、おばさん。また」


「じゃあね~。お兄さん、巫女達を大事にするのよ~」


 露店から遠ざかるぼくらの背に、威勢のいい声が投げかけられる。


 完全に遊女買いの色男と思われてるよ……。


 ぼくは内心でぼやきながら、ケイトと腕を組み、貧民街の通りの中を歩いて行く。


 ぼくは、手に持っている赤くつやつや光るものが入った袋を見た。


 林檎の甘い匂いが、袋の中から漂ってくる。


 さて、この林檎どうしよう。今食べてもいいんだけど、歩きながら食べるのも、ちょっとね。


 ここは背負い袋にしまっておこうかな。


 いや、しまっておいて食べるのを忘れてしまうということもあるし。


 と哲学的問題のように悩んでいると、


「林檎? 後で神殿に帰ったら、皮を剥いて食べさせてあげよっか?」


 隣から天啓が。


 ああ。ケイトがそうしてくれるなら。


「じゃ、お言葉に甘えて」


 ぼくは言いながら背負い袋を背中から回す。


 袋の中は術法がかかっていて、物が腐ったりということもない。


 この林檎は、あとで食べよう。林檎が入った袋をしまった、その時だった。


 遠くで大きな悲鳴が上がった。


 あれは……。難民宿泊地の方だ。


「あれは……」


「難民宿泊地の方でなにか起きたのかしら!?」


 その時、巫女の一人が通信用術法で難民宿泊地にいた別の巫女と通信していたらしく、


「救世主さま、難民宿泊地で暴動だそうです!」


 とひたいに汗をにじませて叫んだ。


 ぼくはケイトと顔を見あわせた。彼女の大きな目が更に大きくなっていた。


「難民達のところに戻ろう!」


「ええ!」


 ぼくらは加速用の術法をかけると、一目散に難民宿泊地へと走る。


 難民宿泊地に戻った僕達が見たものは。


 地獄、だった。


 そこかしこで難民達が殴りあっていた。


 あるものは棍棒で女性に殴りかかる。あるものは刃物で老人を刺そうとする。あるものは松明を少年に投げつける。


 先ほどまで食事の温かみであふれていた難民広場は、悲鳴と怒声と叫びが交錯する戦場へと変わっていた。


 難民広場で、食事などを配膳していた巫女達は、次々と睡眠術法や捕縛術法などで、暴れる難民達を拘束・無力化していたけれど、いかんせん数が多すぎた。


 巫女達が次第に一箇所に集まっていくのが、人の間からわずかに見えた。


 暴徒達から身を守るためだ。


「皆、ついてきて!」


 ぼくは加速術法を維持したままケイト達の先頭を行く。


 目の前に立ちふさがる暴徒を次々と殴る。


 あるいは麻痺スタン系術法でしびれさせて、巫女達の元へと向かう。


 ぼくらはなんとか巫女達の円陣のもとに辿り着き、中央で指揮を取っているシュレナさんに大声で叫ぶ。


「なにがあったんですか!」


「わからんのさ! あたしにも! 食事を配膳していたら、遠くで殴り合いが始まって、あっという間にここにいる難民達に伝染して……。なんなんだこいつは!」


 シュレナさんでもわからないほど原因不明か。


 そんなことより、この暴動を何とか収めないと。


 ぼくは巫女達を見た。どうすればいいのかわからない顔をしている。


 これだけの数なら。数には数だ。


 ぼくは巫女達に向かって叫んだ。


「円陣術法! 睡眠術法を全方位に掛けるんだ!」


 円陣術法。


 それは、多数の術法士が同調して一斉に同じ呪文を掛け、効果を増幅させる詠唱方式だ。


 それにより、本来の術法の効果よりも広範囲、高威力の術法などを掛けることができるのだ。


「は……、はいっ!」


 疑問を含んだ声色が聞こえてきたが、他に手はないと悟ったのか、巫女達が一斉に頷く。


 ぼくの指示を聞いた巫女達の中で、術法が使えるものが一斉に睡眠呪文を唱える。


 同じ呪文が、美しい合唱のように響き渡る。


 巫女の合唱があたりに鳴り渡ると、甘い桜色の霧が円陣の外側に突如として現れた。


 霧というよりは、雲だ。


 その雲は、暴徒達を包み込んだ。


 何も見えなくなる。


 何も聞こえなくなる。


 そして、しばらく沈黙の時が流れる。


 ゆっくりと雲が晴れると、さっきまで暴れていた暴徒達が、全員倒れていた。


 まるで虐殺の後のように。


 しかし、虐殺と違うのは、その死体が息をしていることだった。


 生きているのだ。睡眠術法で眠っただけなのだ。


 しかし、倒れた人の中には血だらけのものもいた。


 中には本当に死んでいる人がいるかもしれない。


「よし、治療系の術法が使えるものはすぐに手当をしてくれ! 精神安定系の術法も忘れるなよ!」


 ぼくはすぐさま次の指示を出した。


 一瞬の間の後、巫女達は円陣を崩す。


 彼女らは、波打ち際に打ち上げられた魚の群れのような、難民達の治療に当たる。


 ぼくもケイトとともに、怪我をした難民の手当にあたった。


 近くに倒れていた老人の手当だ。


 頭から血を流していた老人に、まずは精神を落ち着かせる術法を掛ける。 


 それから治療系の術法を掛ける。


 さらに水を飲ませると、ようやくのことで意識を取り戻した。


「なにがあったのですか……?」


 ケイトが、子供をなだめるような声で難民の老人に声をかける。


 老人は、彼方からの領域から来た神を見たような表情で、


「ジョン、ドゥ、じゃ……! ジョン・ドゥがきたんじゃあ……! あの男が虐殺を連れてきたんじゃあ……!」


 老人が彷徨う目でつぶやくうわ言に、ぼくはケイトと顔を見合わせた。


 ジョン・ドゥ。


 虐殺の使者。


 奴がここに来たのか。


 その時、ぼくの脳裏にある光景が蘇った。


「あの、その『あの男』って、王族とか貴族が着るような綺麗な服を着た男じゃありませんでしたか。胸にペンダントをぶら下げた……」


 ぼくの問いに、老人はなぜそれを、とぼくの方を見て、こわごわと語った。


「そうじゃよ……。あの妙に小奇麗な男じゃあ……。あの男が現れ、すぐに消えてから、ここが地獄になったんじゃあ……」


「そうですか……。やっぱり……」


 やっぱりそうなのか。あの男が、ジョン・ドゥなのか。


 しかし、あいつを何処かで見たことがある……。


 あいつを、ぼくは殺しに来たんだ……。


 ぼくは、ジョン・ドゥを殺さなければいけない。


 そう思った時だった。


「ジャービスさん? どうしたのですか? なにか怖い顔をしておりますわよ……」


 不意に声が隣から飛んできた。ケイトだった。


 彼女の顔は、虫が嫌いな女性が、不意に現れた虫を見つけた時のような顔をしていた。


「いや、なんでもないよ……」


 ぼくは笑おうとしたけれども、顔が硬い伸縮布のようになっていて、うまく笑えないのが、自分で感じ取れた。


 ジョン・ドゥ。奴は一体何者なんだ。



                     *


 難民キャンプで後始末を終えて、ぼくとケイトは話し合っていた。


「ねえ、どういたします? これから。あんなことがありましたし……」


 ケイトの困り果てた表情を見てぼくは考える。


 巫女達に、してやれることか。


 ……こんな時は気分転換がいいか。


 気分転換には、食べるのが一番だ。


 よし。


 ぼくはケイトに言った。

「パリスの街で、女子に人気の食べ物屋とか知らないかな……」


 ぼくの問いにケイトは一瞬目を丸くしたが、次の瞬間には満面の笑顔で応えた。


「ええ、知っておりますわよ! とびっきりの場所が!」


「よし、そこへ行こう。案内頼む」


「はいっ、わかりました救世主さまっ!」


 ぼくの言葉に、ケイトは表情で、皆に命令するために駆け出していった。


 なんだかんだ言って、主姫巫女の務め、嬉しそうにやっているじゃないか。


 ぼくも顔に笑顔を浮かべ、ケイトの様子を見ていた。



                     *


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