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06

 第二部




心の奥底で、チクタク、という音が鳴り響いていた。



 その音が、どこかへと遠ざかっていく。


 音が消えると同時に、ぼくは、目を覚ました。ゆっくりと体を起こす。


 頭に触れる。痛みはなくなっていた。


 ぼくが寝ていた隣には、ケイトの健やかな寝顔があった。


 まだ目を覚ましていない。良かった。


 安堵して、広い部屋を見回す。


 それはそうと。


 ぼくは、この部屋に来て以来、気になっている場所がある。


 奥の方にある、机や本棚だ。


 正確には、その上や中にある本や原稿に、興味があった。


 ぼくは、寝台を抜けだすと、机に近づき、本の一冊を手にした。


 紅い色のきれいな製版の本の表紙には、リュビ・ポミエという名前が刻まれている。


 その名前に、ぼくはどきりとした。


 リュビ・ポミエ。ぼくが好きな、タイクニアの人気女流作家だったからだ。


 筆名だけが知られていて、その正体はわかってない覆面作家のポミエ。


 彼女は、少女や女性を主人公とする物語で人気を博している。


 その中でも「少女巫女物語」という、神殿巫女を描いた一連の作品集は、大人気作だ。


 ぼくが手にしているこの本も、少女巫女物語の一冊に違いない。


 ん。この原稿。


ぼくは、原稿を手にとった。


 その原稿には、少女巫女物語の登場人物に、新しい登場人物。そして、新しい物語が描かれていた。


 これは。少女巫女物語の、未発表の原稿。


 こんなものがこんなところにあるってことは、もしかして……。


 その時だった。大きな寝台の方から敷布が擦れる美しい音が聞こえた。


 振り向くと、丁度ケイトが目覚めて、起き上がったところだった。


 うーん、と背を伸ばすと、ぼくと視線が合う。


 そしてケイトはいきなり飛ぶように寝台から降り、ぼくのそばへと駆け寄る。


 首にかけられている、金の装飾に、青く輝く宝石がはめ込まれた綺麗なペンダント。


 それが、胸の揺れに合わせ、左右に勢い良く揺れた。


「何してるの!? わたくしの本読まないでよ!?」


 ケイトは、顔を真っ赤にして噛み付く。


 ああ、そうなんだ。やっぱり。


 ケイトの怒った顔は、当然のごとくかわいい。


「本を読んでた。本が好きだから」


「だからと言って人の本読まないでよ!?」


「そう。きみの本、なんだね……」


「何よ?」


「きみが書いたんだね」


「え? ええ?」


「きみは、リュビ・ポミエなんだね……」


「ど、どどどどうしてそう思うのよ!?」


 図星だった。


 やっぱり、君は。リュビ・ポミエなんだ。


「少女巫女物語の、今まで読んだことのない原稿があったから……」


「あ……、ああああああ!!」


 次の瞬間、ケイト、いや、リュビ・ポミエはしゃがみこんで頭を抱えた。


 そして呻くように言う。


「こんなところでわたくしの読者と会うとは思わなかった……!」


 というか。客商売で読者と出会うと思わなかったのかね、君は。


 その突っ込みを飲み込んで、ぼくはポミエの頭にそっと手をやる。


「ぼくも大好きな作家と、こんなところで出会うとは思わなかったよ」


 そして優しく頭を撫でる。


 こうやって撫でていると、なんだか犬か猫の頭をなでているみたいだ。かわいい。


 そうやってしばらく撫でていると、ケイトが頬を赤らめながらぼくを見上げた。


 そして尋ねる。


「ねえ……、署名サイン、いる?」


「どうして」


「あなた、わたくしの愛読者なのでしょう。ご必要でしょうか、と思いましたし。それに、昨日、あなたを気絶させちゃったし、そのお詫びとして」


「いや、いらないよ」


 ぼくは、即答した。その答えしかありえなかった。


 ぼくの答えに、ケイトは少し目を丸くする。


「どうしてですの?」


「きみに会えたことで」ぼくは言った。「きみの署名はぼくの胸に深く刻まれたよ」


 次の瞬間。


 ケイトは顔中をそれこそりんごのように真っ赤にして、首を振りぼくの手を払いのける。


「も、もっ……! なんてこと言うんですかっ!!」


 そのまま手足をしばらくばたつかせる。


 ケイトはかわいいけど、こうかんしゃくを起こすのは玉に瑕、か。


 あ、こら騒ぐな暴れるなじたばたするな。


 もう。見かけと違ってこんなところは本当に子供っぽいな。


 しばらく放置しておいて、落ち着かせておく。


 それから、ぼくは再び机の上にある本や原稿用紙を見て、言った。


「神殿巫女物語で、巫女達の細かい描写が上手だったのは、いつも彼女らのそばにいたからなんだね」


「……ええ、そうなの。ここにいたから、できたことなの」


「巫女スマウの描写なんて、まるで自分がスマウをとっているように思わされたよ。ドヒョウ上の臨場感とか、密着感とか飛び散る汗とか肌の痛みとかの皮膚感覚が」


「そ、そう? そんなに良かった?」


「ああ。本当です」


「……書いていて、本当によかったです」


 ケイトがぼくを見つめながら見せる笑顔は、嘘じゃないな。


 嬉しかったんだな。本当に。


「また、君の新しい小説が読みたい、です」


 言いながらぼくは、ケイトの手をとって立ち上がらせた。


 ケイトの顔が少し下に見えた。


 その頬は、ほんのりと赤かった。


「ねえ」ケイトがぼくに心配そうな顔で尋ねる。


「昨日あんな風に倒れたけど、大丈夫?」


「ああ」ぼくは反射的に頭を手でさすりながら言った。


「頭の調子はいいよ。大丈夫さ」


「良かった。あたしの言葉で突然倒れちゃったから、どうしようかと……」


 ケイトの言葉は、心からの申し訳無さを感じた。気にして、ましたか。


 ぼくは、ケイトの言葉を反すうし、顔も見る。


 ケイトのその顔には、ある主張が滲み出ていた。


 ……ケイトは、普通の人と同じに扱われたいんだ。


 それに、腹が減ったな。


 よし。


「ありがとう。ケイト」


 ぼくは笑って言葉を続ける。


「それより、朝ごはんが食べたいんだけど……」


 少しの間。それから。


 ケイトはびっくりした顔で応える。


「あ、ああっ!? そ、そうね。朝食だったら下の酒場か、この部屋にも台所と釜場があるから、なにか作ってあげられるけど。どうします?」


「作れるの」


「ええ。ここで学びましたから、少しは」


「じゃあ、ケイト。君に頼もうかな。野菜と肉汁とか作れる……」


「勿論」


 言いながらケイトは袖をまくり、台所の方へと小走りに向かっていった。


 それにしても。今、ケイトは何を考えていたんだろうね。


 ちょっと、興味と可笑しみが湧いてきて、少し、笑いたくなってきた。



                     *


 寝台のすぐ側の大きな木製卓に、朝食が並べられ、ぼくらはそれを食していた。


 朝食は、ケイトお手製の野菜と肉汁と、堅ブレト《パン》だ。


 その汁は、香辛料などがたっぷりと溶け込んだ汁で、刺激的な味である。


 肉も野菜もよく煮こまれて、柔らかく、口の中ですぐに溶け、それらの食材の味もほどよくにじみ出ている。


「ケイト、本当に美味しいよ。この汁。うん。ケイトなら、主婦でもやっていけるかもしれないよ。部屋もよく掃除されているし」


「そう。なら、あなたの奥方でも、やっていけるかしら?」


 なっ……。


 野菜と肉の汁に浸けて口に放り込んだ堅ブレトが、喉につまった。ぐるじい。


「んぐ。がが……」


「ほら、牛乳。牛乳」


 言われるがまま、差し出されたグラッス《コップ》で、牛乳をブレトとともに流しこむ。



 けほ、けほっ……。


「とっ、突然何を言うかな……」


「あらあら」ケイトはニヤニヤして言う。「真に受けちゃって、ジャービスさんったら、本当にかわいい……」


「可愛くて悪かったね……」


 ぼくがむくれると、


「さっきのお返しよ」


 ケイトはそう言ってぼくに近づき、優しく頭をなでた。


 なんか、屈辱的だ。


 その後。ぼくらは先ほどに引き続き「神殿巫女物語」の話や、作家業にまつわる様々な話で盛り上がっていた。


「そこまで読んでるなんて、ジャービス王子、あなたって本当にわたくしの読者でいらっしゃるのね……」


「いやいや。世の中には、もっと読み込んでいる読者もいるものですよ。ぼくが読書家だなんて、それほどでも」


「まあ。ご謙遜を」


 言いながらケイトは堅ブレトのかけらを口に放り込む。


 しばらく、口をモゴモゴさせて、喉を鳴らす。


 それから、再び口を開いた。真面目そうな表情に、変わって。


「わたくしの本をそこまで読んでくれてて、ほんとうに嬉しいわ。でも」


「でも?」


「わたくしの愛読者だったのは、ジャービス王子、あなたじゃない。クロビス王子の方よ」


「……クロヴィス王子」


「そう、ブリティア第四王子の、クロビス王子。本好きでひきこもりの、庶子の王子」


「……」


「あなたは自分のことを、庶子の出身、と言った。それはジャービス王子、あなたではなく、クロビス、あなたの弟王子なのよ」


「弟王子……」


「新聞で読みましたの。一ヶ月前、ジャービス王子とクロビス王子がブリティア王室から同時に姿を消したと。そしてここに、クロビスの心を持ったようなジャービス王子が現れた」


「……」


「あなたの正体は、その二王子行方不明事件に関係があるはずなの。そうに違いないわ」


「……」


 ぼくは一体何者なんだ。


 自分に対する疑念は、ポミエの署名サインと同じように、ぼくの心に深く刻まれた。


 ぼくは、望まれて生まれてこなかった子のはず、だ。


 しかし、それは本当なのか。ぼくは本当にぼくなのか。


 そういえば、自分に対して一つ違和感があった。


 脳内術式に対する、違和感の無さだ。


 ブリティアでも最新鋭の技術である、術導・術式への違和感が自分にはなさすぎる。


 生まれてからすぐに術導演算器を埋め込まれたような、脳内術式への親和感。


 まるで、自分が術導人間、フォージドであるかのような。


 一体ぼくは、誰なんだ……。


 ぐるぐるしたものが、頭のなかで渦巻いていた。


 気持ちを切り替えよう。そのためには、話も切り替えないと。


 そう。例えば、ぼくが今知りたいことだ。


 例えば、ケイトがなぜここにいるかということ。


 ルイム十五世のこと。例えば、ルイム十六世のこと。


 ぼくは知識として、彼らを知っている。


 ルイム十五世。ケイティニア王女やザウエナード王子の父上で、前タイクニア国王。


 誰からも慕われていたという、心優しき国王。


 タイクニアに、積極的に先進的な術導技術を取り入れた、先見の明ある王。


 そのルイム十五世から王位を簒奪した、ルイム十六世。


 彼は、ルイム十五世の王弟だというが、詳しい素性はよくわからない。


 ルイム十六世は、兄が国に反逆したと言い、突然処刑し、王位を簒奪した。


 そして、戦争と虐殺が始まる。


 彼は国の内外と対立し、無辜の国民を虐殺し、周辺諸国と大戦争を繰り広げる。


 なぜなのか。なぜ、このような悪行を行うのか。よくわからない。


 しかしそこには、謎の人物、ジョン・ドゥとアラン・スミシーの影があるという。


 彼らは一体何者なのか。それを知らない限り、排除しようもない。


 ……排除か。


 有り体に言えば、それは戦争、あるいは暗殺のたぐいだ。


 だがそれで、平和が戻るというのか。世界が守れるというのか。


 ぼくにはわからなかった。


 そんなことより、こいつらに昨日枕を邪魔されたことがただただ腹立たしい。


 いつか倍返ししてやる。


 その時、ぐるぐると考えていたぼくの目に、輝きが視界に入った。


 ケイトの胸の前にぶら下げられたペンダントの、青い宝石が放つ光だ。


 なんだろう。何の宝石だろう。見たことないような純粋な宝石ではある。中で何かの白い線がいくつも走っていて、美しい。まるで、術導演算器の回路図のような。


 ちょっと、尋ねてみよう。


「ポミエ」


「何?」


「そのペンダントの宝石、何?」


「ああ、これ?」ケイトは言った。「宮殿から追い出される前に、ちょっと持ちだしたものよ。慌てて持ちだしたから、何の宝石なのか、わからないわ。生活の足しに、売り物になるかと思ったし……」


 ケイトのその口調と顔つきには、どこかごまかしているものが見え隠れしている。


 なんだ。何を隠しているんだ……。なぜここにいるのかと関係があるのか。追求するか。


 いや、それは野暮かもしれない。今は、聞くのをやめておこう。


「ああ、そうなんだ」


 ぼくは、そう言うだけにとどめた。


 話題を変えよう。思い出した。ケイトに、頼みたいことがある。


「それよりもさ」


 ぼくは、顔を上げ、ケイトに言う。


「今日ディレン達と一緒に、街を調べたいんだ。一緒に行ってくれる……」


 その言葉を聞いて、ケイトは目を丸くした。


「そうね……」


 それから少し考えてから、にやりとする。


「もちろんですわ。主姫巫女の名にかけて、救世主さまについてゆきますわ」


 ケイトは冗談めかしながら、自身満面の顔で、自分を指さす。


「それに、いい女のわたくしと一緒にいれば、官憲の目を見事にごまかせますもの」


 ケイトは片目を一つ瞑り、ぼくの胸を小突く。


「はぁ」


 今度はぼくが、目を丸くする番だった。


                      *


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