04
幾つものこちらに近づく足音。その足音が、ぼくらの前で止む。
「やあ、ケイトさん? お熱くやっているじゃないの?」
「ケイトちゃん、元気ー?」
「あら、相方が居るじゃないの?」
「話に聞いてたけど、いい男じゃん? 良い枕過ごせそうじゃん?」
そんな艶っぽい声と、いくつかの少し作ったような声が飛んできた。
そちらの方へと顔を向けると、これまた妖艶な顔と体つきをした、背の高い一人の女性と、その女性を取り巻く女性達がいた。
女性達はケイトと同じような、薄い布を何枚も重ねた、露出の多い服装を着ていた。
腹のあたりには様々な色の帯を締め、その帯に様々な絵が描かれた、縦長の布を何枚も挟んで垂れ流している。
そして頭には、様々な色の薄く長いヴェールをかぶっていた。
その中でも一段と妖艶な巫女は、ケイトと同じ色と意匠の、白に金の刺繍の上着、赤い帯に幾つもの布を挟んで袴とした巫女装束だ。
鼻は高く、口は横に細く広がり、それぞれの位置が美しい均衡を持っていた。
髪は黒くて長く、腰の下まである長さだった。
それが綺麗な広がりを持っている。
比較的背の高いケイトよりも、さらに頭ひとつ出ている。
胸や尻はさほど出てはいなかったが、しっかりとした体格だった。
蛇の体や鞭のようにしなりを持った体つきだ。
彼女は全体的に、二つの綺麗な脚があること以外は、どこかこの世界にかつていたという下半身が蛇の怪物、ラミアを思わせるような雰囲気をまとった、大人の女性だった。
そのラミアのような巫女の周りに多くいる巫女達は、それぞれ違った神格や民族、職能の巫女だ。
その中には、術力で動く術導式動力甲冑を装備して戦う〈機甲剣士〉の巫女。
それに機械の配線にも似た紋様を刻んだ、巫女装束を身につけた術法系巫女の〈術法技工士など〉の姿もあった。
彼女らもまた、才能ある、能力ある巫女達に思える。理想的だ。
これほどたくさんの、巫女を控えさせているということは。この妖艶な蛇のような巫女は、オアーン神殿、いやこの神殿街で名の知れた、神殿巫女か。
ちらとケイトの顔を見る。こわばっていた。なるほど。ケイトはこの巫女が苦手なのか。
「え、ええ……。シュレナ先生……。いい相方でしょう?」
「さっきは場違いな客に絡まれて大変だったねえ? どう、これから枕だろう?」
「え、ええ……」
ただ苦笑いするケイトに、シュレナと呼ばれた神殿巫女は、蛇のような妖艶な笑顔を更に濃くして彼女に近寄る。
しばしの無言。
ぼくはその無言を切るようにケイトに話しかけた。
「シュレナ先生?」
しかし彼女はそれでもなお黙っていた。
代わりに席に座っていた巫女の一人が説明する。
「シュレナ先生は神殿街にある「学院」の先生なの。ケイトの先生なの。というか学院では教育主任さんなの」
「なるほどね」
このひとは、彼女の先生、というわけか。
その間に、回りにいる巫女達が、ぼくの卓の副食などをつまむ。
先生はケイトに顔を寄せると、まるで占い師のように言った。
「でも、貴女はやっぱり普通の巫女の方がいいわよ。無理に遊女をするもんじゃないよ」
「……」
シュレナの意外な忠告に、さらにケイトは押し黙る。
ぼくも、内心シュレナの言葉に驚いた。
無理に遊女をしているって……。
「そもそも、貴女はここにいる柄じゃないわ。ぬくぬくとした宮殿にいるのがお似合いさ」
「……!」
その言葉の何かがケイトの急所に触れたようで、ケイトはがたっと椅子から立ち上がる。
彼女は視線も鋭くシュレナを睨みつけると、椅子に座った。
が、シュレナはこの神殿街の主という貫禄からか余裕からか、睨みを無視して、
「ま、それは貴女の勝手だけど。いずれは後悔する時が来るわよ。それにしても」
そう言って、ぼくを流し目で見つめる。
その本気か嘘かわからない目で見つめられて、一つ心臓が高鳴る。
彼女の唇の端が、小さく歪んだような気がした。
「この相方、いい男だねえ……。私も寝たくなるよ。こんな男と」
「本気ですか」
「はっはっはっ、冗談ですよ。ケイトさん。安心なさい。でもね……」
「はい?」
「この相方を大事にしなさい。貴女は、この人の正姫巫女になれますわよ」
「え?」
その言葉に、ケイトは目を丸くする。
ぼくもびっくりだ。もしかして褒められてる……。
正姫巫女。それは、救世主に仕える最も位の高い巫女。いわば、国王や皇帝における王妃や皇后のような存在だ。
この地位についた姫巫女は、任務を終えた後は大抵、元救世主の妃になる事が多いけれども。
シュレナの言葉にケイトは、突如として顔を左右に振り、
「そっ、そんな大層なお方に、わたくしがなれるわけがないじゃないですか!」
と恥ずかしがりながら言葉を返す。
そんなやりとりに、周りの巫女達が囃す。
「あら、先生。それほどまでにこの相方を……? はっはーん、もしや……」
「もしかして、本当は本気で横取りしようとか思っちゃってますー?」
「うっさいわね! あたしゃそんな気はないよ!」
「……行き遅れになるのが怖いのに……」
「なんか言った!?」
「い、いえ。な、何も……」
……怖い人だ。ケイトが苦手にするのも、わかるよ。
それからシュレナは、そんなケイトを可愛いと思うかのような声で、
「貴女がそう思っていても、運命は、貴女をその道へと導くのですよ。じゃあ、良い枕を」
そう笑うと、彼女の頬に軽く口吻をして、他の巫女達とともに去っていった。
「じゃーねー。良い枕をー」
「枕をー」
去り際に、シュレナの周りの巫女達がまたおつまみをつまみ、口に頬張っていく。
ヴェールを、長くなびかせながら。
なんなんだろう。あの人達は。
「あのシュレナという人、一体……」
「そ、そんなことより、ね」
馬車を強引に方向転換させる御者のように、ケイトは話を変えた。
わかってるって。
きみがあんなに苦手にしていそうな人のこと、話したくないだろうしな。
「なに……」
「ジャービス様、ここの現状わかってる? まあ、わかっていらっしゃるとは思うけど」
と言いながら彼女が話し始めたのは、タイクニアやこのパリスの現状だった。
この国タイクニアは、混沌の中にあった。
タイクニアは前国王、ルイム十五世が処刑され、新しい国王ルイム十六世が権力を握った。
前国王の王妃達、それに皇太子のザウエナードや第一王女のケイティニア達は、行方不明となっていた。
そして、ルイム十六世は独裁を敷き、周辺国と戦争を起こしていた。
それに対して、パリスの街は、ルイム十六世の圧政に対する反政府運動が盛んだと言う。
例えば、ザウエナード達を立て、王政の返還を願う「復古派」。
むしろ王政を廃止し、共和制の実現を願う「共和派」。
その他、様々な勢力が乱立し、ルイム十六世側と戦っていた。
しかし、そこに正体不明の二つの勢力が現れた。
ひとつは、自らを「ジョン・ドゥ」と名乗る勢力。
もう一つは「アラン・スミシー」と名乗る勢力だ。
この二つの勢力は「代理人」などという人物を通して、各勢力や地域に接触した。
すると、あることが起きたという。
暴動や、虐殺などだ。
二つの勢力が引き起こした内戦、虐殺などは、タイクニア王国だけでなく、ブリティア以外の、オアーズ大陸全土に広まっていっている。
ケイトの話は、そういう話だった。
まあ、ぼくもその程度は知っているけれども。
「でも、それで滅んじゃう程度の世界なら、滅んじゃえばいいかも、と思うこともあるわ。この世界、ろくでもないし」
「まあ、ね。ぼくも、そう思います」
「あたし、世界を滅ぼしたら、もう一度世界を創世したいなって時々思うし。あたしの好きに、世界を作れたらな、って」
「そうですか」
このろくでもない世界を、作りなおす、か。
できることなら、ぼくも、そう、したい。
ぼくは少し考え、言った。
「いいと、思います」
「本当?」
「本当ですよ」
「じゃあ、あたしがもし世界を創ることになったら、手伝ってよね」
「いいです、とも」
「やった! これであたし神様だ!」
「ケイトったらまた病気起こしちゃって……」
「なによ、言ってみるだけなら嘘にはならないでしょ!」
「言ってしまったらそれをなさねばならないと、うちの神格は言うけどねえ……」
周りの巫女達と言い合うケイトを見ながら、ぼくはほっととした気分になった。
創世、か……。
ぼくも、昔いつか望んでたかもしれない。
約束の場所。新世界。運命の地。ぼくは誰かと、そこに行きたかった。
それがぼくの夢だった。いや、今でも、そうなのかもしれない。
……でも、いつからそう思ったのだろう。
自分の夢ではないような気もする。
そう思いながら、ぼくはケイトを見た。
ケイトの短い袖と襟から覗く白い肌は、とても綺麗で色っぽく、ツンとした汗の匂いが漂う。
脇の下から見え隠れする、上下左右に揺れる丸く白い禁断の果実とともに、ぼくを誘う。
わざと見せつけているのがわかる。
あの双丘に触れられたら、どんなに気持ちが良いだろうか。
彼女は、飲み食いしながら巫女スマウを観戦し続けながら、時折流し目でぼくを誘う。
しかし、その誘惑する顔が、遊姫になりきれないところもあって、どこか可愛い。
そうやって、ケイトの姿をそっと見守っていた時だった。
彼女は何かを決意した顔でうん、と一つ頷くと、椅子から立ち上がった。
「じゃ、もうそろそろ行きましょうか?」
「どこへですか……」
「決まってるわ。今日泊まる部屋へよ。そこで術力の交換をいたさないとね」
ケイトは片目をつむって、ぼくの手を取った。そして、ぼくを立ち上がらせる。
「さあ、行きましょう。ジャービスさん」
だからジャーヴィスだって。言われる度にくすぐったくなる。
急いでいるな。遊女としてはまだ慣れてないのか。ここは優しくすべきだな。
ちょっと考えてから、
「……分かった。行きましょう」
そう言ってぼくも立ち上がり、荷物をとった。
ケイトがやや作った笑みで、ぼくの腕をとり支払い場で料金を支払った。
周りにいた巫女達に、良い枕を、という挨拶をお互い交わしながら酒場の外へ出る。
そのまま、神殿外周部の石造りの階段を登る。
酒場兼アリーナの喧騒とはかなり異なった、静かな空間だな。
三階に上がり、照明が煌々と輝く廊下を歩く。
部屋の扉と扉の間隔は広く、かなり広い間取りになっているようだ。
「ここは昔から巫女などの住まいになっていて、お客様用の部屋と併用しているのよ」
そう説明するとケイトは、とある部屋の前で立ち止まった。
年代物の木製の扉の名札には「ケイト」という名前が書いてあった。
「さあ、どうぞ」
言いながらケイトは部屋の扉を開け、ぼくを手招く。
部屋の接点に触れ、明かりを灯す。
部屋から、芳香剤の心地良い匂いが漂ってきた。
術法の間接照明が、部屋の全景をぼおっと浮かび上がらせた。
部屋は、宿というよりかは、一人用住まいの基本的な作りの見本だった。
入ってすぐに靴入れと、洗面所と風呂場への入り口に、台所。
奥に広い寝台に、色々な調度品がある寝室兼居間の一部屋。
大きめのホテルの一室に、生活の場を足したような感じだ。
見回すと、部屋の奥にある、大きな本棚と机が目についた。
おそらく、家具や調度品などは神殿街内の工房で作られたものだろう。
食料の件もそうだが、神殿街はかなり自給自足の体制だと思わされた品々だった。
机の上には本や原稿、執筆用具などが大量に山積みされている。
ケイトの雰囲気からすると、入郭してまだ間もない気もするが、それにしては生活感あふれる部屋だった。
なんだろう、この違和感は。
人が数人寝ても余裕がある寝台には、術法がかかっているのを感じた。
おそらくはどんなに短時間眠っても、充分眠ったのと同じ効果がある術法の寝台だ。
なるほど。遊郭には必要不可欠な寝台だ。
それからぼくは、本の山を見た。
なんだか、仲間を見つけた気分だ。心が落ち着く。
「どうでしょうか、この部屋は?」
ケイトが部屋にある衣紋掛けの方に行きながら、ぼくに呼びかける。
「うん、いいね。……君は本が好きなのかい?」
「ええ。本は大好きよ。思わず書いちゃうくらいには」
「書いちゃうぐらいには、か」
そう言ってぼくは、調度品の大卓と椅子の近くに荷物を置く。
ケイトが自分の巫女衣装に手をかけた。
帯を解き、薄い布を一枚ずつ脱いでいくさまをぼくに見せつける。
ゆっくりとした衣擦れの音が囁く。
装束の間から見え隠れする白い肉が波打ち躍る。
そのさまがたまらない。
思わず息を飲み込む。
こうしてみると、ケイトは見事なまでに遊女だ。おんなだ。
しかし、ケイトのような美少女が身を売らないといけない時代とは。
このような世界にした人間は、許してはおけない。
ジョン・ドゥ。アラン・スミシー。ルイム十六世。
奴らは消し去らなければならない。
不穏なことを思う間にも、ケイトは一枚ずつ装束を脱ぎ、衣紋掛けにかける。
ぼくの方を艶かしい目で見続けながら。そして。
「お待たせいたしました……」
ケイトが、すべての装束を脱いだ。
彼女の姿はまごうことなく、全裸、だった。
真っ白な肌に、体の幅より大きい二つの山のような胸。
大樹のように太く力強い引き締まった腕と太もも。
美しい丘陵のように、筋肉と脂肪の均等がとれた体つきだ。
とてもきれいで、きれいで、高貴な裸だ。うん、見事な体つきだと思う。
その見事な体から、香水と体臭が交じり合った、売り女特有の匂いが芳しく流れる。
ぼくは、喉を一つ鳴らした。
「ねえ、わたくしの体、綺麗ですか……?」
ちょっと恥ずかしげに、そして妖艶に、ケイトが微笑みを見せる。
その問に、ぼくは、首を縦にゆっくりと振った。
しかし。その妖艶な色の中に、ためらいの色が見える気がした。
……なんだろう。その時だった。