11
ジョン・ドゥの教鞭は、未だ続く。
「その世界──演算器に、何かで直接接触できれば、世界を操作する、改変する事が可能になるかもしれない、という説がある」
「ふむ……」
「というより、術法などが、その接続する方法の一つではないか、という考え方があるのだ」
術法が、世界などを直接変化させる方法の一つ、か。
なるほど、言われてみればそういう効果があるものが多いな。
ぼくは、頷きながら話を聞く。
「術法がどのように起きるかについては、まだわかっていないことが多い。信仰術法などは、神々に接触することでその効果が発揮されるという説もあるが、そうでもない場合もあって、実のところ、今でもわかってないことが多いのだ」
「だから、術法を神の業の法、神業とか神法、って呼ぶこともあるんですよね」
巫女の一人が口を挟む。
「そのとおりだ。さすがは神に仕えし巫女、だな」
「術法が世界に接触し、変化させる手段の一つ、か……」
ぼくは、一連の会話を聞いて、ある術法のことを考えていた。
創造術法。そこにはないものを創り上げる、術法の体系の一つだ。
食べ物を作ったり、壁を作ったり、家を生み出したり。
もし。もし、それを極めたとしたら。もしかすると……。
「もし、もしも」
ぼくは思わず、言葉を口にしていた。
「世界を操作すること、何かを創造することを極めたら。世界を創造することも、できるのかな……」
ぼくがふと投げかけた問いに、その場にいた一同すべてがこちらを向く。
そして沈黙が訪れる。しばらくの後、
「それは……。神の御業、じゃないですか……」
巫女の一人が、うめいた。
彼女のうめきに、ぼくは自分の拳を強く握った。
そう。そうだ。
そういうものがあれば、ぼくは、神になれるのかもしれない。
ぼくが夢見た、あの天国を創れるのかもしれない。
「でも、そういうことって、できるんでしょうか? 世界を創造することなんて……」
別の巫女が、どこか不安げな声色で、誰にでもなく問いかける。
そこに割り込む声が一つ。ジョン・ドゥの声だ。
「さすがだね、ジャーヴィス君。さて、その前にひとつ話をしよう」
その声に操られるように、一斉にぼくらは彼の方を向く。
「……?」
ぼくと巫女達は、首を傾げる。
ぼくらを見て、ジョン・ドゥの唇の端は更に大きく歪んだ。
「我々の世界にも似たようなものがある。世界サーバー論だ。これは世界が、ネットゲームのサーバー上にあると見立て、世界のすべてを情報として捉え、別の情報などを対象に与えることで、対象を変化・変質させたりするものだ」
何を言ってるのかわからない。
が、世界機械論と似たようなことを言ってるのはわかる。
「意識、そして言葉、言語こそが、人を、世界を形作るものだ。そして言語が、世界機械を駆動させる」
ジョン・ドゥは、いつの間にか持ってきた、自分のコーヒーを飲んだ。彼は続けて言う。
「その『世界機械』に介入する<ツール>がある」
「ツール……」
「<ツール>には様々なものがあってね、人の心を自由自在に操るもの、物の形や性質などを操るもの、世界の気象などを操るものなど、様々なものが存在する」
それで。それで人々に虐殺を引き起こさせていたのか。この男は。
ぼくは拳を強く握りしめながら、ジョン・ドゥの話を黙って聞く。
「その<ツール>のうち一つが、『裏切り者』と呼ばれる何者かによってバラバラにされ、別の形へと姿を変えたらしい」
裏切り者。ジョン・ドゥの裏切り者。一体誰なんだろう。
そう思いながら、黒豆茶を飲む。別段味などに変わりはない。
「その<ツール>は世界の物理法則などを改変し、蘇生術法を使わずに人を蘇らせたりできる。すべて揃えば、世界を創造することすら可能になる。まさに神になれる究極のツールだ」
世界を創れるツール。神になれる道具……。
ぼくの夢見る天国を創れる、奇蹟の道具。
それが現実にあると知り、ぼくはつばを飲み込む。
「その片割れを、前タイクニア国王の娘、ケイティニア王女が持っている。我々はそれを探している、君は、それがどこにあるか知らないか?」
ジョン・ドゥは、ぼくを見つめると、そう、さらりと言った。
突然の問いだった。
ぼくはその問いに、ただ一つ首を横に振り、何のことです、と返した。
「……彼女は、ルイム十六世に城を追い出された、ということだけは知っていますけど」
男はぼくの答えに、さらに問いを重ねる。
「そういうものがもしあるとしたら、君はどうしたい?」
ぼくは間髪入れずに、静かに、力強く答えた。
「……誰にも邪魔されない、誰も邪魔しない天国を作りたい、です」
ぼくが、あの絵を見ていたからかもしれない。あの夢を見ていたからかもしれない。
ともかく、この答えが、ぼくの望みだった。
ぼくの答えに、ジョン・ドゥは顔をやや下に傾け、考え込む様子を見せた。
しばらくして、彼は、そうか、と一言だけ答えた。
それから、ところで、だ。と、話を急に切り替える。
「ケイティニア王女の話だがね」
「突然、なんですか」
「さっき君は、彼女がルイム十六世に城を追い出された、そう言っていたね?」
「ええ、そうですが。うわさ話ではそう聞いています」
「実は、そうではないのだよ。真実は別のところにある」
「どういうことだ……」
「彼女は父親に対する反発から、自ら望んで遊郭に行ったのだよ。なぜ反発したのかは、よくわからないがね」
「え……」
ぼくはその告白に、心臓がドクンと高鳴った。
やっぱりケイトは、嘘をついていたのか。ザウエナード王子の話は本当だったのか。
ではなぜ。なぜ、ケイトは神殿にいるのか。父親に対する反発。
どんなことに反発したのだろうか。
身を乗り出し、その疑問を訊ねようとした時だった。
「あと、君についての話だ。ジャーヴィス王子。いや、クロヴィス王子」
突然、ジョン・ドゥがそんなことを言ったので、一瞬、心臓が止まったかのように思えた。
ぼくの正体を見ぬかれている。まさか、ぼくがここへ来た理由も。
目の前の光景が歪む。頭のなかがグルグルし始める。
吐き気が突如としてこみ上げ、吐こうとするけど、かろうじて抑える。
何かを言おうとして、何も言えず、もがき苦しんで。
「ジャービス様っ!?」
巫女達の驚く声が聴こえる。
体が揺さぶられるような感覚がしたが、それがどこかぼんやりとしている。
ようやくのことで、言葉を絞り出す。
「なぜ、ぼくのことを……。それに、クロ、ヴィス、って……」
「おや、ジャーヴィス、いや、クロヴィス王子。あなたは、自分の記憶を思い出してないのか。まあ、それがきみの罰だからなあ」
何のことだ。ぼくの罰って。
言ったか言えないかわからないほどの問いに、ジョン・ドゥは不気味なほどの笑顔を見せ、
「それなら、思い出させてあげよう」
と言った。
すると、ジョン・ドゥの胸にぶら下がっているペンダントの青い宝石が、輝きだした。その光を見つめるうちに。
この、かがやき。
どんどん広がって。吸い込まれていく……。
「ジャービス様っ、ジャービス様っ……!?」
巫女達の悲鳴のような呼び声が聞こえてきたけれども、それに応えることすらできない。
誰かに押されるように、ぼくの体が傾く。
衝撃。圧迫される肺。呼吸ができない。
視界が真っ暗で、姫巫女達がどうしているのかわからない。
硬いものが打ち鳴らされる音が、次々と鳴り響く。
そんな時、上の方から見下ろす声が響いてきた。
ジョン・ドゥの声が。
「この男……。クロヴィス王子は、望まれない子として生まれたのだよ。クロヴィスは、皇太子が、庶民の娘である実母を誤って妊娠させて生まれた子供だった」
「クロヴィス、王子……?」
巫女の一人から疑問の声が飛ぶ。
突然、そこにはいないはずの人物の話が始まったからだ。
彼女には、そう思えるに違いない。
だが。
「その母親は、乳母的な地位で入室した。けれども、妃として認められることはなかった。皇太子が母親にクロヴィスを産ませたのは、皇太子が信仰する宗教が救世教で、胎児を堕ろすことを認めなかったからだ」
「それぐらいは知っております。知識神の神殿の新聞の保存所で見ましたわ。それが何?」
「生まれてから、クロヴィスは王族の地位を与えられて育ったが、しかし事あるごとに、庶子ということを周りに責められていた。いじめられていた」
そうだ。
そしてぼくをいじめていたのは……。
「特に、兄であるジャーヴィス王子にだ」
「ジャーヴィス……?」
そこで巫女達の間からざわめきが走る。
救世主であるぼくが、そういう人物であることに、違和感を抱いたのだろう。
それはわかる。
「クロヴィス王子はいつの間にか、人を恐れ、卑屈になり、自分の部屋に閉じこもるようになっていた。そこにジャーヴィス王子が訪れ、引きずりだして、剣とかの稽古に付きあわせた。とはいっても、体力も技術もないクロヴィスのことだ、すぐに打ちのめされて、気がついたら地面で伸びていたそうだ」
「……」
「そんな時、乳母である母親は割って入り、止めさせようとしたが、ジャーヴィス王子は、彼女を叩き伏せて続けた」
そんな母さんを助けられず、ぼくは、いつも自分を責めていた。歯噛みしていた。
もっと力があれば。強大な力を持った、機械になれたら。
神になれたら。
新しい世界を、創れたら、と。
「そして、つい三ヶ月ほど前の事だ。クロヴィスがいつものように部屋にこもっていると、侍女が部屋に飛び込んできて言った。『乳母様が、事故に遭われました』と。母親は、随伴した狩りの途中で、誰かに誤射されたのだという。その狩りに出かけていたのは、ジャーヴィス王子達だそうだ」
そうだ。母さんは……。
母さんは、
「その搬送先の病院で、医者にこう告げられたそうだ。『殿下の母上には、魂が半分以上消失しています。半ば脳が死んでいるんです。生命維持術式で、かろうじて生きている状態です』と」
「それは……」
「つまり魂が壊れ、蘇生呪文でも復活できない状態だな。ま、そもそも、救世教では蘇生呪文の使用は認められていないけれどね」
診察室。消毒液などが多量に漂い、鼻につく、部屋。
術式の白い明かり。白衣を着た無表情な医者。机の上に投げ出された診療録。
あの時の景色が、脳裏で次々と輝き弾ける。
「そして医者はクロヴィスに告げた。殿下の母上を、このまま生かしておくか、生命維持術式を切るかどうか、とね」
「生死の選択……」
「勝手なことに父親の皇太子は決定を拒否していた。自分には権利がない。それに、救世教は蘇りを否定しているとかいう下らない理由でね。そして、母親の唯一の肉親は、クロヴィス一人。それは辛かっただろうね」
ふざけるな。あの時、どれだけぼくが思い悩み、苦しんだのか。お前に理解できるのか。
薄暗い病院の待合室。
誰の付き添いもなく、一人で下を向き、長く悩み苦しんだあの長い時間。
そして。
「クロヴィスは、術式の停止に同意した。こうして、彼の母親は死んだのだよ」
そう。ぼくの母さんは、ぼくが殺した。ぼくの、この手で。
すべてが終わり、病院を出て外に出た時、雨が降っていた。
天から降る水の槍の群れは、ぼくの心に消えることのない穴を空けた。
ぼくの心は、穴だらけになった。無数の流れ星が降り注いだ、荒野のように。
「母親の葬儀の後、クロヴィスはある疑いを持った。母親が死ぬきっかけになった、誤射事故。あれを起こしたのは、一体誰なんだろう。そしてそれは本当に事故なのか。それとも故意なんだろうか。とね。その疑いは彼の胸の中でとどまることを知らなかった。そして依頼したんだよ。あのディレンとか言う騎士にね」
「そうしたら、どうなったのです?」
「ディレンはある物を持ってきた。『滅魂弾』。これで撃たれたものは、魂がなくなるという術式の弾丸だ。これが狩りの時に使われた。無論、通常の動物相手の狩りには使われないものがね」
「じゃあ、クロヴィス王子の母親は……」
「まあそういうことだ。そして、クロヴィスはそれを使ってあることを実行した」
「まさか……!」
「そうだ。クロヴィス王子は、ジャーヴィス王子を滅魂弾で撃った。事もあろうに、宮殿の大廊下、人が大勢いる中でね」
ジョン・ドゥの言葉を聞いて、巫女達全員が息を呑んだのを感じ取った。
同時に記憶が、脳裏に閃光のように次々と輝く。
外套の下から抜き出す細い腕。術導銃の冷たい銃身。引き金を引く感触。
悲鳴さえ上げずに、そのまま後方へと倒れていく悪党王子。
飛び散る脳漿と真っ赤な血。
女達から上がる、バンシーのような悲鳴。逃げ出す使用人達。駆けつける騎士達。
警備の騎士達に取り押さえられながら、ぼくは、大声で、笑っていた。
泣きながら、笑っていた。
それがあの時の記憶。人を殺した、重い重い記憶。
ぼくの心に、ジョン・ドゥはさらに鋭い言葉を突きつける。
「クロヴィスは自ら死を望んだ。もう思い残すことはない。母親を殺した復讐をやり遂げたのだから、と。しかし、祖父である国王や父親の皇太子はそれを認めなかった。そして、王子に
死罪よりも重い罰を課した。そのままその罪と罰を背負ったまま、永久に生きるがいい、と」
「どんな罰を……」
恐る恐る、巫女の一人が尋ねる。
ジョン・ドゥは、変わらぬ教師のような口調で応える。
「クロヴィスは、記憶、意識、感情など、いわゆる『魂』が術式化され、術導演算器の記憶装置に移動され、術導演算器の中で永遠に生き続ける罰を与えられたのさ。そして必要であれば、魂が複製され、改変され、術導人間の体に複製され、様々な『刑罰』に投入された。そう……。例えば、私を殺す刑罰とかね」
「……!」
「術式化されたクロヴィスの魂の複製が、ジャーヴィス王子を原型にしたフォージドの体に移され、残っていたジャーヴィス王子の人格や記憶と融合し、暗殺用の記述などが導入され、君は暗殺用の術導人間として生まれ変わった、というわけだ。まあ、これでわかったね」
倒れながらうめくぼくに、ジョン・ドゥの声が届く。
そして、奴は告げた。
「君は、我々を殺すために作られた、暗殺用の人造人間だ」
その言葉に、ぼくはとどめを刺される。
ぼくは、お前を殺すという罰のために、創りだされた人造人間だというのか。
ぼくは、殺人兵器、か。
それでも。それでも、ぼくは。
「だとしても……! ぼくには心があるし、夢も見る……!」
宣告に抗い、ぼくは声を絞り出す。立ち上がろうとしながら。
「ジャー……、メッシア様!?」
柔らかい感触。巫女達が支えてくれているのだろう。
こんな時になっても。こんなぼくだとしても。
君達はまだ、ぼくを信じてくれるというのか。
しかし、ジョン・ドゥはそれを軽くあしらう。
「心、か。ふむ。我々人間の脳も、所詮機械と変わらんよ。意識は、脳という生体機械が創り出した、入力情報のフィルタと受動反応のための、プロセッシングオペレーションシステムにすぎない」
「何を言っているのですか! あなたにはメッシア様をそう罵る資格などありません!」
相変わらずジョン・ドゥは、教師の口調で告げる。
「夢もだ。夢は、脳の中で短期記憶を長期記憶へと移し替える時に起きる、記憶や経験の圧縮プロセッシングが機能する時に、副次的に起きる現象だ。あるレベル以上の人工知能や人工頭脳になると、似たようなシステムや現象が生じる」
「そんなこと言っても、ごまかされませんわよ!」
破裂音。射撃系の術法が発動した音だ。
おそらくは術法制御に引っかからない種類の術法だ。
直後、金属を弾いたような甲高い音があたりに満ちる。
かろうじて音がした方を見ると、ジョン・ドゥの目の前に、青い障壁があった。
この障壁で、攻撃術法を防いだのだろう。
ジョン・ドゥは一つため息をつき、悲しそうな顔をした。
そして、感情のない声で告げる。
「世界が機械で再現できるように、心もまた、機械で再現できるのだよ。わかったかね? フォージド君」
「くっ……」
冷酷に告げながらも、ジョン・ドゥは釈然としない声で、続けて言う。
「しかし……。君の性格は、アラン・スミシー達だけによって、性格などを条件付けられてはいないらしい。性格形成の際に、他の何者かによる介入を受けた様子がある」
そのひとりごとにも近い声は、はるか遠くで聞こえているように思えた。
意識の片隅で、かろうじて聞こえる。
ぼくは。
「これは、彼らの手によるものか……。だとすると、アラン・スミシーも我々も、彼らの手のひらで踊っているだけにすぎないかもしれんな……」
彼ら、って。
ジョン・ドゥとアラン・スミシーの他に、誰か居るのか。
そ、ん、な、こ、と、よ、り。
ぼくは、歯を食いしばって立ち上がる。
やるべきことを、やらなければ!
「救世主さま!」
周囲にいた姫巫女達から、悲鳴が上がる。
彼女らに構わず、ぼくは一人ジョン・ドゥに相対する。
ぼくの鼓動の中に。カチカチという音が混じっているのが聞こえる。
そう。それは爆弾の音。ぼくの体の中に仕掛けられている、滅魂爆弾の音だ。
これを起爆させれば!
そう思い、脳内の導術表示を操作する。
幾つもの階層を潜り、表示された、爆弾の領域。これですべてが終わる。
これでぼくは楽になれる。
大きく表示された、赤い点滅器を脳内で押そうとした時だった。
ジョン・ドゥの胸できらめく、青いペンダントの光が再び強くなる。
次の瞬間、赤い鈕の記号が消え失せ、頭痛が起きる。
「ぐわっ……!」
ぼくは強く殴られたような頭痛に耐え切れず、画廊の床に転がる。
「国家や組織などによる自殺の強要は、過去、現在、未来、そして他の世界にわたって、賞賛されるべきものではないよ」
ジョン・ドゥは、冷ややかな声で、ぼくに告げた。
痛い痛い! 耐えられない!
「メッシアさま! しっかり!」
「ジャービス様っ」
脳内術導機構の表示が、いくつもの赤い警告を吐き、歪んだ警告音が鳴り響く。
ぼくは立ち上がろうとして、目の前が真っ暗になる。
誰かに支えられる。
「メッシア様、この場は退散いたしましょう!」
闇の中で誰かに両腕を抱えられる。
その時、ジョン・ドゥの余裕のある声がした。
「ああ、コーヒーの支払い代がまだだったね。支払う気があるなら、私は宮殿で待っている。いつでも来るといいよ」
まさか、あんたは──。
……。
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