003 - 闇の誘惑
誤字脱字、ご意見など宜しくお願いします。
破壊する者
闇――それは、世界を飲み込み蹂躙する
そして、それを果たす役割を担うのは――破壊者
《歩み寄る者》が破壊者か、それとも《誘われる者》が破壊者か
誰かが、呼んでいる
頭蓋に、心臓に、身体中を這いずり回る声が唯響いていく
《 来い 》
意識が、オレが、壊れていく
鈴の音のような調べが今は静かな群青の空を泳ぎ、青色の屋根を優しく伝う。
夜の帳に鳴り響くその虫の音は、安寧の箱庭を謳う様に木霊している。
空が、月が漆黒に満ちる。濃紺に染まった大空を悠々と流れる雲が月を隠せば、それは何処か妖しい雰囲気を放つ三日月へと様変わりして現れる。そして、魔性を体現する魔女のように背筋に悪寒を奔らせると共に、不幸を手繰り寄せるように段々と大きく映って。
そんな誰もが睡魔に心を委ねる時間にそれは来た。意識はまどろみ夢の中、身体は眠り心の中。お構い無しにやってくるそれに気付くものは誰一人としていない――否、彼らを除いて。
「シエル、貴女も気付きましたか?」
虫の音も遠くに、帆を畳む商船を浮かばせる大海原が静かな波音を立てる白亜の街に灯る家屋の明かりは無く、空から零れる僅かな光だけを明かりとして部屋の中で佇む彼の髪が月光に浮かび上がり静かに舞う。
見上げた夜空には霞むような黒い靄が月の満ち欠けを現しているかのように、覆っては露にしてを繰り返していた。耳が痛むほどに静かな夜だけれど、胸騒ぎが高鳴るばかり。
「何だろう。モンスターじゃない何かが来る」
シエルはそう言いながら、腰掛けていたベッドから立ち上がれば窓から身を乗り出して辺りを見回す。
すぐさま窓を開けては見たものの、寝静まる夜のデリスには何の気配も一片すら感じない。青く染められた屋根も今は黒に溶け、月明りを浴びて美しく光る。それがこの街の夜の景色であり、それは今ですら何ら変わらない。
船は帆をたたみ、民家は窓を閉め、街全体が静かに眠りについているそんな夜の帳を破るものが訪れれば、自ずと彼等のセンサーに引っ掛かるということだ。雰囲気――気配とも呼べるそれは容易に感じ取れるものではない。が、こと彼等に至っては経験がそれを覚えて放さない。
「ともあれ、彼も起しておいた方がいいでしょう」
ルシリアはそう言うと、部屋を出ては隣の部屋で眠っているアイルを起こそうとドアをノックした。不気味なほど静かな館内に、乾いたノック音がこれでもかという位に存在をアピールするように響き渡る。
そうして、静かに鳴る乾いた音が、静寂の夜を破り往く。
「アイル。ルシリアです、入りますよ」
ドアを開けると、既に其処には気配に気づいたのか窓辺に立つアイルがいた。
だが、少し様子がおかしい。空を仰いで何かを待っているかの様に棒立ちのままでルシリアに視線も向けず、むしろ気付いているのかどうかすら疑わしかった。
そもそもの話、あれだけ痛めつけられた身体を引き摺りもせず、立て掛けてある杖に寄り掛かることもせずに直立不動で立っていられるというのは尋常ではない。
「アイル、どうかしましたか?」
月明かりによって陰に染まる背中に問うも返事は無い。
どうやらこの至近距離でも本当に気付いていないらしく、ルシリアは身構えながらゆっくりとアイルへと近づいていく。
パタン、と静寂を揺らす音が耳朶に届く。
開けられたままだった閉まる筈の無いドアが音を立てて閉じられる。それはまるで、今いる此処と世界を遮断するかの様な雰囲気を放ち、彼の思考に警鐘を鳴らした。
「どなたですか?」
赤縁の眼鏡を指で撫で上げながら、ドアの方向にいるそれに問いかけるも反応する様子は無い。
次第に雲間から月光が降り注ぎ、焦らすように足元から照らされ露になっていき、全てが光の下に曝されようとしたその刹那、空気が音を立てて割れていく。
耳朶を叩く感覚に従って、ルシリアはブーツの底で床を弾いてその場から飛び退いた。
「ッ……アイル、なにを……ッ!?」
瞬間、後ろで立ち尽くしていた筈のアイルが、ツヴァイハンダーを手に取り鞘に入れたまま殴り掛かって来る姿を視界の端に捉える。間一髪のところで、流れを変えた空気を読みその場から逃れた。虚空を薙いだ大剣は木床を割り、その大きさに違わぬ威圧感を放つままだ。
普通であるならば、気付きもせずにその一撃を上肢に浴びているだろうがしかし、ルシリアも冒険者の中でも一目置かれる存在であるが故、そう簡単には捕えられない。
「それの名は、アイルなどではない」
ドアの方にいるそれが静かに呟くも、ルシリアはアイルから視線を外さず、感覚を向けたままで耳を傾ける。
「言っている意味がよく判らないのですが、まず貴方はどこの誰ですか?」
壁に身を寄せつつも、ルシリアは相手の詮索を行う。そもそも、人語を操る敵という事に加え、目の前の少年を目的とした相手など記憶の何処を如何探したところで出てくる事は無いだろう等と思いながら。
場慣れしていると言ってもいいだろう。これ程に謎めいて絶対絶命にも似た状況下で冷静さを失わないのだから。
「知る必要は無い。今此処でお前は――」
それが喋り終わる前にルシリアの背後の壁に無数の太刀筋が入ったと思えば、正しく積木が崩れるようにガラガラと音を立てて崩れていく。
「――知る必要は無いよ。アナタが此処で死んでそれで終わりだからね」
「大層な物言いだが、貴様等の目の前に居るのが何か理解して云っているのか?」
ルシリアとシエルが放つそれは、常人ならば恐怖を覚え、逃げ出す事を選ばせ、敗北を刻み込むには充分なものだがしかし、それを目の当たりにしても武器にすら掌を掛けないその行為が、逆に二人にプレッシャーを与えていた。
二人の記憶の中を探れば、目の前のような敵とも相対したことくらい一回や二回はあるだろうけれど、是ほどに自身等を前にして静寂を破らない相手は嘗ていただろうかと、彼等は喉を鳴らしながら考えた。が、その答えはNO。そして、その解は同時に二人の脳裏に最悪の結末を過らせた。
「目の前にいるのは、見知らぬ貴方だけよッ……!」
そんな見たくも無い悪夢を振り払うように、シエルは《加速》は勿論のこと、《闘気刃》さえも同時に発動させてはその場に立ち込める負たる雰囲気を吹き飛ばした。
騎士団の任務でもシエルが掛けるのは《加速》のみで、遠征等の大きな任務でもそれは変わらないと聞く。彼女の隊、騎士団の者たちですらそれを目にする事は殆ど皆無と云うのだから、それ程に眼前の敵が脅威であるかを物語っている。
「――主よ、我等に邪悪なる者に立ち向かう聖なる力を。降り注げ……《神々の光》!」
ルシリアも幾度の死線を乗り越えてきたであろう直感で理解したのか、支援魔法を自身とシエルに掛けて回す。その詠唱で放たれる白き光を纏う黒の法衣を着た聖職者は正しく神の使徒たるプリーストそのもの。
《神々の光》――神の使徒であるプリーストのみが行使可能な神聖魔法で、全ての衝撃を光の膜によってその威力を半減させる優秀な高等防御魔法。
「生憎と貴様等を相手にしている暇は無い」
その言葉が空に消えるが早いか、静寂に包まれていた街が急速に息を吹き返す。
悪夢を振り払わんとして目の前の根源を倒そうと立ち上がったがしかし、次々と増えていく邪なる生命とその気配が自身等を、否、街を囲むようにすれば、程なくして夜の帳は殺気によって打ち破られた。
「貴様は二人を始末してから来い」
そう言うと同時、伸び往く月光がその全貌を照らしては闇夜の下に曝け出した。
「お前は……?」
黒い兜を被り、黒い鎧を身に纏い、黒い外套、そして背負うは――黒い巨剣
その姿は遥か昔、伝説で語り継がれし闇の者と寸分違わぬ姿
「これから死すべき者に教えるものは何も無い」
ルシリアの驚きにも似たその問いに答える事無く、黒色の騎士は黒い光に包まれると目の前から霧散した。
余りにも唐突。余りにも不可思議。たった数分にも満たない時間が二人に重くのしかかり、再び沈黙が部屋に舞い戻ったけれどそれも束の間。さっきまでのそれ淡い夢だったかのような、在り得ない光景を彼は目にする。
「シエル、外を……」
取り合えず去った脅威から遅れること数秒。我に返ったように、黒色の騎士がいたであろうその場から視線を外に移せば、月の光を物ともしない烈しい朱色が街を包んでいくところだった。
「なっ…何よ、これ……ッ!」
窓の外には炎上して赤に染まる白亜の街。悲鳴を上げながら逃げ惑う人々、そしてそれを一捻りで殺していくモンスターの群れが我が物顔で闊歩していた。
街は燃え盛る炎と濛々と立ち昇る黒煙に包まれ、その一方で留まることを知らない炎は尚も烈しくなり昼間の明るさの様に轟々と唸りを上げる。恐怖に染まった悲鳴をBGMに、街中を駆ける人々は地獄絵図に放り込まれたかの様。
「クク、ハハハ…アハハハハックハハッ………!!」
破壊を、殺戮を嘲け笑うかの様に口を歪めて、アイルは窓辺に足を掛けてはあろうことか三階の宿屋から飛び出した。狂気にも似た笑い声は街を劈き、彼方に掻き消えた後でさえも鳴り響いた。
「主よ、汝に祝福を齎さん――《神の息吹》!汝の翼を我等に――《神の片翼》!」
アイルが飛び出すと同時、ルシリアが連続して支援魔法を唱え掛けていけば、眼下に広がる赤い光景とは裏腹に、淡いライトグリーンの優しい光が二人を包んでいく。
前者は身体に内在する筋力と魔力を増幅、後者は《加速》にも似た効果で、一時的に身体を軽くして速度を上昇させる支援魔法であると共に、それは戦いの核ともなるもの。
「アイルは私が追うとしましょう。シエルは敵の殲滅に専念してください」
そう言うと、ルシリアも先程の少年と同じくして窓辺に足を掛けては弾き跳び、闇夜に飛んでは景色に溶けていった。
「ルシリアじゃアイルは危ないし、さっさと雑魚を倒さないと……」
危険を承知しながらも、それでも民を護るのも騎士の務め故、仕方なしにルシリアにアイルを任せるが、俗に言う前衛でないルシリアがアイルを抑えられるかがどうしても頭の片隅から離れない。
唯の剣士であれば、冒険者の心得として身に着けた武術でなんとかなるだろうけれど今回は違う。得体の知れない力を宿す剣士相手にかじった程度の体術など役に立つ訳がない。
「仕方ない、か……それにルシリアは――」
一言、その場に吐き捨てては、シエルも燃え上がる夜のデリスに駆けていった。
静寂の夜は一瞬にして恐怖のどん底に叩き落とされた。夜の帳を切り開きしものたちは、アイルの様に、否、あの者より短絡的でより残虐的に、より本能的に獲物を求めて跋扈する。
逃げ惑う人々に突き付けられた選択は何れを選んでも等しく死を意味するものでしか無かった。どの選択肢を選んだとしても――身を隠すも無残にも体を裂かれ、貫かれ。逃げようとも捕まり、身体を引き千切られバラバラにされる。
鼓膜を突き破るような悲鳴が響き渡るということはそこで命が散ったと同義。そんな世界でひとり、シエルはうんざりしながらも元凶であるモンスターを斬り伏せていた。
「あぁ、まったくもう……何匹いんの……ッよ……!」
赤い体毛に覆われた巨大な熊グリズリーが、その巨躯にも負けない巨大な腕とそれに備え付けられた自慢の爪を武器にシエルへと振り被り襲い掛かる。
体格差はともかくとして、その体重差から来る一撃は傍から見たら受け止められるものではない。腕だけでもシエルより大きいのだからそれは寧ろ当然。だが、彼女は常識には当て嵌まらない。
「はああぁぁーーーッ……!」
鋭い爪をクレイモアの細い刀身で阻み、滑らせるように振り下ろし、地面に突き刺しその爪を叩き折る。続けざまに、突き刺さり身動きの出来ない巨大な腕を階段のように昇り横薙ぎ一閃首を薙ぐ。
首が捥げて巨体が倒れるが早いか、その背後から尾が九本の化け狐が飛び掛ってくるのを視界に入れれば、シエルは滑るように身体を奔らせた。
九の尾が龍の髭に似ていることから龍尾とも言われる化け狐は、九の尾一つ一つから火の粉を繰り出し襲い掛かる。降り掛かる火の粉が銀色の鎧に焦げ目を付けたことに若干表情を歪ませながらクレイモアを切り上げる。
「こんのおおおおおぉぉーーー!!」
振り払われる尻尾を全て切り落とし、自身の背後に着地しようとする狐本体へと翻し袈裟斬りの一刀両断で真っ二つに斬り裂く。
狐を倒して辺りに生存者がいないか見回していると、シエルの真上に炎で照らされた灯りが其処に影を落としていた。気付けば、悲鳴に混ざって羽音のようなものが耳朶を叩く。
「虫は嫌いなの、よッ……」
見上げると同時に地を弾き跳んで直上へとクレイモアを切り上げその羽と身体を切り落とすと、止めは加えずにその場を去る。その生死を確認せずとも、羽が無ければ動けないドラゴンフライは次第に大きくなる火に呑まれていった。
「今までの敵は、熊に狐に蜻蛉……」
刹那、脳裏にそれが現れる。
デリス周辺でこれ等のモンスターの群れを引き連れるものはあれしかいない。
「まさか、グラナヴォルフが……?」
その名前は、この辺り一帯を支配するモンスターの親玉。
巨大な狼の体躯に火を操る虎の風貌、それがグラナヴォルフと呼ばれる魔物。
「だとしたら早く探さないとッ……!」
このグラナヴォルフは通常のモンスター《亜種》と違い《源種》と呼ばれる種で、二千年前に起きた《光と闇の戦い》を戦った魔の血が色濃く残っていて、そこいらのモンスターとは一線を画す程の格が違うモンスター。
ちなみに《亜種》は戦後独自に進化したモンスターを指し、ピンキリだが比較的弱いのが多い。対して《光と闇の戦い》前の時代に産まれ出た彼奴等は神に対抗しうる為により強力な力を備えていると云われている。
「なッ…囲まれてる……!?」
その思考を掠めるように羽音が鼓膜を揺らせば、頭上を無数のドラゴンフライが滑空しているのに漸く気付く。
グラナヴォルフの出現という憶測に気を取られて周囲への注意を怠った結果がこれだ。それ程にその《源種》とやらが頭一つ抜きん出ていることが窺える。
「群れたって、蜻蛉風情が私に立ち向かおうなんて百年早い……ッての!」
その場で抜刀の構えで深く集中する。腕には全身全霊の力を、脚には空をも駆ける速さを。
まるで風を纏うような雰囲気が彼女を中心に広がっていけば、微かに、確かにフワリと舞う。その見えない何かを感じ取った野生は、危機を悟ったかのように一斉に牙を剥いた。
『ギギィィーーー!!』
一斉に尻尾の毒針を振り上げて急降下するドラゴンフライはシエルを覆い隠すまでにその数を増やしていた。傍から見れば巨大な蟲たちに囲まれた彼女は食べられているようにしか見えない位だがしかし、シエルは襲い掛かってくる一匹の頭を足場にして宙空に跳躍。その攻撃を回避しながらも、クレイモアを黒い天涯を衝くよう高く振り上げていた。
「――……消し飛べ!」
命を燃やし尽くす業火の音を掻き消して響くその声と同時、クレイモアが勢い良く抜刀されれば真空の刃が無数に薙ぎ払われる。網目の様に繰り出された見えぬ刃から逃れる術は蜻蛉如きなどにはなく、手足を捥がれるように羽を割かれ、唯痛みに耐えてその刃に身を任せて落ちる他は無かった。
断末魔を上げる暇さえも与えない強烈な斬撃。アイルに対してあれだけ驚いていたにも関わらずそれを遥か超える技量のシエル。そんな彼女の前に、ドラゴンフライは五体をばらばらに裂かれ、囲む様に地に落ちていく。
無様に散った虫とは対照的に、花が舞うように、水面に波紋を広げぬように、僅かな土煙さえ立たせず彼女は降り立つ。溜息のひとつも吐かず、鞘に収められたクレイモアが変わりとでもいうように場にそぐわぬ綺麗な金属音を零した。
「……っと、こんなことしてる場合じゃなかった」
シエルは思い出したようにデリスの街中を駆け出していった。
燃え盛る業火に覆い尽くされ焦土と化していくデリスの街を不規則な揺れが襲う。まるで、地震が起きているかのような錯覚を覚えるがしかし、紅に染まる海は波一つ立てずにいた。
地鳴りのような音が近づくにつれ、そこ等中で揺らめいている炎が油を注がれる様にその火力を増していく。
「もう、人間は残っていない様だな」
街の中心に向けて歩きながら、それは呟く。
人ではない異形のものが人語を操る様は、どこか奇怪な感覚と共に戦慄を覚える。圧倒的な雰囲気を放つそれは、火を従えているかのようにさえ見えるその体躯を赤に染めていた。
そんな異形な怪物の眼前に、身の丈ほどの大剣を背負う小さな剣士が仁王立ちで現れた。
「何用だ、小さき剣士よ。己の前に立ちはだかると云うのか」
身体の大きさを比べたら数倍では計れない程の差は、童話の巨人と小人を見てるいよう。それでも、何故か小さな剣士が負ける気がしないのは、眼から発せられる殺気からか、それとも――
「殺す」
――銀髪の奥に慟哭する赤い瞳の所為か
小さな剣士は呟き、背中の大剣を引き抜いては真紅の炎と鮮血に染まる夜の街を駆け出した。