002 - 狂気の力
話数としては結構多いかもしれません。
この身に宿る、狂気の力
人や魔物、彼等と相対するとき
決まって声が響くのは、人と戦う瞬間
この《声》の望みは――
地平線の果てまで続いているような深緑の森を抜けた場所に突然現れる白亜の港町。軒を連ねる白い家は蒼穹とも、大海原とも思える青色の屋根を乗せ、それらを繋ぐ白いブロックで舗装された道、広がる水の惑星に浮かぶ巨大な商船は帆を畳み、甲板の上空にはカモメが心地良い嘶きを響かせている。
ローエン王国首都アイゼンの南東にある森林都市フォールを更に南東に進めば、王国の海外貿易の大部分を担っている貿易の拠点、湾岸都市デリスが玄関口に構えている。
最近は激しい津波などで船が出航する事が減ってしまい、港としては活力が落ちたに見えたが、近くに昔沈没したシュトラベルグ公国の宝物船が発見されると、その財宝を狙う冒険者や商人たちが来訪し、港も活気を取り戻してきていた。
快晴を泳ぐカモメの声が白い家屋を仰げば、その景観をより一層美しく映えさせる。港で働く大勢の漁師や造船技師たちの活気ある声、外からやって来る外国の商人たち、獲れたての魚たちを景気の良い声で売り捌く売り子の謳い文句が頬を叩いた。
「あ、起きたみたいね。気分はどう?」
白いカーテンが靡く度に、心地よい風が頬を撫でる。時折覗く暖かい日差しは久しぶりに目を覚ますだからだろうか、強い刺激だったのか、眉を潜め、光を拒む様に腕を翳す。同時に、聞き覚えのあるその声の主に視線を向ける。
「う、ん……そこそこ……だと思……う……?」
寝返りを打つと、木のベッドがまるで疲れ果てた自身の身体の様にギシギシと軋みを立てる。大方の予想通り、身体を起き上がらせるまでには至らず、諦める様にしてベッドへと突っ伏した。
窓から差し込む陽の傾き具合から、少なくとも丸一日は寝ていたらしい。が、そんなことは些細な事はどうでもいい。突っ伏した顔を横に向けて、見慣れない彼を見上げた。
「こんにちは。私の名前はルシリア、ルシリア=ラクサス。以後お見知りおきを」
ドアの方から聞き慣れない声が届くと共に、寄り掛かるようにして一人の聖職者が佇んでいた。
一房に結わかれた長い茶髪に赤縁の眼鏡、黒茶色の法衣。何処か知的な雰囲気を放つ男はシエルと同じくらいの年齢だろうという若い顔立ちにも関わらず、彼女とは違い大人びた風貌。
「あ、紹介してなかったね。ルシリアは私の仕事仲間で、凄腕のプリーストなんだよ」
聞くと、元大聖堂退魔課所属のエリートだったらしいが、今はフリーの冒険者をやっているとのことらしい。
大聖堂というのは、首都アイゼンに置かれる聖職者の本部で、怪我を治癒する治療院があったり、モンスター退治やそのバックアップをする退魔課などが存在し、聖職者なら誰もが憧れる場所だ。
改めて言われて見ればそんな感じに見えなくもないが、どこかそれとは違う不思議なオーラがそれを遮っている様にも見える。それが何かと言われれば形容し難いが、邪なるものではないとも言い切れない。
「それで、シエルは彼の《力》を実際に見て如何でしたか?」
部屋の隅にある机の椅子に腰を掛けると、本をパラパラと捲りながら呟いた。捲る度に微かに響く古紙の擦れる音がやけに心地良く、妙に景色に映えて見える。
そんな彼はどうやら博学でもあるようで、その知恵と知識は膨大な図書館にも匹敵するとシエルから教えて貰ったのは暫くしてからだった。
「ん~~……私が本気じゃなかったとはいえ、あれだけのプレッシャーを剣士に掛けられた上に、《加速》まで使ったのは初めてだっなぁ……」
どこかガッカリした面持ちでシエルは項垂れれば、ルシリアは一人納得した様子で相槌と共に頷きを繰り返していた。ただ、シエルの言い分は判らなくもない。職業上、騎士と剣士と分類され、二つが教わり身に着けることの出来る技術や経験出来る狩りなどには天地の差がある。それらを血が滲むほどの鍛錬を積み重ね、武の極み、否、剣の極みとして立っているのがロードナイト。即ちシエルで、下っ端の剣士の自分に押されつつあったのだから仕方のない事だろう。
傍から見れば二人は何とも無い若者に見えるがしかし、かたや王国随一の騎士、かたやその仕事仲間たるプリースト。そんな彼等が発する雰囲気がそんな考えを遮断する。
「急に眼が赤くなっちゃって、そこから動きが速くなってさー……それがもう人間離れした動きで……――」
シエルはその場で立ち上がりながら、身振り手振りでその時の様子を克明に引きずり出し演技して見せたがしかし、それを見て思いに更けるのはルシリアだけではなかった。
幾度となく繰り返した惨劇を戒めるかの様に、拳を握り締めながら彼女を、否、彼女の動きと脳裏の記憶を唯見詰め、歯を食い縛ることしか出来ない自分がいた。
「シエルもアイルも、今がどのような時代か判りますね」
分厚く、革張りのカバーに納められた本の背表紙には『伝説』などと書いてあり、それをゆっくりと閉じたルシリアは、瞼を閉じては問うように呟き始めた。
「今は聖暦二千年という時代の節目、魔王レーヴェの封印が解けるとも云われている混沌とした時代」
その証拠に、大陸各地の魔物が活発に人間を襲うという事態が相次いでいるとルシリアは付け加える。
実しやかに噂されるそれは、過去の英雄から語り継がれる御伽噺にもなっているほどの伝説。信じるには信ずるに値するものが無く、否定するにも仕切れないそれに拍車を掛けるようにして魔物は荒れて来ていた。
こと騎士団に至っては首都や町々の守護は勿論、周辺に巣食う魔物たちの討伐も仕事の内であるから、シエル何かは一番身に染みているだろうから、しみじみと頷いていた。
「で、それがアイルとどう関係してるの?」
こくりこくりと頷くのをやめれば、脳内の疑問符を引き出したシエルはその動きを止めて耳を傾けた。
オレは何が何だか判らず、二人の会話に唯々疑問を浮かべて眺めるだけだったがしかし、一つの不安と疑惑が浮かび上がり、察したかの様にルシリアは首を横に振った。
「いえ、恐らく神か……運命の悪戯かもしれませんね」
「オレが、人間じゃない……と?」
恐る恐る問いながら、眼で尋ねるようにルシリアへと視線を投げる。気を使った言い回しをと思いながらも、心の底では自身が何で在るのかを聞きたくて仕方なかった。
それも当たり前か――拾われの身であったにも関わらず恵まれた環境で育ち、そしてその手でそれを壊したのだというのだから、存在価値、存在が自身でないという理由が在ればどれだけ楽になれることか。
「いえ、君が《英雄》か《破壊者》であるかどうかという事ですよ」
微笑むルシリアの表情には何か引っ掛かるものが感じられるがそれが何かまでは判らない。遠回しに言っている様に聞こえた先の
言葉には無い何かが在るようだった。
だが、そんなことはどうでもいい。いっその事、人間じゃないと言って貰えればそれだけで惨劇を肯定する事が出来る気がして、心の何処かでそれを望んでいる自分がいた。
「とりあえず、その《力》が解放されるキッカケとコントロールする方法を知らないとよねぇ」
シエルはそう言いながら振り返り、壁に立て掛けて置いてあるクレイモアを掌にすれば、ニコニコとそれは嬉しそうな、否、愉しそうな表情を浮かべている。
「ん、何するんだ?」
オレの問い掛けに振り向くと同時、抜き放たれるクレイモアが太陽の光を反射しながら振り下ろされる。音を置き去りに、空を斬った刃は、オレの髪の毛を何本か切り落としては額に突き付けられる。
「実践を交えた模擬訓練……ってところかな?」
可愛い顔に似合わず意外と好戦的なんだなと印象を受けると同じく、その笑みが妙に歪に見えたのも気のせいではないだろう。そもそも嬉々としているのは間違いない。
物騒なジェスチャーや手振り身振りにパフォーマンスだったり、何故かシエルの笑みがやけに怖く見える様に映る。
「シエル……夕食には間に合うように頼みますよ?」
ちょっと後ずさり気味にルシリアはその場を逃げる様に早々と後にした。その遠ざかる背中を助けるような瞳が自然と追ったのは言うまでも無く。
今はもう逃げた先のルシリアの行動を見るに、シエルはその見た目とは裏腹にどうやらスパルタらしく、所属する騎士団内でも有名というのは本当のことらしい。
何でも、彼女と訓練をするのなら命が一個では足りないという生々しくも恐怖に駆られる話しか付いて回らないというのだから、他人事ではなく自分自身も嫌々覚悟しなければならないと、喉が静かに鳴った。
刀身が夕焼けを浴び眩い朱色に染め上げられ、半分に欠けた夕陽を映している。烏の鳴き声が鬱蒼とした深緑の屋根を叩くよりも大きな金属音が辺りを劈いていた。
デリスから出てすぐの森の中、剣と剣が綺麗な金属音を、否、一方的に打ち鳴らしていた。鍛錬に励むような間柄に見えるだろうけれど、使われているのはどちらも真剣。十字架を模すクレイモアと、背丈ほどある巨大で肉厚なツヴァイハンダー。
「ほらほらぁーー!」
ほぼ常時と言っていい程、視界には無数のクレイモアが迫り来てはその刃が覆い尽くす。刃と云えば無骨なイメージがあるがしかし、そのクレイモアは剣舞というに相応しい華麗な舞のよう。
当然そんな剣捌きを見せるシエルは勿論本気ではないが、それでもロードナイトたる力は他を圧倒し、オレはあの《力》が無いとツヴァイハンダーで防御だけを選ばざるを得ない。否、選ばされているというのが正解か。
「こんのおおおおぉぉーーっ!!」
振り払われたクレイモアをツヴァイハンダーで一閃して弾き、そのまま足で刀身を押え込み続け様に刃をシエルのがら空きのボディに振り払う。
「そんなので抑えたと思ってるの?」
刹那、シエルが呟くその瞬間だけがゆっくりと流れ、直後、足場が浮き、身体が浮遊感に捕らわれればツヴァイハンダーは捉える獲物を見失い虚空を斬った。
「なっ……!?」
純粋な腕力の差、唯それだけだった。
抑え込む力があまりに小さすぎた為、シエルは腕に力を込めただけでそれを振り解いただけ。自分はそれすら認識する暇も無く、宙を舞っていた。
「そろそろ危険に身を置いてみると、するよっ……!!」
当然の事ながら空中で身動きを取ることはできない。シエルの様に木の葉を足場にするなんて芸当はとてもだが人間業じゃないし、かといってこのままじゃ直撃を食らうビジョンしか視えて来ないのは明々白々。
目の前のそれが、獣に、否、自身を喰らう何かに見えたのか、総毛が粟立っては眼を見開く。瞬間、高鳴る鼓動が一鳴りした後、一瞬だけ世界の動きが停まり――そして、動き出す。
自身だけが、鈍行を辿るその世界の中で時を動くことが赦されたかのように、あの時と同じくシエルの動きが手に取るように判る。そうして何かに揺れ動いた感情は、自分の上に貼り付けるようにして歪な表情を浮かばせていく。
《 人間を、殺せ。世界を、壊せ 》
頭蓋に響く声は血液に溶け出すようにぬるりと身体を巡っていく。憎々しく、恨みがましく、怨みがましく、だけれど、純然たる声を遮るものは身体の内には一つとして無かった。
「――…シエ……めて……れ……ッ」
ひとつひとつ、四肢を捥がれて行くかのように、身体の制御が奪われて利かなくなる。
次第に眼が真っ赤に染まるのが自分でも判った。それはまるで、侵食される様に、内に何かが這いずり回るそんな歯痒さと悪寒を感じる様で、視界が赤く明滅していく。
「殺意……それとも殺気に反応するの……?」
確かにこの《力》は脅威だ。騎士団隊長らとも肩を並べる、いや、それ以上の可能性を秘める身体能力に得体の知れない底知れぬ五感。何よりその熟練された動き。
唯幸いに、戦闘時においての思考能力、判断が明確じゃないのが唯一の救い。破壊と殺戮だけが目的であり行動理念の為、それ以下でもそれ以上の考えを示さない行動は至って単純。
《赤い瞳》の向う先、唯一つ求めるものは――命
「せっかくだし、どの程度か見てみようか」
足場の無い空中で身動きの取れないアイルに対して振り下ろすクレイモアを空振りさせ、その反動でそのまま反対側まで回転して飛ぶ。着地すると同時、アイルも足を地につけては、振り向き様に相対せんと地を蹴り弾き飛んだ。二人ともに人とは思えない狂人じみた笑みを浮かべながら、互いに振り下ろした剣が十字を描いて火花を散らす。
それは、正しく宿命と定められた戦いを戦っているかのような、そんな錯覚を覚えるほどの本気さを二人は纏っていた。
「さ、その《力》を見せてみなよ」
《加速》を脳内で呟けば、続け様に拳を組んで眼を瞑り、開ける。瞬間、見開いた眼からは殺気にも似た研ぎ澄まされた集中力が放たれ、その双眸は刃の向こう側でニタリと笑う赤瞳の剣士を見据えていた。
「死ネ。人間ハ敵、殺スッ……!」
剣士が踏み込んだ場所は何かで押し潰されたかの様な跡が残っていて、それだけでどれだけの《力》なのかを想像させるには充分だがしかし、底を知るにはまだまだだった。
その殺気篭った踏み込みに反応するかの様に、相対するシエルは飛ぶようにしなやかに地面を弾き跳ぶ。
「ウオオオォォォォーーーーーッ………!!」
「はあああああぁぁぁーーーっ!!」
剣士は顔色一つ変えずに左右上下に繰り出されるシエルのクレイモアを受け止めている――否、前言撤回。受け止めているのではなく、それより上、肉厚な刀身を使い巧みに受け流していた。
薙ぎ払われた刃に添えるように刀身を差し出すも、クレイモアの力に合わせてツヴァイハンダーを傾け流し、外側へ往なす。力だけでは決して成しえない芸当。
それも、シエルが《加速》を使い、尚且つその速度を徐々に上昇させている攻撃にも関わらずだ。
「ァァァァアアアアアーーーーッ……」
「力が、前よりも増して……っる…ッ……!?」
均衡を保っていたツヴァイハンダーがクレイモアごとシエルを押し退ける。先程シエルがアイルへとやって見せたのと同じことではあるけれど、それとは比べ物にならない。吹き飛ぶスピードも、その力も、人一人まるごと直接押し投げた様に彼女は宙に放られている。
人外の力で吹き飛ばされたシエルの身体が大木を揺らし、木の葉を散らしていく。晴れて行く土煙から驚愕の表情を浮かべるシエルが顔を覗かせた。
「くっ……どういうことなの……ッ?」
明らかに昨日とはまるで違うパワー。
油をぶちまけた火が勢いを強くするように増して行くそれは、それ自体に意志があるかのように、覗く双眸に見える感情は姿形を変えていく。
《 何かに呼応して、増幅しているッ……? 》
様子を見る筈だけだったのに、いつの間にか全神経がその戦闘とも取れるものに反応し、挙句の果てには彼女の心中に警鐘さえ鳴らしていた。
「まぁでも、ロードナイトを舐めないで欲しいね……ッ……」
言いながら、その一瞬の間に、恐怖や困惑といった戦闘への恐怖、疑問を全てかなぐり捨てた。
容易く思えるそれは、出来ない故に死に往く者も少なくは無い。誰もがそう思ってはいても、出来ずに死んだ者たちを彼女は戦場でそれを知っている。
次いで、シエルはクレイモアの刀身に掌を当てて何かを流し込み始める。僅かに刀身が光を放ち、シエルから何かを吸い取っているように見えるそれの正体は闘気。
魔法で扱う魔力とは違う、体内を巡る気と呼ばれる内在的な力を闘気と呼び、それは様々なものに働き、達人はそれを物理的な力へと転換させることで攻撃に利用する。
「念には念を、入れないとね……ッ!!」
《闘気刃》と呼ばれるそれは、武器やその類に自己の闘気を流すことにより武器の耐久度や鋭利さを一時的に上昇させる、云わばコーティングのようなもの。
神の金属と云われている《オリハルコン》で造られたとされる十字架の剣は、それだけでも圧倒的な硬度と切れ味を誇るというのに、一騎当千の実力を持つシエルの闘気を纏ったらその破壊力は計り知れない。
「殺セ、殺セ……ッ……!!」
飛び掛かる剣士の一刀両断をクレイモアで斜交いの形で受け止めるも一瞬、そのまま刀身同士を奔らせ横へと受け流しながら体勢を滑らせる様にして懐に入り込み、右太腿に鋭い薙ぎ払いを食らわす。シエルはそのまま追撃をせずに、慎重を期してバックステップで距離を開けていく。
「痛みくらいじゃ怯まないの……?」
切り付けられた太腿に浮かび上がる血線、そこから滲み出て噴き出る血飛沫が傷の深さを物語っているというのに、目の前のそれ(・・)は怯む事も臆す事も無く、食い殺す為に刃を振り上げた。それも、何も無いところで。
不思議に思うよりも早く、虚空に何かが飛翔する音が耳朶を叩く。
意識が遅れること数秒。頬を掠める感触に襲われ、それが確かに刃で斬られたものと同じことを認識する。追うようにして背後に振り返れば、その見えないものは大地に根を張り、壁のように立ち並ぶ深緑を実らせた屈強そうな大木たちを意図も容易く薙ぎ倒していた。
距離は近距離とはいえ、確かに在った。
それも、身の丈ほどある巨剣であってもその刃が届く距離には到底見えない。が、確かにそれはシエルの頬を掠め取って後ろの木々を薙ぎ倒し、その証拠に丸太と化した残骸が転がっている。
「空気の、刃………?」
剣士の動作を見るに剣を一振りしただけの単純な動作だがしかし、その振り抜く速さが異常な速さであった為か、その一閃が空気の刃を造り出したのだろう。
確かに、振り上げたところまでは覚えているものの、直後に襲った鋭い痛みで振り抜いた動作を見るに至っていない。それに、あの力であるならば、尋常ならざる速度で振り抜くことなど想定の範囲外であったものの不思議では無い。
「やっぱり動きを止めないとか……」
全力で戦えば勝てるが、それではアイルの身体が只では清まないどころか致命傷を与えてしまう可能性も在る。勝てるというのは嘘ではないけれど、相手が傷つかないよう手加減などする余裕は無い程の相手だった。
先日のように四肢を麻痺させる他無いと悟ったシエルは、濁した表情を直に仕舞う。
先刻から彼の動きに驚いている彼女だが、それを微塵も思わせない超人的な動きを見せ付ける。
対照的な静かな踏み込みで真横に立ち並び、二歩目で背後に回り一撃を見舞わせる。が、赤瞳の剣士は独楽のように回転しながら薙ぎ払い一撃を難なく防ぐ。衝撃で弾かれ手元に戻った剣を握り直し、この状況を愉しんでいるかのようにシニカルな笑みを浮かべながら剣閃を繰り出す。
一見して余りにも不釣合いな大剣は剣士にしてみればそれすらもアドバンテージのようで。
一刀両断のもとに振り下ろし防がれるも、予想していたかのようにシエルとの身長差を逆手に取り懐に入り込む。その隙を突かれないよう、肉厚の刀身を壁のように背に預けられては攻撃することも難しい。
「痛いけど、男の子なんだから我慢してよ……ッね!」
懐から繰り出される攻撃に四肢は伸び切らず満足な反撃も間々ならないがしかし、ロードナイトで《戦女神》の二つ名は伊達ではない。
後退するようにバックステップをひとつ踏み込めば、追随するように剣士も更に踏み込み、小さな挙動ながらも刃が脇腹を食い破らんと振り上げられシエルに肉迫する。
狙っていたのか、今度はシエルが悪戯のように笑みを浮かべる。
命の取り合いをする道具である剣先にブーツの底を軽く乗せ、ふわりと半月を描くように背後へと舞う。その人外染みた動きに反応する剣士も剣士だが、相手が悪い。
先と同じ攻撃。そう思わせた時点で彼女の掌の上。背後に振り払われた無言の一撃を笑いながら叩き落とすシエルが握るは鞘。軌道を逸らし、上体を仰け反らせるだけなら本命でなくてもいい。教えるように振り払われた鞘の背後、影に浮かぶ左手が本命のように振り上げられているのを剣士は見た。
最小限の動きで針を突くように放たれた十字架の剣は、未だ体勢を立て直しきれていない剣士に吸い込まれるように四肢を穿った。
「ぐッ……く……っそ、またっ……」
シエルの猛打をあれだけ食らったそれが掻き消えアイルが戻ってくる。悔しそうに唇を噛み切っては再び眼を閉じ、何事も無かったかのようにその場に静寂が戻るも、それを見詰めるシエルに不安が浮かんでいたのは誰の目にも止まる事は無かった。
「もしかしてこの子って……」
まさかそんな事は無い。
シエルはそう言い聞かせて、自分の恐ろしい考えを口に出す事を我慢した。誰かに聞かれることを、怖れるように。
陽は既にその姿を消し、シエルの迷いを示すように漆黒の闇を手繰り寄せていた。
夜の帳が降り暗闇の支配する森の中に、重く、暗い金属音が鳴り響く。
魔物はそれを襲うことをせず、挙句の果てには道を譲る様に森の奥へと姿を消していく。まるで、食物連鎖の頂点に立つものが現れたと言わんばかりのそれだった。
「あそこか……」
生い茂る深緑の天涯の隙間を縫って降り注ぐ月光が、悪戯にそれを暴き出す。
黒い鎧に黒いマント、そして携えられた黒い大剣。
静かに、闇が迫る