死
「暑い……」
そう呟きながら柴崎春雄は額を袖で拭った。
しかし、袖も汗で湿っていたのだろう。余計濡れてしまった。
止めどなく溢れる汗。それはこの猛暑だけが原因じゃない。
ちらりと、右手を見やる。
そこには、一つのおにぎりが握られていた。
おにぎりを握る手は春雄の体の何処よりも汗で湿っていて、パッケージはビショビショだった。中身は無事だが。
春雄はこのコンビニで万引きをしたのだ。おにぎり一個。
今犯した犯罪を誰かに悟られるのを恐れていたのである。
(いいや……落ち着け俺……)
深呼吸して、自分を落ち着かせる。
(バレる訳がねぇ……俺は誰にも見られる事も無く、仕事をやったんだ……バレる訳がねぇ……だから落ち着け。俺)
と、思った矢先……
「ちょっと君。右手見せてよ」
びくりと体を動かし、振り向く。
背後には、ガタイのいい男が立っていた。
エプロンを来てるからコンビニの店員なのだろう。
コンビニ店員のエプロンには体が合わないいい体つきだ。
(……とか、分析してる場合じゃねぇ!!)
春雄は全力で駆け出した。おにぎりを握ったまま。
「あ。待てッ」
背後から、男の声がした。構わず走る。
春雄は、元々足の早い方では無かったが、危機的状況に陥ると底力を発揮するタイプなのだ。火事場の馬鹿力ってやつか。
全力疾走しながら……そして、時に、そこらのジジィやババァ。妊婦だろうか。腹の膨れた女。自転車に乗ったガキを次々に押し倒しながら、これまでの人生を振り替える。
殆どの事に負け続け、常に底辺の人生を歩んできた春雄は他人と関わる事を嫌っていた。
皆、格が下の春雄を見下し、優越感に浸ってる。そう感じたからだ。
親や教師にも見捨てられた春雄は、この世の殆どが嫌いだった。
……とここまで考えてた事を脳内から打ち消す。
(なんだこれは。まるで走馬灯じゃないか。漫画だったら完全な死亡フラグだぞこれ)
等と、考えながら、交差点を飛び出した。
男の「危ない!!」という声とトラックのクラクションが重なって聞こえた。
刹那、全身に激痛が走った。
……と思いきや、すぐに楽になった。
と、同時に周りの車の音や、春雄が押し倒して来た人々の悲鳴。笑い声。話声……全てが聞こえなくなった。
今、春雄に残った感覚は視覚だけ。
(あ)
春雄の目の前に春雄と全く同じ服装の人間の足が見えてきた。
(あー。はいはい。そういう事ね)
その体は首から上が無かった。
よく見ると、指も数本無くなっていた。
そう。つまり死んだのだ。トラックに跳ねられて、ド派手にグチャッと。
で、今現在自分は首だけの身なのだ。
視覚しかないのはちょっと謎だが。
頭部を失った春雄の胴体から大量の血が吹き出した。
そして、その場に倒れた。
野次馬が生首に近づいて来た。
皆、写メを撮ったり、自分から見ておいて目を伏せたり、嘔吐したり……と野次馬のリアクションは様々だ。
野次馬の中に先ほどの男が居た。
細く微笑んで生首を見下ろしていた。
(何だよ見るんじ ゃねぇ よ 。お れは見世 物 じ ゃ ね ぇ よ)
そこで春雄の意識は途絶えた。




