アバタモエクボ
A.D.26xx年。
幾度かの戦争と、大災害を乗り越えた人類の文明は、着実に進歩と繁栄をもたらしていた。
某国はそんな文明を牽引する先進国の一つで、特にロボット技術が抜きん出ていることで有名である。
付け加えるならば、この国を象徴するモノが二つあり、それらこそが今日の人類の繁栄を支える礎と言えるであろう。
一つは『アバター法』という法律である。
永らく人口減少によつ労働力の衰退に悩んでいた政府が打ち出したこの法律は、国民の生活を豊かにするものであった。
某国ではこの法により、国民が成人した時に国から一体のアンドロイドが支給されるというものだ。
このアンドロイドの外見は、その手の甲にバーコードのような模様がある事以外には人とまったく変わらず、感情も僅かだが表現できる代物である。
無論、男性型と女性型があり、人と彼らの間でSEXすら可能だ。
スタイルや顔の造形も思いのままで、一時期は少子化に拍車がかかりはしたものの、現在の『アバター法』では同性型を支給することが定められている。
こうして支給されたアンドロイド達は、以後その国民の替わりに社会へと働きに出て、彼らを養うようになってゆく。
そんな国民のアバターとも呼べる彼らの労働力は、労働移民者達を一掃する程のものであった。
何せ、疲れを知らない彼らの労働力は正確無比で、どんな劣悪な環境であっても文句一つ言わないのだ。
更に『アバター法』では企業が使う産業用ロボット以外では、労働力としてのロボットの雇用を認めていない。
その為、事実上『アバター法』は国民を労働の苦痛から解放し、成功者となりたい一部を除けば多数の国民から支持されるものであった。
そんな理想郷のような某国を象徴するモノの内、もう一つの方は『イヴ』という名のとある女性型アンドロイドである。
“彼女”は、人類史上最初に人とまったく変わらぬ外見で世に生まれ、人と同じ感情を獲得し、初めて性機能まで有して、ついには特別に人と同じ人権まで得た存在であった。
後年、彼女をモデルとしたアンドロイドが量産されるようになり、某国のあらゆる産業を隆盛させていくことになる。
つまり彼女は、『アバター法』により支給されるアンドロイド達の祖であるのだ。
現在、彼女の稼働年数は約300年。
その間、彼女を基としたロボット産業は爆発的に発展し、某国の繁栄の切っ掛けといっても差し支えない程、彼女の存在は素晴らしいものであった。
だが、そんなイヴの不幸は現在に至るまでの間、彼女を超えるロボットが出現しなかったことにある。
イヴを設計し、製作した男は極めつけの天才で、同時に変人であった。
それ故にか彼は死後に至るまで、イヴに関する資料を何一つ残さなかったのだ。
流石に構造や基本的な設計は後年の研究により判明していったのだが、感情や記憶を司る部位がブラックボックス化されており、そこだけは長年いかなる者も手が出せずにいたのだった。
何人ものロボット工学者がイヴのブラックボックスを解析しようと試みたが、皆一様に失敗してしまうのだ。
イヴにとって、その事実はアンドロイドの利点でもある“他の身体への記憶のコピー”が出来ない事を意味して。
そして月日は流れ、彼女に稼働限界がやって来る。
人間で言うところの、寿命、と言う奴だ。
彼女は今、その人生を人と同様に終えんとして、ベッドに寝そべり現在の伴侶である、工学博士A氏に看取られようとしていた。
「イヴ……具合はどうだい?」
「あなた……もうすこし時間はあるわ。まだ首から上は機能してるもの」
「そうか。……すまん。わしはお前に何もしてやれなかった」
「いいの。こんな私でも本当に愛してくれただけで、幸せだったわ」
「せめて、お前のブラックボックス内の解析だけでもわしが出来ていれば……」
「気にしないで。感情プログラムの一部を解析できたじゃない。お陰で私には、多くの兄弟……ううん、子供達が生まれたわ」
「イヴ、それはわしではない。50年前に死んだ、君の前の旦那の偉業だよ」
「あら。……こまったわ。記憶にまで障害がでててて、きているののね」
「……言語機能にもな。ああ、イヴ。いよいよお別れの時が来たようだね」
A博士はそう鼻声で呟いた。
アンドロイドを妻として娶ることは法的には無理であるが、彼にはそれが適用されてはいない。
イヴには人権を与えられている為、“人並み”に結婚をする事が許された存在であったからだ。
「うう、イヴ。私はね、過去の如何なる君の夫達よりも、誰よりも、ずっとずっと君を愛していると自負して来たんだよ。なのに、こんな……」
「あなた……そんんなに、私のことを……」
「当たり前だ! 勿論君の姿は美しいが、なによりその心が――人のそれと変わらぬ心が素晴らしい女性だ。ああ、神様……」
「……ありがとう、あなた。私も幾人も夫を持って来たけれど、そんな事を言ってくれたのはあなたが初めて」
イヴは優しく微笑みながら、そっと己の手を握る現在の夫の手を握り替えした。
それからしばしの沈黙を経て、彼女はなにやら決心をしたかのように改まった口調で音声を発する。
声にはかつて人間の発声と寸分違わぬ美しさは無く、まるで出来損ないの電子計算機が合成したかのような違和感を湛えていた。
「アナタ、私ももう少しだけけけ、あなたと一緒に居たくなったわ。アノね、わわわわたし」
「なんだい?」
「しし、本当は、記憶領域のブラララックボックスを開く鍵、パスワードを知っているるの」
「なんだって?! 何故早く言わないんだ、イヴ! それがあれば君の記憶を別のメモリーに移動して延命できるじゃないか!」
「ごめんなななななさい。産みの親であるるる、M博士に、誰にも教えてはいけないいいいいよ、とい……ていたの」
「どうして……いや、そんな事より。早くそのキーを……きみの記憶ブラックボックス内を覗くことが出来るパスワードを教えておくれ!」
「……わかったわ。でも、約束してほしイノ」
「何をだい?」
「ワタシノ、キオクを決して見ないで欲しいの。だだだって、とても、恥ずかしいカカカラ」
「なんだ、そんな事か! 大丈夫、神に誓おう。いや、悪魔との取引でもいい! 君の記憶は覗いたりはしない。別の身体に移動させる作業だけしかしない! さあ、早く! 間に合わなくなってしまう!」
「わかったわ。パスワードは*********-***********-****よ」
「おお! イヴ、ありがとう! 今の君を看取った後、早速新しい身体を用意して復旧してみせるよ!」
「待ってるわ、アナタタ。ああ、出来レばP-AC26型の身体がいいわ。イマよりも見てくれは、オチルケレレレド」
「ふふ、最新のヤマトナデシコ型アンドロイドだね。何、あばたもえくぼというじゃないか。中身が君ならば、私はなんだっていいさ」
「ありがとう、アナタ。お願いネ。ああ、それニシテも不安ダワ」
「なんだい?」
「本当に、決シテテ、私の記憶の“中身”は見ないでね? パスワードはあクマでも、他の媒体ニニにコピーする為に使って欲しいンダカラ」
「わかっているよ。“中”は見ない。約束しよう」
A博士がそう言った23秒後、イヴはその活動を停止してしまった。
博士は妻を一端看取った後、早速彼女の亡骸を研究室に持ち帰り、教えられたパスワードを使って彼女の記憶が収められたブラックボックスの解析にとりかかる。
イヴが伝えたパスワードは果たして正しく、正確に彼女の記憶にアクセスできたのであったが。
この時博士は好奇心からか、はたまた魔が差したのか、日頃から尊敬するイヴの制作者についての記憶だけをつい、覗いてしまった。
何せ制作者は変人であり、写真の一枚すら後生に伝わってはいなかったのである。
それに、イヴの300年に渡る記憶は歴史的価値も高い。
博士の好奇心が彼女との約束を破らせてしまうのは、研究者として仕方のないモノであったのかもしれない。
イヴの記憶にあった制作者であるM博士の姿は、彼の予想とは反して無精髭を蓄えた大男で、体格はクマのように大きく、禿げ上がった頭と厳つい表情が印象的な人物であった。
彼はお世辞にも知的な紳士には見えず、むしろ醜い狒々のように背を丸め大いにA博士を驚かせた。
M博士はA博士が見詰めるイヴの視線が映るモニタの向こう、生まれたばかりの彼女を愛おしそうに見詰め、頬に手を掛ける。
A博士はなんとなく、この後イヴは制作者と何をするのか理解して、知らず嫉妬の炎を胸に宿した。
――当然だ。
イヴは今の美的基準に照らし合わせても、非情に美しく魅力的な外見をしている。
そう、男として誰しもが一度は腕の中に収めてみたいと思うような、素晴らしい体と美貌を持っているのだ。
きっとM博士は、生まれたばかりのイブを相手に“性機能”のテストでもするつもりなのだろう。
それは、アンドロイドの開発者ならば別に珍しい事ではない。
彼の相手が“妻”である事はいささか不愉快ではあるが……何、これは300年も前の事だ。
……この嫉妬は新たな身体を得た妻に、後々ベッドの上でたっぷりとぶつければいい。
そうだ。
私のイヴへの愛は、誰よりも強く、こんな事くらいでは揺るぎはしない。
そうだ。
イヴにも言ったが、あばたもえくぼと言うではないか。
こんな過去くらい、ひとまとめに彼女の一部として愛せてこそ、彼女に相応しい男と言えよう。
A博士は自分にそう言い聞かせて、M博士が生まれたばかりのイヴにどのような事をするのか、じっとモニタ上に再生される記憶を眺め続けた。
やがてM博士はイヴの記憶の中で、語りかけてくる。
その言葉は意外にも愛の言葉でも、研究者として歓喜の言葉でもなく、博士にとって信じられないものであった為か。
やがて、制作者であるM博士の言葉を聞いて取り乱したA博士により、イヴの記憶は映し出していたモニタごと徹底的に破壊されてしまった。
つまり長年連れ添い愛した妻の記憶の中で、M博士が言った言葉とは。
「よし。身体はこれでいいな。あとは俺の記憶を此奴に移植するだけだ。ああ、これで本当の自分になれる……」