庭師エリックのため息
初投稿です。未熟者ですが宜しくお願い致します。
さあっ、と穏やかな風が庭園を抜けた。開花したばかりのリリアたちが挨拶を返す様に揺れて、優しい香りが風と踊る様に流れていった。……って今何考えたんだ、おれ。風と踊るとか寒いっつの。
少し疲れたかな、と思ったおれは雑草を抜く手を休めてぐっと大きく背伸びした。この広い庭園を任されて1か月。時間が経つ程たった一人で庭園を管理していた前任者――じいちゃんに対する尊敬は大きくなるばかりだ。
「飯食ったか、エリック」
背伸びついでに腰を捻っていると、明るい声がおれを呼んで思わず左胸を押さえた。やっぱり、ハルだ。ハルはにこにこと笑顔で傍まで来ると今までおれが雑草を抜いていた所を指差して首を傾げてみせる。笑って頷いてやれば、ハルはいつもの様に親指をぐっと立ててニカッと笑うとおれの続きから雑草抜きを始めてくれた。それを見て、気づかれない様こっそり息を吐き出す。顔、赤くなってないよな?
はあ。最近、ハルと一緒にいるといつもこうだ。どきどき音を立てる心臓と戦いながら平静を装うのが段々つらくなってきた。いつもは何ともないのに、今みたいにハルの元気で明るい声がおれを呼んでくれる時とか、反対に名前を呼ぶと満面の笑顔で応えてくれる時とか。数えたらキリがない。
病気かと思って先生に看て貰おうかと思ったけどその前に相談した看護婦のマリアンヌさんに止められた。何故か腹を抱えて笑い飛ばされてちょっとむかついた。ニヤニヤと笑いながらだけど健康のお墨付きを貰ったし不思議と嫌な感じはしないから放置してるけど。何なんだ一体。はあ。
そんなおれの胸中なんて知ってか知らずかハルは鼻歌交じりで楽しそうに雑草を抜いている。楽しそうで何よりだ。そういやハルは出会った時から何時もこんな風に笑顔でいるよな。あの時は今みたいなカタコトの挨拶さえ交わせなくて、言葉が通じない不安もあっただろうに見てると不思議とこっちまで笑顔になるのが分かるような、そんな笑顔を今も返してくれている。
人間嫌いで有名なじいちゃんまでもがハルに笑顔を返してんの見た時は本当に夢かと思ったな。なんせじいちゃんがわざわざこの広い庭園を長年一人で管理してたのは、身内とごく僅かな人間しか本当は優しいじいちゃんを理解してやれなくて次々人が辞めていったからだから。時々ここに来ていたから、腰を悪くしてできなくなったじいちゃんの仕事の引き継ぎ自体は問題なかったけど慣れないおれにとって雑草抜きと雑用専門とはいえハルの存在は有難い。じいちゃん凄すぎ。
ハルがどうやってじいちゃんと知り合ったのかは知らないけど、超腕ききだけど超頑固で超偏屈で超へそ曲がりで……って同じ意味か。まあそんなじいちゃんが身振り手振り小柄な体いっぱい使って子供みたいに一生懸命意思を伝えようとするハルに、できる仕事を教える姿はほほえましかった。
今思えば出会ったあの日、自分とじいちゃんを名前を呼びながら指差し、首を傾げておれを見るきらきら輝く黒い瞳を見たあの時から、この動悸は始まっていたかもしれない。ハルはあの時、おれの事も指差していたから。
「おおう」
女性らしからぬ妙な声にはっと回想に耽っていた事に気づく。見下ろせばハルの足元でにょろにょろとズミーがこんにちはしていた。ハルはこのテの生き物が苦手らしい。にもかかわらず毎日庭園に来てくれる。……まさかのおれに会いに?いやいやまさかなはっはっは。はあ。
「大丈夫?」
当たり前だけど通じなくても声はかける。驚いた弾みでバランスを崩してよろけるハルを支えると、やわらかい体が気持ち良くてなんだかおれが大丈夫じゃなかった。その時だ。
びゅおおおっとさっきの穏やかな風とは比べものにならない突風がおれとハルの間に入り込み「ぎょわえええ」と良く分からない声を上げながらハルが風に巻き上げられて腕の中に収まった。現れた人物の腕の中に。
美丈夫と名高い領主様にも勝るとも劣らないおっそろしい程に整った顔で長身でハルと同じ黒髪の魔術師――カイル様だ。腕の中のハルは真っ赤だ。でも断じて悔しくはない。男は真心だとじいちゃんが言ってたし、背はおれもまだ伸びるかもだし、ハルと同じ黒髪は……。ああ、あれいわゆるお姫様だっことかいうやつだよな。様になるなあ。くそう。
「……」
そんな事考えてる場合じゃなかった。カイル様の薄い水色の涼しい瞳がそれこそ氷が突き刺さるかのごとく「ハルに触るな」と凍えるような重圧をかけてくる。怖いですカイル様。おれ、支えただけで何も疾しい事なんて、いや、だけどあれは……え、何ですか俺の、を付け忘れてる?どういう意味?
だてにハルと目だけで会話してきてる訳じゃない。無口だって言われてるこの方と目だけで会話するのも最近じゃお手の物になってきた。いつもおれとハルが一緒に居ると何処からか湧いて出てくるからなあカイル様。てか無口どころかすごいお喋りですよねカイル様。
思ってる事が伝わったのか途端に眉間に皺をこれでもかと寄せたカイル様の額にばっちん、と小気味いい音が響く。カイル様の美しい顔にデコピンできる女性なんて国中、いや海越えて探しても間違いなくハルしかいない。
ハルは自分も眉間に皺を寄せて何故かちょっと頬を染めてるカイル様の腕から降りると、その腕をひっぱって雑草を掴ませた。え。カイル様に雑草抜きさせるの?まじで?え、カイル様超素直。てか嬉しそう。っひええ。ハル任せろとばかりに笑顔くれんの嬉しいけど今こっち見ないでカイル様超怖い。
……はあ。言葉は大事だけど本当に伝えたい思いってのは表情とか体の動きとか案外言葉の裏側の方が雄弁だ。おれのこの正体不明の動悸、カイル様のおかげで怖いからじゃないって事は分かった。自分でもどんな思いが隠れてるのか分からないけど、もし伝えるとしたらきっと相手はハルだ。
そんな日がいつか来るのかな、なんて思いながらおれは残りの仕事に取り掛かった。
……カイル様、そんなに睨まないで下さい。はあ。
ご一読ありがとうございました。