・血族の掟・『絆』
朝日が昇り、いつもの朝ではない事を感じ心はそれでも穏やかでいれたのは何故だろうとそう思っていた。突然、告げられた事実を受け入れる事しか出来ずただ、黙って頷くしかなかった自分が、悲しかったのかそれ共この先に待ち受けるものへ何かを期待したのかは分からなかった。ただ枕元に置かれている新しい着物を眺めて、それが母から与えられた大切な物だと言う事を心に、膝元に抱きそれに頬ずりをした。幼い頃に亡くした母の香りを覚えていた。いつも この香を感じると母が抱きしめてくれる時だった事を、それによって鮮明に思い出した。今、此処に母がいてくれたらなんと言葉をかけてくれた事だったのだろうとそう考えたが、答えは見つかる事はなかった。外では鳥が囀っている・・・朝を知らせる使い。初夏の朝は静かに訪れ、その静寂を断ち切ったのは乳母の声だった。
「槇様、御目覚めのご様子ですが、旦那様より支度を整う様、昨晩に言伝を頂いておりますが・・・入ってもよろしいでしょうか。」
もう少しその静寂の中に自分の身を置いて置きたかったが、それは許されないようだった。いつもその乳母は自分の起きている気配を察知し、邪魔にならない用に声をかけてくれている事を知っていた。兄は今日はいないのだ・・・それを知っていて、父はこの日にしたのだと言う事を知っている。もう逃げる事すらも出来ない。意を決した様子でその返事を返した槇だった。静けさが打破られる時だ。
「入って、静。手伝って頂戴・・・」
「失礼、致します。」
部屋に入ると、槇の作る不思議な空気を何時もながらに感じる静だった。既に出されていた着物を手に取ると肌襦袢を身に付けたのを目にして、静は邪魔にならない用に手を貸すのだった。その間に、二人は口を聞かなかった。いつもの機嫌を宥める言葉も静からは発せられない。それわ有難いと思っていた。幼い頃から長い間、自分に仕えてくれたそれが証だと思った。兄と共にもっとも信頼のおける者だとそう考えていた。耳にさらさらとした衣擦れの音が入り、その思考は絶ち切られた。この着物は父に始めて出会った時に来ていた物だと、ただ一言だけを告げられた槇。思いはみな繋がっているのだとそう思った。支度を整え、髪を梳いてくれた時に初めて話しかけられた槇。襖は既に開けられていたので、外の美しい緑を目にしながらと願った槇だった。後どれくらい此処にいられるか分からないと思ったからだった。
「思い出しますね・・・いつぞやの夏もこうして槇様の髪を梳いていました。兄様がその時もいらっしゃらない時でしたね・・・」
それに悲しそうに頷いた槇だった。膝の上の手が少しだけそれによって動いた。
「お仕事で初めてお家にいらっしゃらなかった時ね・・・今も同じ様に不安よ、静。どうして此処にいつまでもいてはならないのかしら・・・」
「旦那様には旦那様のお考えがございます、静には何も申せませんよ・・・ただ、一つだけ考えられる事はそれが一番いいとお考えになった事だということですね。」
それに少しだけ微笑んだ槇だった。
「静のいつもの、ただ一つだけを久しぶりに聞いたわ。そしていつも答えは同じ。お父様の考えで一番いい事・・・本当にそうなのかしらと今は考えるわ。静、私はあの時とは違う、今はもう一人でも物事を考えられる年よ・・・なのに兄様がいない間にこんな事を。お帰りになられたらさぞやお怒りになるわ。」
それを宥めながら、最後の髪を梳かし終わった。肩にそっと手を置いて耳元で囁かれた言葉は槇の心にぽとんと落ちた。
「何もかも時は来たれりです。」
手を握られた後、真正面に座り改めて槇の姿を目にして、涙を浮かべた静だった。
「本当に奥様がお帰りになったよう・・・いってらっしやいませ槇様、そして貴女様の人
生が素晴らしいものでありますよう、静は願っていますよ。」
そういって深々と頭を下げられてはもう何も言えなかった槇だった。そこに同じように礼を交わしてありがとうと一言を告げると、立ち上がった槇。庭を眺める・・・毎日、毎日
見て来たこの場所を愛しげに横に見ながら部屋を後にするのだった。部屋には槇の悩みと心の塊が残されていた。それを断ち切る様に槇は振り返らず一歩を踏み出すのだった。