第一話:円環の檻、落日の夢
その円い建物は、かつて私にとって世界のすべてだった。
巨大なドーナツのように空を切り取る土楼。
数百人の一族がひしめき合い、
祭りの日には中庭に爆竹が鳴り響き、赤い提灯が円環を彩る。
土の壁は冬に温もりを蓄え、夏には涼やかな風を呼び込む。
父は一族の長老として敬われ、
私はその中心で、土の鼓動を聞きながら笑っていた。
けれど、そんな光景は文字通り「砂上の楼閣」だった。
「おい、ぐずぐずするな!
豚の餌やりが終わったら祖堂の掃除だ!」
鋭い声と共に、背中に冷たい水が跳ねた。
親戚だったはずの男が、
空になった桶を放り出して私を睨みつける。
父が政争に敗れ、失脚し、
病でこの世を去ってから、世界は一変した。
母も後を追うように亡くなると、
私の居場所は豪華な私室から、
家畜小屋の脇にある湿った物置小屋へと変わった。
かつて私に微笑みかけていた隣人たちは、
今や私を透明な存在か、
あるいは目障りな汚れ物のように扱う。
「……はい、すぐに行きます」
私は泥に汚れた袖で顔を拭い、
重い足取りで中庭の中心にある「祖堂」へ向かった。
一族の始祖を祀る、この土楼で最も神聖な場所だ。
けれど、今の私にはわかる。
手で触れた壁はカサカサに乾き、
土の粒子が悲鳴を上げている。
この土楼はもう、一族を守る力を失いつつあるのだ。
静まり返った祖堂の床を掃いていると暗がりの隅から
「フン」と鼻を鳴らすような声が聞こえた。
「相変わらず掃除が下手じゃのう。隅に埃が溜まっておるぞ」
見上げると、供え物台の上に一匹の三毛猫が座っていた。
ふてぶてしい態度で顔を洗っているが
その体はどこか透き通っており、陽炎のように揺れている。
この土楼を建てた始祖の精霊。
……そして、今の私にとって唯一の「味方」だ。
「おじいちゃん、また出てきてくれたの?」
「誰がおじいちゃんじゃ。せめて『様』をつけい。
……桃花、お前、また痩せたか?」
猫は台から飛び降りると、私の足元に体を擦り寄せた。
実体がないはずなのに、
不思議とそこだけが陽だまりのように温かい。
「今日、決まったみたいなの。
遠くの山を越えた先にある土楼へ、養女に出されるって」
「養女だと?
吹き溜まりのような場所に追い出すの間違いではないのか。
あやつら、わしの血を引いておきながら、恩知らずな真似を……」
猫はフシャーッ!と毛を逆立てて怒った。
けれど、その怒りも私を救う術にはならない。
「いいの。ここにいても、もう……」
私は言葉を飲み込んだ。円い空を見上げる。
かつては自分を守ってくれる
最強の城壁だと思っていた土壁が、
今は私を閉じ込める――呼吸すら許さない檻のように見えた。
数日後。
私はわずかな荷物と共に、馬車に乗せられた。
見送りも、別れの言葉もない。
ただ、一匹の猫だけが、誰にも見られない姿で
私の膝の上に丸まっていた。
しかし、運命はさらに残酷だった。
山道を進む馬車の前に、
野蛮な叫び声が響いたのは、日が沈みかけた頃だった。
「盗賊だ! 荷物を置いて逃げろ!」
混乱、怒号、そして悲鳴。
馬車を飛び出し、茂みの中を無我夢中で走った。
背後から迫る重い足音に心臓が早鐘を打つ。
足元が不自然に軽くなったのは、霧の深い崖の淵だった。
「あっ――」
浮遊感。
膝の上にいたはずの猫が、
必死に私の着物を噛もうとして、
その透けた牙が空を切るのが見えた。
「桃花ーーっ!!」
おじいちゃんの叫び声が遠ざかる。
冷たい風が頬を打ち、視界が真っ白に染まっていく。
(ああ、私の人生、なんだったんだろう……。
今度は、壊れない場所で、誰にも邪魔されない場所で……)
意識が、プツリと途切れた。
……。
…………。
「――おい。こら、起きろ。死んでいる暇はないぞ」
聞き慣れた、けれど少し焦ったような声が聞こえた。
重い瞼を開ける。
最初に目に飛び込んできたのは、
あの中庭から見た円い空ではなかった。
夜空を貫くような、色とりどりの魔力の光。
空を滑る鉄の器。
巨大な硝子の壁が、刃物のような鋭さで連なる
幾何学的で無機質な景色。
「……何、これ。建物が……鳴いていない?」
土の匂いもしない。風の通り道もない。
ただ圧倒的な魔力で強制的に形を保たされた、死んだような街。
「知らん。
だが、お前がさっきまでいた場所でないことだけは確かじゃ」
横を見ると、そこには不機嫌そうに尻尾を振る
透き通っていない三毛猫が座っていた。
私は、見知らぬ鉄の街の路地裏で
新しい「生」を拾い上げていた。
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