旅立ち
兄様の話を聞いて、正直なところ、内容はすべて理解できたわけではありませんでした。
けれど、兄様がただのマザコンではない、ということだけは、はっきりと分かりましたの。
トボトボと部屋へ向かう廊下を歩いていると、偶然、父様と鉢合わせました。
「フィオナ、少し良いかな?」
その雰囲気から、お説教だと察知した私は――
「お腹と頭が痛いから無理!」
そう言い残して、全力で逃走いたしました。
「フィオナ!」
父様の声を背中で聞きながら、私は兄様の言葉を思い出していたのです。
兄様は、前世の話をした後で、こう呟きました。
「それでも……もし、エンジェラ様が僕との婚姻を望むのなら、
僕はその想いに報いなければならないと思っているんだ」
「どうしてですの!
エンジェラ様とのことなんて、私とオーレリアでいくらでも邪魔しますわ!」
そう叫んだ私に、兄様は珍しく厳しい顔をして言い放ちました。
「ダメだよ、フィオナ!」
その声に、私は思わず背筋を伸ばしました。
「いいかい、フィオナ。
この国には身分制度がある。家庭教師の先生から、習っているよね?」
頷く私に、兄様は続けます。
「王族を頂点に、その下に僕たち公爵家がある。
今は幼いから許されているけれど、あと数年もして今と同じ態度を取っていたら、不敬罪になるかもしれないんだ」
「……不敬罪?」
「そう。そうなれば、フィオナだけの問題じゃなくなる」
首を傾げる私に、兄様は静かに言いました。
「父様は今の仕事ができなくなるかもしれない。
下手をすれば、家族全員が断罪されてしまう」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられました。
すると兄様は、私の頭を優しく撫でて――
「分かってくれたなら、それでいい」
そう言って、微笑んだのです。
「僕たち貴族は、領民の手本となる存在でなければならない。
僕は、フィオナが領民に愛される公女様になってほしいんだ」
その優しい言葉に、私はただ、頷くことしかできませんでした。
それでも、この日を境に――
サボりにサボっていたマナー講習や歴史の勉強を、きちんと受けるようになりました。
あの日、お説教をしそびれた父様も、私の変化を静かに受け入れてくださっていました。
そこで私は、どれほど自分が無知で、小さな世界の中で生きていたのかを、痛感したのです。
⸻
月日はゆっくりと流れ、兄様は十六歳になりました。
「いやーっ!
ルイスちゃんと離れるなんて、絶対にいやーっ!!」
魔法を使える者は、貴族であろうと例外なく、学びの場へ出ねばなりません。
それなのに、母様は兄様をぎゅっと抱き締め、わんわんと泣いていらっしゃるではありませんか……。
私が呆れた顔で見ていると、
「フィオナは平気なの?」
と、母様が振ってきました。
本音を言えば――行ってほしくありません。
……でも、兄様が私に求めている答えは、きっと違う。




