第7話 夜の庭で反省会
王城の夜は、昼の喧騒が嘘のように静かだった。
噴水の水音と、夜風に揺れる花の香り。
その中で、ハゥラは石のベンチに座り、両手で顔を覆っていた。
「……うう、やっちゃった……」
昼間の「お見舞いあーん♡事件」は、城中の侍女たちの笑い話になっていた。
“辺境の乙女、殿下に恋のスプーンを突きつける”――なんて見出しがつきそうな勢いで。
「……でも、ちょっとは進展したと思うんだけどなぁ……」
「進展というより、殿下の心臓に負担をかけただけでは?」
静かな声が背後からして、ハゥラが振り向く。
そこにはセオドールが立っていた。月明かりに照らされた騎士服が、彼の落ち着いた雰囲気にやけに似合っている。
「うわっ、びっくりした! 忍者かと思った!」
「忍ぶのはヒッチとコックの仕事です。私は騎士ですから。」
そう言いつつも、彼の口調はやわらかい。
二人の間に、夜の花の香りが漂う。
「……ほんとに、私、余計なことばっかりしてる気がする」
「余計なこと、ですか?」
「だって! 失敗ばっかり! エリザベス様は真っ赤になっちゃうし、殿下はおかゆで火傷するし……」
ハゥラはしゅんと肩を落とす。
セオドールは少しだけ笑って、空を見上げた。
「でも、今日の殿下、久しぶりに笑ってましたよ。」
「えっ?」
「ほんの一瞬ですけどね。エリザベス様が慌ててスプーンを奪って布でお粥を拭いた時、殿下の口元が……ふっと。」
ハゥラの顔がぱっと明るくなった。
「やったじゃない! それって、“恋の発芽”よ!」
「……あなたの頭の中は、常に農業用語なんですね。」
「だって、恋も育てなきゃ実らないんだもん!」
ハゥラは笑った。
その笑顔は本当に、夜の光を跳ね返すように明るい。
セオドールはふと、その横顔を見つめた。今まで気づかなかった――いや、気づかないふりをしていた何かが、胸の奥で小さく音を立てた。
「……ハゥラ様。」
「ん? なに?」
「あなたは、誰かの恋を応援するのが好きなんですか?」
「うーん……好き、かな。でもね……」
彼女は少し考えて、笑顔をやわらげた。
「きっと、“誰かの幸せを見ると、自分も幸せになれる”って信じてるだけ。」
その言葉に、セオドールの喉が詰まった。
自分が十年間、見届けてきた“報われない恋”を、こんなふうに笑って語れる人がいるなんて。
「……あなたは、すごい人だ。」
「え? どしたの急に!?」
「いえ……ただ、そう思っただけです。」
ふたりの間に沈黙が落ちる。
でもそれは気まずいものではなく、柔らかく包むような沈黙だった。
風が、ハゥラの髪をそっと揺らす。
その一筋がセオドールの指先にかすかに触れ――彼は、思わず手を引いた。
「……っ!」
「どうしたの? 虫でもいた?」
「い、いえ。なんでも。」
彼の耳まで赤くなっているのを見て、ハゥラは首をかしげた。
セオドールは慌てて顔をそらす。
「……そろそろ持ち場に戻ります。」
「うん。……ありがとう、セオドール。」
「……ええ。おやすみなさい、ハゥラ様。」
去っていく背中を見ながら、ハゥラはぽつりとつぶやく。
「……なんだろ。今日のセオドール、ちょっと優しかったな。」
月は静かに照らしていた。
恋の神様が、ふたりの間にこっそり種を蒔いたことを、誰もまだ知らない。




