第3話 恋の稽古と眉毛の輝き
翌朝の王城中庭。
さわやかな風が吹き抜ける――が、その中に、明らかに異質な声が響いた。
「背筋っ! 伸ばすッ!」
「はいっ!」
「腰っ! もっと低く! 剣の踏み込みを思い出せぇ!」
「ひゃっ、はいぃっ!!」
……これは、マナー講習である。
正確には、“辺境出身令嬢のためのマナー集中訓練”。
だが、なぜか訓練を指導しているのは、ビッグマッソゥ辺境伯。
なぜ父がここにいるのか、誰も説明できなかった。
「……父上、なぜ王都に……」
「王太子殿下のご厚意でな!」
「いや、呼んでないが」
「娘の教育は領主の責務ッ!」
ハゥラは汗を光らせながらお辞儀をしていた。
「ごきげんようっ……ごきげんよぉっ!」
「声がでかい!」
「すみませんっ!」
「“すみません”ではない、“申し訳ございません”だッ!」
遠くで見守る侍女たちは震えた。
「……軍隊ですか?」
「いえ、マナー講習です」
その頃。
ホールの隅で見学していたエリザベスは、扇子で口元を隠しながら、複雑な表情をしていた。
(……あの娘、元気すぎるわ。でも、なんだか……楽しそう)
ビッグマッソゥの「礼儀は魂の剣!」という掛け声に合わせ、ハゥラがきれいにお辞儀するたび、ドレスの裾がふわりと揺れる。
その笑顔が、まっすぐで、まぶしかった。
(殿下が惹かれるのも……わかる、かも……)
エリザベスは胸の奥に小さなモヤを感じた。
でもそのモヤは、意外と温かくて――自分でも、なんだか少し照れくさい。
「おや、眉毛嬢、珍しく笑ってますね」
屋根の上から、双影がぼそり。
ヒッチが呟き、コックが頷く。
「ええ、眉の角度が2度下がってます。リラックスの兆候」
「科学的か」
「恋は観察です」
「それはもはや研究だな」
彼らの足元には、『恋愛観察報告書・第四章』が広げられていた。
> 記録:
> ハゥラ嬢、マナー講習を“筋トレ”と誤認。
> 殿下:書類作業中。眉毛嬢:表情筋の変化あり。
> 判定:“平和で尊い”。
午後。
ビッグマッソゥの“筋トレマナー講習”がようやく終了したころ。
ハゥラは、ぐったりと芝生に座り込んでいた。
「ふぅ……貴族の礼儀って、すっごく体力いるね……」
すると、日傘を差した影が近づく。
「お疲れさま、ハゥラ嬢」
エリザベスだ。
いつものように完璧な微笑み……のはずが、少し柔らかかった。
「その……先ほどの礼、悪くなかったわ」
「ほんと? やったぁ!」
「……今のは、いただけないわね?」
二人は顔を見合わせて笑った。
――なんだか、ちょっとだけ距離が縮まった気がした。
その光景を廊下から見つめていたアルフレッドは、思わず目を細めた。
「……少しは落ち着いたか」
「殿下、嫉妬ですか?」
突然の声に肩がびくっと跳ねた。
背後に、いつのまにかヒッチとコックがいた。
「違う」
「違います?」
「……違うと言っている」
「記録します、“否定の声色:微妙に低い”。」
「やめろ」
双影は筆を走らせながら小声で囁く。
「殿下、恋の芽は風と一緒です。吹けば芽吹く」
「……お前たちは風ではなく騒音だ」
夕暮れ。
講習が終わった中庭で、ハゥラとエリザベスが並んで腰を下ろしていた。
「エリザベスって、すごいなぁ。なんでも出来て綺麗で」
「そうかしら。あなたの方がずっと……自由よ」
「自由?」
「ええ。私、ずっと“完璧な妃候補”でいなきゃって思ってたから」
エリザベスは、ふっと空を見上げた。
「……でも、あなたを見てると、なんだか肩の力が抜けるの」
ハゥラはにっこり笑って言った。
「じゃあ今度、一緒に畑行こう!」
「……畑?」
「うん! すっごく楽しいよ! ドレス汚れるけど!」
「そ、そうね……検討するわ……(何か他の洋服を…乗馬服でも用意しようかしら)」
ほんの少し頬を赤らめるエリザベス。
その眉毛も、今日はどこか柔らかく見えた。
そして夜。
屋根の上の双影が、星空の下で語り合う。
「ヒッチさん、今回の観察は“友情発生”って感じですね」
「いや、“恋の下地作り”だ」
「殿下が知ったら、甘い顔しそうですねぇ」
「……まぁ、殿下が甘くなってくれれば、我々の仕事も減る」
「ですね。恋、万歳」
二人は仲良く甘い菓子と辛い菓子をかじりながら、空に流れる星を見送った。
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王城の畑は広く、季節の野菜が整然と並んでいた。
ハゥラは泥だらけになりながら、エリザベスに苗の植え方や水やりの手順を教える。
「種は土に深く埋めすぎないようにね!」
「……こうかしら?」
エリザベスの手は初めての農作業に少しぎこちなく、土まみれになった。
しかしその笑顔は、普段の完璧な微笑みよりずっと柔らかく、自然だった。
「ふふ、楽しい……」
ハゥラもにっこり笑う。二人の距離は、少しずつ縮まっていった。
屋根の上、ヒッチとコックが双影として観察を続けている。
しかし、その姿を見つめるのは、王城に残った令嬢達もまたしかりであった。
「な、なんですって……土に手をつくなんて……!」
「まさか…、ひぃっドレスの裾まで汚して……!」
貴族令嬢たちの眉はひそまり、声は小さくも鋭く、ハゥラの背中に降り注ぐ。
「……え? あ、でも、土ってこうして触らないと状態が分からないんだよ?ニッコリ」
ハゥラがニッコリ笑うその横で、エリザベスは、すんごい顔で睨みを効かせていた。
「あ、あら、そうなんですの?」
「で、では、私達はこれで…ごきげんよう(汗)」
「ありゃ、行っちゃった…ま、いっか」
「では、次はどうするのですの?」
「あ、次はねーーー」
「殿下、今日の観察対象:ハゥラ嬢と眉毛嬢、畑にて友情と恋愛の融合か?」
「いや、友情が百合に侵略されつつある!」
「お、エリザベス嬢、土まみれで笑顔が零れました!」
「……観察が細かすぎる」
ヒッチは筆を走らせ、コックは小さく唸った。
『観察メモ:ハゥラ嬢、自由度120%。眉毛嬢、土まみれ度40%、笑顔度+7。友情発動。殿下未介入、影響大。』
その晩、アルフレッドの書斎。ヒッチが報告書を差し出す。
「殿下、畑デートの報告です!」
「また観察メモか……」
アルフレッドは目を通す。
第一話『畑でのハゥラ嬢:土まみれの無邪気さ全開パワーーーー』
第2話『眉毛嬢:初農作業で微妙な赤面、表情に変化』
第3話『友情と恋心が混在』
「お前たち……報告のレベルがもう小説…。」
「殿下……科学的分析ですぅ!」
「いや、コレただの恋愛観察だろう!百合だろう!」
ヒッチとコックは顔を見合わせて苦笑。
翌日、畑の小道。ハゥラとエリザベスが野菜を収穫している。
「ほら、こっちのトマトの方が甘いよ!」
「……ありがとう、ハゥラ」
エリザベスの笑顔は自然体で、久しぶりに心がほぐれる瞬間だった。
ハゥラも楽しそうに笑う。
「じゃあ、次はこの畑の野菜でサラダやおやつ作ろう!」
エリザベスは照れ笑いでうなずいた。
土まみれの手と笑顔、自然の風に揺れる葉。
その光景は、王城の日常に小さな奇跡を運んだ。




