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第二章(4)

 朝の散歩を終えたリネットは、ラウルからもらった帽子を丁寧に衣装かけにかけた。

 ラウルの呪いは気の毒ではあるが、今のところ緩和方法が「おはようのキス」しかないのだから、耐えてもらうしかない。それなのにリネットを気遣って、贈り物をしてくれた気持ちがどこかくすぐったかった。


「ほら、食事に行くぞ!」

「え?」

「お腹が空いただろう?」


 ラウルは爽やかに笑ってそう口にするが、リネットはさほどお腹が減っていない。もともと食べる量が少ない燃費のいい身体をしているのだ。


「いえ、私は後で……」

「そう言って、朝食を抜くつもりだろう? 君は身体が細すぎる。それではすぐに病気になってしまう」

「それは……」


 悔しいことに言い返せない。病気とまではいかないが、疲れやすいため基本的には外に出ない。魔法院の自室と研究室の往復と、たまに食堂へ行くくらい。


 だから、朝から散歩はリネットにとって大仕事だった。しかも猫と出会って興奮してしまったから余計に疲れているのだ。


「ごめんなさい。疲れて食堂まで行けません」


 いっそのこと正直に伝えたほうがいいと判断した。そうでもしなければ、無理やり食堂まで連れていかれそうだ。


「なんだって? まさか、先ほどの散歩で疲れた……?」

「そのまさかですね。私、基本的には動きませんから」


 よろよろとベッドに戻ろうとしたところ、ラウルはすぐにリネットの身体を抱き上げ、ぽふんとソファの上におろした。


「ベッドはダメだ。休むならここにしなさい。食事はもらってくるから、それまでここにいなさい」


 リネットとしては身体を預ける場所があるなら、ベッドだろうがソファだろうがかまわなかった。何よりこのソファは、リネットが普段使っているベッドよりもふかふかなのだ。クッションをぎゅっと抱いて、柔らかな感触に身を任せる。


 だが、その安らぎも即座にラウルの声によって破られた。


「おい、リネット。食事をもらってきた。食べなさい。いや、先に水分補給だ」


 一度、目は覚めたというのに、ふかふかソファの魅力は抜群だった。朝の散歩の疲れも相まって、再び夢の世界へ片足を突っ込みかけたときに、ラウルの声が遠くに聞こえた。


 だからリネットの頭は半分、夢の中。指先一本も動かしたくない。


「ほら、水だ。飲めるか?」


 唇にグラスが触れた。どうやらラウルが水を飲ませようとしているらしい。それを拒むことはせず素直に受け入れようとすれば、すぐに冷たい水が口の中に入ってきた。渇いた喉を潤そうと必死に飲む。


「……はぁ。美味しいです……」


 それはリネットの紛れもない本心である。ソファに寄りかかっているだけだというのに、勝手に水が口の中に入ってきた。もしかして、ここは天国だろうか。


「スープは飲めそうか?」

「……はい」

「ほら、飲みなさい」


 口の前にスプーンが差し出され、リネットはそれをパクリと咥えた。ポタージュのまったりとした味わいが、口の中に広がっていく。トウモロコシの甘みがほのかに香り、疲れた身体に染み込んでいく。


「熱くはないか?」

「はい。美味しいです」


 次から次へとスプーンが口元まで運ばれ、リネットはそれをパクッと食べる。自分で手を動かさなくても、食事ができる。やはりここは天国に違いない。

 だが、それもすぐにお腹がいっぱいになってしまった。


「……もう、お腹がいっぱいです」

「なんだって? まだ、スープも半分しか飲んでいない。パンも食べなさい。一口でもいいから」


 小さくちぎったパンをラウルが差し出したため、それもパクッと咥えた。だが、勢い余ってラウルの指まで軽く噛んでしまう。


「あ、ごめんなさい」

「いや、問題ない。それよりもだ!」


 ラウルは、リネットが残したパンを半分にちぎって、自分の口の中に放り込み、咀嚼して飲み込んだ。


「君は、食べる量も少なすぎる! せめてスープは一皿、パンも一個くらいは食べるようにしなさい。さっきも言っただろう? 睡眠、食事、運動。それが健康の三要素だが、この三要素すべてが君には欠けている」


 そこまで言ったラウルは、もう半分のパンも勢いよく食べ、熱弁を続ける。


「俺と君は運命共同体。君に何かあったら、俺の命も危ない。となれば、君には健康でいてもらう必要がある」

「……わかりましたぁ」


 すでに半分夢の中だったリネットは、お腹がいっぱいになったことでさらなる眠気に襲われた。ただでさえ、この時間はいつもであれば寝ている時間だ。


 いや、違う。ここは口さえ開けていれば食事ができるという天国だ。少しうるさい小言が聞こえたかもしれないが。


「これから少しずつ、体力をつけ、食事量も増やしていこう。もちろん、睡眠時間も見直す必要がある」

「……はい」


 眠さの限界にきているリネットの目は、すでに閉じたまま。


「俺は仕事に行く。君もこの部屋から出るときは、鍵をかけていってくれ。鍵はここに置いていく」

「……はい。いってらっしゃい」


 それがリネットの最後の記憶だった。


 眠いのに散歩に連れていかれ、さらにお腹いっぱいになるまでご飯を食べたら、あとはやっぱり寝るしかない。

 それがリネットという人間の生態なのだ。


 次に目が覚めたときは、異様に頭がすっきりとしていた。ここはどこだろうと、周囲をぐるりと見回し、ラウルの私室だと気づく。


(何をしていたんだっけ……? 無理やり朝の散歩に連れていかれて……?)


 そこからの記憶がない。猫に餌をあげたところまでは覚えている。

 しかしその後、何をしていたのかすら覚えていない。

 しかしテーブルの上に部屋の鍵がある。


(もしかして、何もしなくても勝手に食事ができるという天国のような場所は、夢ではなく現実だった……?)


 一気に目が覚め、ソファより立ち上がる。

 いつもであれば空腹で目が覚めるというのに、今は違う。テーブルの上には水差しとグラスまで用意してある。気持ちを落ち着けるために、グラスに水を注ぎ、一気に飲み干した。


(さっきも水を飲んだような気がする……)


 朝の散歩から帰ってきてから何があったのかを確認したい気持ちがあるものの、それを確認する術がない。なにより、ラウルの姿が見えない。


 この部屋にとどまっていても何もすることがないリネットは、魔法院へと足を向けることにした。

 今までは魔法院の建物内で寝泊まりしていたから、研究室に向かうにしても外に出る必要はなかった。食堂だけは魔法院とは別の建物になるが、それだって回廊で繋がっているし、極力食堂にすら行きたくないリネットは、外に出たついでに保存できるようなパンや果物を二日分ほど手に入れて、研究室内で保管していた。


 だがここは第七騎士団が所有する官舎だ。となれば魔法院とはそこそこ距離が離れているし、一度、外に出る必要がある。


 リネットは、葡萄色の帽子を手にして外に出る。

 官舎と魔法院は歩いて五分もかからない。それでも引きこもり体質のリネットにとっては、気が重くなる距離だ。


 帽子を深くかぶって、人の目につかないように、端っこのほうを背中を丸めて歩く。

 魔法院の建物に入ったときには、大きく息を吐きたくなった。やっといつもの慣れた場所。それだけで気持ちが違う。


「あれ? おはようリネット。今日は早いのね」


 研究室へ向かう途中、リネットを知る女性魔法師とすれ違う。彼女が言うように、いつものリネットであれば研究室にいる時間ではない。


「はい……ちょっと気になる呪いがあって……それを早く調べたくて……」

「はは。リネットらしいわね。それよりも今日は、いつもより元気そうじゃない? 何かいいことあった?」

「いえ、何も? 強いて言うならば、猫ちゃんに会ったくらいでしょうか?」

「猫? もしかして、ここに入り込んできている?」


 まさか彼女もリネットが外に出たとは思ってもいないようだ。


「違います。外にいたんです」

「外……? あぁ! 思い出した。あなた、昨日から恋人と一緒に暮らすことにしたんだっけ? もう、だからそんなに顔色がいいのね?」


 納得しましたと言わんばかりの笑顔を向けた彼女は、自分の研究室へと歩いていく。


(恋人……? 一緒に暮らす……?)


 何を言われたのか理解できないリネットは、首を傾げつつも自分の研究室へと足を向けた。


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