第二章(2)
「よし、では早速、散歩をしよう」
「え?」
先ほどまでは朝食だと言っていたのに、いきなり散歩の話に変わった。
「どうして、散歩なんですか……?」
「今の君が食事をしても、お腹が空いていないだろうから、何も食べられないのが目に見えている。そのためにも、少し身体を動かし、身体を目覚めさせたところで食事にしよう」
ラウルがリネットにベッドから出るようにと促す。
リネットとしてはそれを断固拒否したいところであるが、たった今、彼と約束したばかり。これから健康で文化的な最低限度の生活を送るため、朝起きて夜寝る、そして三食しっかり食べて、たまには昼寝するという生活を送る必要がある。昼寝は特に言われていないが、リネットのささやかな希望。
「うぅ……」
悔しいが約束してしまった以上、それをしっかり守ろうとするのはリネットの性格がゆえ。
のろのろとベッドから降りたはいいが、眠気でふらふらしてしまい、真っすぐに立つことさえままならない。
「おい、リネット。大丈夫か?」
倒れそうになるリネットを支えようとラウルが手を伸ばしてきた。
「そう思うなら、寝かせてください……」
ラウルの手から逃れ、なんとかソファを見つけたリネットは、そのふかふかのクッションに倒れ込んだ。
ラウルは呆れたように息を吐いたが、さっさと自分の着替えを始めたようだ。
同じ部屋にリネットがいるというのにお構いなし。何よりもリネットは半分寝ている状態なので、ラウルが着替えようが何しようが、まったく関係ない。
「リネット、君の着替えは鞄の中にあるのか?」
「……はい」
ラウルの言葉に適当に返事をする。
「ふむ」
ラウルがどこかに向かうのを感じたが、やはり半分眠っているリネットにとってはどうでもいい。散歩やご飯よりもとにかく今は眠っていたい。
騎士団長の私室ということもあり、ソファは驚くほどふかふかだった。もちろんクッションも。いつもリネットが使っているベッドよりも快適かもしれない。二度寝しようとしたのに、毛布を奪われ、ベッドまで追い出されたら、ここで寝るしかない。
昨夜は、ベッドが一つしかないというのもあって、ラウルと一緒に寝てしまったが、このふかふかのソファであれば、一人で眠ってもいいのではと思えてしまうほど。
「リネット。着替えはこれでいいのか?」
「……はい」
寝ぼけているリネットにとって、ラウルの声は雑音のようなものだ。だから適当に返事をしておけばいい。
「着替えさせるぞ? いいのか?」
「……はい」
ラウルのまとう空気が変わったような気もする。だけどそんなことはリネットに関係ない。とにかく眠い。眠いというのに、すぽっと頭から何かをかぶせられた。
「……んっ? 団長さん、何をやっているんですか?」
目をこじ開けると、ちょうど胸の位置にラウルの顔があった。
「君の着替えだ。上からかぶるタイプのワンピースがあったから、かぶせておいた。ただ、ネグリジェを脱ぐ必要があるからな。ここの釦を外している。しかし、見ないで外すのはなかなか難しい」
ラウルの手がリネットの胸のあたりに伸びている。それはワンピースの下に隠れてよく見えないが、この状況がおかしいと思えるくらいの理性は、リネットにもまだあった。
「え? えぇ? で、できます。釦くらい、自分で外せます」
一気に目が覚めた。だが、なぜラウルに着替えをさせてもらっているのか、その状況がさっぱりと理解できない。
「ところで……なぜ、団長さんが私の着替えを?」
「簡単なことだ。君が着替えようとしないから、手伝っただけのこと。それに、一応許可をとったつもりだが?」
そう言われると、聞かれたかもしれないが、寝ぼけているリネットにとってラウルの声は右から左に通り過ぎただけ。
「あぁ、なるほど。ですが、男性が女性の服を脱がすのは、いろいろと問題があるかと」
「だから、先にワンピースを着せた。できるだけ君の肌を見ないように着替えさせようと思ったのだが……なかなか難しいな」
ワンピースを上からかぶせて、その下でネグリジェを脱がせようとしていたのだ。だからラウルの顔がちょうど胸元にあったのだろう。
ブリタであれば魔法で一気にリネットを着替えさせてくれるのだが、ラウルは魔法が使えない。使えていたら、騎士ではなく魔法師になっていたはずだ。
「釦ははずしたか?」
「は、はい」
「よし、立ちなさい」
ラウルに促され、リネットは渋々と立ち上がった。
されるがまま、ネグリジェの袖口をラウルが引っ張ると、するっと一気に脱げた。
「これは、洗濯に出しておくけど、いいか?」
ラウルの手の中に、今まで着ていたネグリジェがある。その状況を恥ずかしいと思う気持ちが、リネットにも少しはある。
「え? あ、私、自分でできます」
顔を赤らめたリネットは、ラウルからネグリジェを取り返そうとした。
それにリネットだって洗濯くらいはする。ただし、三日分まとめてだ。
「君にやらせると、数日分、洗濯物がたまっていそうな感じがして怖いのだが……」
その言葉にリネットはドキッとする。
むしろ怖いのはラウルのほうだ。なぜリネットの生活状況を把握しているのか。リネットの生態を理解しているのではないだろうか。
「各騎士団には洗濯メイドがついている。俺の部屋から出た洗濯物は、俺の部屋に戻ってくるから問題ない」
魅力的な言葉だ。はっきりいって、リネットは洗濯はできるが好きではない。できることなら、やりたくない。だがそうやってさぼると、着る物がなくなるし、におってくるし。そのため、渋々洗濯をしているのだ。
そして魔法師には洗濯メイドはいない。魔法師の多くが自宅から通っているからだ。魔法院の一室に住んでいるのはリネットくらい。何よりリネットには帰る家がない。
そんな彼女に、魔法院の空き部屋に住んでいいと言ったのもブリタである。魔法院ではブリタがルール。彼女がいいと言えば問題ない。
それに魔法院は交代で患者の治療にあたるため、常に誰かはあの建物内にいる。
そして、何かあればリネットが真っ先に呼び出される。そういった理由もあり、空き部屋に格安で住まわせてもらっているのだ。
「では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか……」
「ああ。問題ない。君には俺に付き合わせているからな。ここでは不便がないよう、できるだけ快適にしてもらいたい」
そう言ったラウルはさっとリネットの全身を見回した。
「ここのリボンが曲がっている」
それはワンピースの腰のリボン。自分で結ぶタイプだが、リネットはこういうのが苦手だ。だからどこかいびつだった。
ラウルは一度リボンを解き、きゅっと結び直す。すると左右対称のきれいなリボンができあがった。
「うわ。団長さん、器用ですね」
「こうやって身だしなみも整えれば、目も覚めるだろ?」
身だしなみが整ったから目が覚めたわけでなく、彼の予想外の行動によって目が覚めた。
「では、庭を案内しよう」
ラウルが自然と手を差し出してきたが、リネットにとってはこれも予想外のもの。どうしたものかと、悩んでいたら。
「君はふらふらしていて危ないからな。この手を取りなさい」
「はい。それでは失礼します」
繋がれた右手から、ぬくもりが伝わってきた。
誰かと手を繋ぐのは、いつ以来だろう。ブリタはいつもリネットの手を引っ張っていくが、あれは手を繋ぐとはまた違った感覚。厳密には手首をがしっと掴んで引っ張っていく。
「……ふふっ」
考えてみれば、ブリタとラウルは似ているところがある。リネットの着替えを手伝うのもそうだし、なんとなくまとわりつく空気感が似ている。
それに気づくと、無性に笑いが込み上げてきた。
「なんだ? 眠すぎて、頭がおかしくなったのか?」
「団長さん。意外と失礼なんですね。違いますよ。ちょっと考え事をしていただけです」
「考え事?」
「はい。団長さんと師長は似ているなって。なんか、お母さんみたい……ふふっ」
お母さんで思い出した。こうやって手を繋いだ記憶はあるのは、スサ小国にいたときだ。母と手を繋ぎ、庭の散歩をしたのはいつだったろうか。
「お母さん……だと? まぁ、よく言われる。部下たちからも母親みたいだと」
「お父さんじゃなくて、お母さんなんですね」
だがその部下の気持ちはよくわかる。世話焼きなところが、リネットの母親によく似ていた。もちろん、顔はまったく似ていないというのに。




