第一章(3)
それはリネットにとっても願ってもない話だ。
「はい。私のほうからもぜひともお願いしたいくらいです。セーナス王国に来ようと思ったのも、魔法が使える者を魔法師として国が管理しているという話を聞きまして……」
「帝国はそうじゃないんだね?」
ブリタの言葉に「はい」とリネットは頷く。深緑の髪が、窓から差し込む柔らかな光に照らされ、さらりと揺れる。
「恐らくですが、帝国内に魔力を持つ人間はほとんどいないようです。もしくは持っていても隠しているのではないでしょうか。だって、皇帝がアレですから。だけど、スサ小国は人口のわりには魔力を持っている人間が多いのです。王族であれば、確実に魔力を備えています。それで……私が十四歳のときに皇帝がスサにやってきました」
属国で力のないスサ小国は、帝国の命令に従うしかない。魔力のある人間を帝国に寄越せと言われたら、断れない。
「帝国って、略奪婚をしても『アレがもげる』呪いが発動するんです。ある意味、性交についてはしっかりしている国だと思います。だから当時、末っ子で結婚もしていない、婚約もしていない私が、皇帝のお眼鏡にかなったわけです」
末娘だったリネットは、両親に甘やかされ、手元に置かれていた。その愛情が裏目に出たのだ。よりによって皇帝に目をつけられるなんて、誰が予想できただろうか。
あの事件以降、スサ小国では王族の血を引く者は十歳までに婚約者を決めるしきたりができたと聞く。
「そこから四年とちょっと、皇帝の側妃という立場にありましたが、基本的には魔法具を作っていました」
そこでエドガーが口を挟む。
「帝国はさ、魔力を持つ人間が欲しいって思ってたんでしょ? まして、魔法具まで作れるんだったら、普通なら手放さないんじゃないの? なんで、ぽいって捨てられて、あんなところで行き倒れていたのさ」
「それは……」
リネットが成人を迎えてからアルヴィスに受けた仕打ちを語ると、エドガーは口をあんぐりと開けた様子で固まった。ブリタに至っては、目頭を押さえ、静かに息を吐いた。
「とにかく、今、あんたはここで生きている。それが一番大事なことだ」
先ほどと同じような言葉だが、それはリネットにとっても力強いもの。そしてブリタの声は優しい。
「はい。私を助けてくださったエドガー様には、感謝してもしきれません」
慣れない『様』付けで呼ばれたエドガーは顔を赤らめ手を振った。
「僕、そういう柄じゃないから、やめてくれない?」
「だけどね、リネット。この国の魔法師になるってことは、ここの国民になるってことなんだ。だから、誰かの養子に入ってもらうことを考えているんだけど……それは、問題ないのかい?」
新しい家族ができる。だが、それはスサ小国に残してきた家族との縁を断つことになるかもしれない。
ブリタが慎重に確認してきたのは、そのためだろう。
「はい、先ほども言いましたように、私はもうスサには帰れません。帰ったところで両親にも迷惑をかけてしまいますし……。それにまた、皇帝の気が変わって私を連れ戻すかもしれません。それまでに結婚できていればいいですけど、皇帝のお手付きを欲しいと思う人は、あのスサにはいないでしょう」
リネットの話を聞いたブリタは「そうかもね」と相槌を打った。
「わかったよ。あんたんとこを養子にしてくれそうな人を、適当に見繕っておくから」
「これが権力のなせる業なんだよ」
エドガーが茶々を入れた。そんな彼を軽く睨みつけてからブリタは言葉を続ける。
「それまであんたはここの患者だ。体力が回復するまで、ゆっくり休みなさい」
ブリタの言葉が嬉しくて、鼻の奥がツンと痛む。温かいスープの香りと彼女の母のような優しさに、胸が熱くなる。
「師長。幼気なお嬢さんを泣かせてはダメでしょ」
先ほどエドガーが言われた言葉を、彼はそのままブリタに返した。
そんな二人の軽いやり取りすら、リネットにはほほ笑ましいものに見えた。
リネットの気持ちが落ち着いたところで、ブリタは紅茶を淹れた。ティーポットから立ち上る湯気と、ほのかに甘い香りが部屋を満たす。
「師長の紅茶なんて、怖くて飲めない」
そう言いながらも、エドガーは早速カップに口をつけている。
「帝国には、他にどれだけ魔法が使える人間がいるんだい?」
ブリタが不意に尋ねた。
「お城の外はわかりませんが……。皇帝には私を含め、五人の側妃がいたのですが」
そこでエドガーが「ぶほっ」と噴き出し、慌てて口を押さえる。
「五人? 五人もいるの? あのおっさん……」
五人『も』なのか、五人『しか』なのかは個人の見解によって異なるが、エドガーは五人『も』という感覚のようだ。
「はい。でも私は捨てられたので、側妃は四人となりました。皇帝の子を最初に授かった人が正妃になれると言われていたのですが……。残念ながら、子を授かった人はおりません」
「ん? もしかして皇帝って不能?」
なぜかエドガーは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「いいぇ。ヤることはヤるんですけど。恐らく、子種のほうに問題が……」
「なんだ、種なしか」
エドガーのつぶやきに、リネットは曖昧に微笑み、肯定も否定もしない。
「他の四人も魔力持ちなのかい?」
ブリタの問いにリネットは「はい」と答える。
「スサ以外にもまだ属国はありますから。そちらで見つけた魔力を持つ女性だと思います。側妃同士、交流はないのです。皇帝が、私たちが手を組むことを恐れていましたから」
だからいつも一人だった。心の中にはあのときの寂しさがじんわりと広がるかのよう。
「ですが、他の四人は私よりは魔力が弱いものと思われます。魔法具を作らされていたのは私だけですから」
「それで、あんたの作る魔法具ってどんなやつなんだい?」
ブリタが次から次へと話を促す。
「生命力を魔力に転換することで、魔力のない人間でも魔法――すなわち四元素を操れるものです。皇帝は、火を好んでよく使っていましたが」
ブリタは苦虫をかみつぶしたように、眉間に深くしわを刻んだ。エドガーも、口元まで運んだ紅茶のカップを、唇にくっつけたまま静止する。
「あの……どうかされましたか?」
リネットはおろおろとブリタとエドガーの顔を交互に見やる。
「いや……。やっぱりあんたをその辺に放り投げておくのは危険だというのがわかった。この国の魔法師になったら、私がきっちり面倒をみてあげるからね」
「はい。ありがとうございます」
「よかったね、エドガー。魔法師になって五年目。エドガーにとっては初めての後輩魔法師だ」
「そうなんですね、エドガー様は先輩魔法師。エドガー先輩とお呼びしてもよろしいですか?」
目を大きく見開いたエドガーは、ふいっと顔を逸らす。
「様付けよりはマシだね」
「素直じゃない先輩なんだよ」
ブリタが目を細めた。
「そうそうリネット。あんたは魔法師になってやってみたいこととかあるのかい? 私としてはさっきの魔法具も興味深いし、この帳面に書かれている呪いについても研究してもらってもいいかなと思っている。呪いについては、詳しい者がこの国にはいないんだよ」
「はい。私もできれば呪いを専門的に研究していきたいです。だってキサレータはあれだけ巨大な帝国なのに、あの国全体に呪いをかけた人物がいるんですよ? すごくないですか?」
リネットの目はきらきらと輝き、声にも熱がこめられる。
「そうだね。しかも、アレがもげるって……。どういう経緯でそういう呪いになったのか、気になるね」
「ですよね、そう思いますよね! 別にキサレータの呪いを解くつもりはないのですが。でもアレがもげるって、考えたらおかしくないですか? よっぽどのことがあったんでしょうね」
ふふふ……とリネットが声をあげて笑い出した。
「男の僕からしたら、痛い話だけどね!」
エドガーが口を挟んで顔をしかめた。
「呪いとは人の気持ちが具現化したものと言われているからね。そうしなければならない状況が過去にはあったんだろうね。呪いを調べることでその国の内情がよくわかる。帝国に対抗する力をつけたいというのであれば、呪いを解読するのも一つの方法だ」
ブリタの言葉に背中を押され、リネットに心に目標が芽生えた。
だが、まずは心身ともに回復を望まれた。リネットが正式に魔法師と認められるまでは、治療室でたっぷりと休養をとることとなった。
後日、セーナス国民となったリネットは正式に魔法師に任命され、各国の呪いの研究に夢中になって取り組み始めた。
今までの針の筵のようなキサレータ帝国の生活から解放され、安心したのだろう。
そのせいか、リネットは研究以外ではすっかりと気が抜け、ずぼらな一面を見せるようになってしまった。
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