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第八章(2)

 最近、ラウルが忙しそうに見えるのは、キサレータ帝国からアルヴィスが来るからだ。ヤゴル地区の盗難事件に帝国が関わっていたため、謝罪のためにわざわざセーナス王国にやってくる。だが、関係者は誰もが裏があると感じているらしい。


 それゆえ、警備に気が抜けない。


 第七騎士団は、王都内の警備に当たるため、団長を務めるラウルが忙しくなるのは自然な流れだろう。それでも自室に戻ってくるのが、以前よりもぐっと遅くなるような日が続けば、リネットだって心配になる。


 しかし毎日の「おはようのキス」はかかせない。寝るときにはいなかったラウルが、朝、起きたときには隣で寝ている。そしてキスをして散歩するといういつもの流れは変わらない。疲れているなら散歩などせずに寝てればいいのにと思うが、ラウルにとって散歩は欠かせないらしい。それから一緒に朝食をとり、彼はすぐに部屋を出ていく。


 以前は三食ともにラウルと一緒に食べていたのに、今は朝の一食のみ。となれば、リネットの食事はまたおろそかになっていく。


「なんか、リネット。不細工な顔をしてる」


 そのまま魔法院の研究室に足を運べば、エドガーと嫌でも顔を合わせる。その彼の第一声がそれだった。


「エドガー。不細工ではなく、不機嫌な顔っていうのよ」


 女性魔法師がフォローに入るが、リネットとしてはそのような顔をしていたつもりはない。


「あぁ。愛しの団長さんが忙しいからか」


 するとリネットはムッとする。


「あ、また不細工になった」


 エドガーはケラケラと笑うものの、リネットとしては面白くない。その原因がエドガーに茶化されたからなのか、ラウルとの間に距離ができたからなのかはよくわからない。


「明日だっけ? 帝国が来るの。ほんと、いい迷惑だよ」


 エドガーが椅子に限界まで寄りかかり、天井を仰ぐようにして言った。


「そうよねぇ? 何も、わざわざこんなことで来なくてもいいのに」

「噂では、魔法師との交流も希望しているらしい」


 男性魔法師が真面目な顔で言えば、リネットの顔も強張る。


「え、そうなの?」


 他の二人が話を続けるなか、エドガーだけはリネットの様子を確認するかのように声をかける。


「リネット、大丈夫か?」

「あ、うん……多分、ここにいることは知られていないと思うのですが……」

「たまたまだとは思うけど、心配なら師長に相談したほうがいい。団長さんは……当分、忙しいだろうね」


 エドガーの言葉に、コクッと頷いたリネットは、今日もラウルの呪いを解くために、ヤゴル地区の歴史やら何やらを調べ始める。


「毎日『おはようのキス』をしないと発情する呪い」は千年近くも前の呪いだと思って調べていたが、ここにきて近代の、しかもセーナス王国、当時のセーナス地区と合併する頃の呪いではないかということに気がついた。検討違いの時代を調べていたから、解呪方法の手がかりが掴めなかったのだ。


 それがわかったのも、やはり現地に足を運び、現地の資料に触れたのがきっかけだ。


 さらに両片思いのカップルを結びつけるための呪いということを考えれば、必要なものが見え始める。いや、これは呪いというよりは――。


「……ト、リネット!」


 名前を呼ばれたが、リネットは手を振って無視する。どうせエドガーだ。ラウルが忙しくなってから、エドガーが昼食に誘ってくれるようになったが、それがどこか面倒くさいと感じていた。


 そもそも食堂にまで足を運んで食事をするのが非効率的だ。お腹が空いたら、机の中にある干し芋でもかじっていればいい。ラウルと出会うまではそうやっていたのだから、何も問題ない。


「リネット。おい、リネット!」

「もう、食堂に行きたいなら勝手に行ってください。私は今、いいところなので」

「ダメだ。君はいつもそう言って食事を抜く」

「え? あ、ラウルさん……?」


 くくく……という笑い声の主はエドガーだ。だがリネットはエドガーを無視して、ラウルに声をかける。


「お仕事、忙しいのでは?」

「だが、今は昼休憩の時間だ。きちんと食べて休む時間。ほら、食堂に行くぞ」

「はいはい、行ってらっしゃ~い。僕は、時間をずらして後から行くから、お先にどうぞ」


 エドガーにとっては他人事。ふらりと手を振って見送ろうとしている。


「エドガー殿もそう言っていることだしな。ほら、食堂に行くぞ。歩けないならおぶってやる。それとも抱っこがいいか?」

「どっちもいりません。自分で歩けますから」

「そう言って、逃げるつもりではないよな?」

「逃げませんって」


 リネットは読みかけの資料にしおりを挟み、席を立つ。

 振り返り、ギリっとエドガーを睨みつけてから、ラウルの隣に並ぶ。


「はやく、行きましょう」


 リネットがラウルの腕を取り、研究室を出た。


「こんな前日に、こんなところに来てよろしいのですか?」


 そう尋ねるリネットの口調は、どこか苛立っているようにも聞こえる。


「あぁ、前日だからな。シフトも決まったし、それぞれの持ち場も決まったからな。あとは、当日、自分たちの仕事をきっちりこなすだけだな」

「そうですか」

「エドガー殿から、リネットが昼ご飯を抜いているようだと聞いたからな。せっかく時間も空いたし、だから君を誘いにきた」


 またエドガーだ。

 そういうところが余計なお世話なのだ。と、心の中で憤ってみるものの、悪い気はしないから、恐らくそれは照れ隠し。


 定食のトレイを手にして空いている席へとつく。


「朝はきちんと起きて、散歩もしていたし、朝食もとっていたからな……まさか、昼食を抜くとは盲点だった。もしかして、夕食もか?」

「……うっ」


 ラウルが忙殺されているのをいいことに、昼食も夕食も、お腹が空いたら何かを口にするという以前のような食生活に戻っていた。


「俺がいないときは、エドガー殿に頼んでいたのだが……」


 だからエドガーがしつこく誘っていたのだ。


「昼食の誘いはことごとく断られた。無理だと言われた、とエドガー殿から報告があった」

「はぁ、そうですね。だって、エドガー先輩ですし……。別に今さら、エドガー先輩とこんなふうに食事って……気まずいですよ」

「なるほど。俺ならいいけどエドガー殿はダメということだな?」


 スプーンを唇の前でピタッと止めたリネットは、少し考えてからそれを咥える。


「まぁ……そういうことになりますかね?」

「では、次からはブリタ殿に頼んでおこう」


 するとまた、リネットのスプーンを持つ手がピタッと止まる。


「シーナさんかモアさんか。そちらのほうが会話は続くので……」

「わかった」


 そう答えるラウルの声は、どこか弾んでいた。


「明日からはまた、昼と夜は一緒に食事ができないが。きちんと食べるように」

「……はい。でも、明日からって……皇帝が来るんですよね……あんまり、外に出たくないっていうか……部屋にこもっていたいっていうか……」

「あぁ。まぁ、そうだな。では、エドガー殿に君の食事を運んでもらうよう、頼んでおく」

「そこは、エドガー先輩なんですね」


 リネットがふぅと息を吐けば、ラウルは苦笑する。


「俺と君の共通の知り合いがいいだろう? ヒースも同じ警備担当だしな」


 さらに彼には猫の世話という大役がある。

 そうなるとやっぱりエドガーになるのだ。


「だが、君の言うとおり、皇帝が来ている間はあまり外に出ないほうがいいだろう。魔法院の中にいるか、俺の部屋にいるか……」

「まぁ。いつもと変わりませんね。そこの往復ぐらいしかしてませんし。たまに図書館に行くくらいで」

「そうか……そうだな。とにかく、一人でふらふら出歩かないように」 


 ラウルなりに心配しているのが伝わってきた。一応、彼との関係は「恋人同士」から「婚約者同士」に格上げしている。


「ラウルさんは、明日以降、もっと忙しくなりますよね?」

「あぁ……そうだろうな。何もなければ、今までとあまり変わらないとは思うが……」


 言葉を濁すというのは、何かがあると思っているのか。


「帰ってこれないときとかもありますよね?」


 騎士団の仕事なんて、泊まりや遠征などザラにある。彼が呪われて三ヶ月、ラウルと行動を共にしていたリネットだが、今までのほうが稀なのだ。


「場合によってはそうかもしれない。そうならないように、祈るしかないな」


 恐らくラウルは暴動を危惧している。裏通りにはキサレータから逃れた人たちが細々と生活しているのだ。彼らにとって皇帝は恨みの対象になっているだろう。その恨みを刺激されたら、彼らはここぞとばかりに暴れるかもしれない。


 リネットはきょろきょろと周囲を確認してから、ラウルの前に小さな瓶を置いた。


「これ。万が一のときの抑制剤です」

「抑制剤?」

「はい。私たちのどちらかに何かがあったときようです」


 つまり、「おはようのキス」ができず、ラウルがムラムラしたときよ用の抑制剤だ。


「ラウルさんにかけられた呪い。ある程度、目星がついたのですが……。解呪方法が本当にそれでいいのか、今、最後の確認をしています」


 リネットの視線は目の前のパンに注がれたまま。


「わかった。これは、ありがたくもらっておく。まぁ、これを使うような状況にならないのが一番なのだが……」


 ラウルの言うとおりだ。


「えっと……今回の件、すべてが終わったら、解呪方法を試してみたいと思います」

「わかった。そのときは改めて……」


 そこでラウルが肉を頬張ったものだから、言葉の先は消えた。

 食事を終えると、ラウルが研究室まで送ってくれた。


「今日も遅くなると思うが、夕食はしっかりと食べなさい」

「はい」


 渋々と返事したリネットだが、エドガーとの夕食を想像しただけで気が重くなる。


 ラウルを見送って研究室に入れば、先に戻っていた三人からニヤニヤとした視線を向けられる。

 リネットはそれを気にせず、黙って自席についた。


 その日の夕方、リネットを夕食に誘ってくれたのはモアだった。


「ハリー団長から頼まれましたので!」


 先日も薬草の件で世話になったばかり。ラウルがいなくても個人的に顔を合わせる中になっていたが、このように食事をするのは初めてだ。


 食堂での食事だが、モアのおかげで夕食も楽しめた。


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