第八章(1)
「え……? キサレータから皇帝がやって来る?」
ラウルとの夕食を終え、部屋へと戻ってきた。そして二人でくつろぐために、ラウルが葡萄酒の準備をし終えたところで、そんなことを言い出した。
信じられない気持ちによって、リネットの心臓が早鐘のように打つ。
「あぁ……例のヤゴル遺跡の件。帝国が絡んでいただろう?」
ラウルが言うように、ヤゴル遺跡の遺物を盗んだ者たちは、帝国の商人から依頼されたとのこと。高く値がつくから、臨時調査員として遺跡に潜入して、四つの遺物を盗んでほしいと。だから盗みに入った彼らは、四つの遺物でどんな作用があるかまでは理解していなかった。
「そうですね。遺物のうち三つはすでに帝国の商人に渡っているものと思われますが……」
「あぁ。その遺物を返却するために、皇帝自ら、謝罪をかねてこっちに来るらしい」
リネットの身体は無意識のうちに震えていた。
「リネット」
隣に座るラウルが、やさしく抱き寄せる。
体温が伝わり、リネットの不安な心をやわらげる。そのまま彼の背に手をまわすと、トクントクンと鼓動が重なった。
アルヴィスがセーナス王国にやってくる。しかし彼は、リネットがここにいるとは知らないはずだ。それにリネットは彼に捨てられたのだ。何もできない、役立たずの側妃として、ぽいっと。
今はラウルがいる。こうやって心乱れるときに側にいてくれる彼が。
アルヴィスが来ているうちは、どこかに隠れていればいいだろう。ブリタやエドガーだって、リネットの過去を知っているのだ。間違いなく味方になってくれる。
それでもどこか不安は尽きない。
またキサレータ帝国につれていかれたら?
「……リネット?」
ラウルに抱かれながらも、どこかぼんやりとしていたらしい。名を呼ばれて我に返れば、ふと考えていた言葉が口から飛び出した。
「あの、ラウルさん……私と、婚約してくださいませんか?」
「ん、んっ?」
驚いたラウルが腕をゆるめ、リネットの顔をのぞき込んでくる。
「今、なんて言った?」
「あ、はい。婚約を……」
「婚約って、あれ、あれだぞ? つまり、結婚の約束……」
「す、すみません……やっぱり、ダメですよね」
いくら恋人同士だと言っても、ラウルとの間に結婚の話は出ていない。恋人同士のお付き合いと結婚はまた別の話だと、シーナもいっていた。
「いや……だ、ダメじゃないんだが……」
ラウルの言葉尻が消えていくと同時に、伝わる鼓動が力強くなっていく。
「ラウルさん?」
見上げれば、お酒に強いはずのラウルの顔が真っ赤になっている。いや、まだ葡萄酒を飲む前だ。
「いや……本当は、俺のほうから……だけど、まだ呪いが……でも、いや……その……」
「ラウルさん?」
いつにも増してラウルの言動がおかしい。
「あ、すまない。少し動揺した」
ラウルは、テーブルの上に置いてあるグラスになみなみと葡萄酒を注ぎ、それを一気に飲み干す。
「ふぅ。すまない。それで、婚約の話だが」
お酒の香りがふわっと広がる。真っ赤だったラウルの顔は元に戻った。
「俺の呪いが解けたら、俺のほうから君に求婚しようと思っていた」
「きゅうこんですか?」
「根っこのほうじゃないぞ? 結婚の申し込みだ。だが、そのためには君の身分が、問題になることがわかった」
リネットはセーナス王国民になっているはずだというのに、それに問題があるというのか。
「君は、この国の誰の養子になっているのか、わかっているのか? つまり、この国での親に会ったことはあるのか?」
「ありませんね。その辺は、師長におまかせしたので」
ラウルが呆れたような、がっかりしたような眼差しを向けてくる。そして、深く息を吐いた。
「君はこの国では、平民になっている」
「そうなんですね。つまり、この国では身分に関係なく魔法師になれるということですね」
「魔法師にはなれる。だが、俺との結婚には少し問題がある」
そこでラウルは、リネットが置かれている立場を端的に説明した。
「でも、私。スサには戻るつもりはありませんよ?」
「それは……俺も君から話を聞いたから、その気持ちは知っているつもりだ」
「では、私とラウルさんは婚約できない?」
いや、とラウルは首を横に振る。
「きちんと手続きを踏めば問題ない。だからそのためにも、俺の呪いが解けたらと、そう思っていたんだ」
「今、婚約しないほうがいいということですか?」
「逆に聞きたいのだが……。俺は、いずれ君にきちんと結婚を申し込む。だが今、君が俺にそう言い出したことに理由はあるのか?」
彼の熱い視線が注がれる。
「それは……」
リネットは、キサレータ帝国全体にかけられた不思議な呪いの話をし始めた。さらに、傲慢なアルヴィスについて。彼がどうやって側妃を手に入れているのか。
「つまり、既婚者、もしくは婚約していれば、皇帝は手が出せないということか? その……アレがもげるから……」
「はい。そうすれば、皇帝のアレは使えなくなるみたいです。もげると言われていますけれど、具体的にどうなるかはわかりません。だから、他の側妃も私と似たような立場の人ばかりだったと記憶しています」
交流はなかったが、そういった話は人から人を伝って耳に届くもの。
「セーナス王国は帝国から独立したため、皇帝も無理やり側妃を連れていくようなことはしないと思うのですが……」
それでも彼は魔力ある人間を求めているはずだ。
リネットの居場所を突き止められたら、キサレータ帝国に連れ戻される可能性も十分に考えられる。だから、あえてスサ小国に戻らなかった。ぽいっと捨てておきながらも、惜しいと思えばまた手に入れる。
「いや、相手は帝国だからな。わかった、とりあえず皇帝がやってくるまでに、俺と君の関係を今よりも少しだけ進めておこう。ただ、今からでは婚約式は間に合わないかもしれないから……仮婚約という状態であれば……」
「はい。私とラウルさんがラブラブで、皇帝の入る隙間がないくらいの関係で、それなりに強制力のあるものであれば」
「さっさと結婚してしまえばいいのかもしれないが……。だが、俺にもけじめというものがあってだな。まぁ、そういうことだ」
そしてラウルは、グラスになみなみと葡萄酒を注ぎ、一気にあおった。
「とにかく、君の置かれている状況は理解した。できるだけ皇帝に会わせないように、ブリタ殿やエドガー殿にも協力を得ようと思う」
「ありがとうございます。私も早く、ラウルさんの呪いが解けるように頑張ります。そろそろ三ヶ月になりますよね……もうちょっとで、何かわかりそうで……」
ここまで解呪の方法が見つからないとはリネットも思っていなかった。
だが、先日ヤゴル遺跡にまで足を運んだことで、もう少しで解呪方法がわかるかもしれないと、そんな気持ちにはなっていた。
「君には迷惑をかけるな」
「いえ。私も魔法師として未熟なばかりに……」
ただ呪いに興味を持って、片っ端から本を読んでいたあのときとは違う。それを使えるようなものにしなければ意味がない。
「よし」
そこでなぜか気合いを入れたラウルは、リネットを軽々と抱き上げ、膝の上にのせた。
「皇帝の件は、これでなんとかなるだろう」
「はい?」
「仮婚約。そして、俺と君がラブラブであること」
ん? とリネットが聞き返すと、ラウルの唇が落ちてきた。これはしつこいキスの始まりの合図。
そしてもちろんキスだけ終わるはずがない。彼はリネットの身体をとろとろに溶かし、最後には互いに熱を交わし、欲を吐き出すのだ。




