第一章(2)
リネットが落ち着いたところで、エドガーはブリタを紹介してくれた。
「この人が魔法師長のブリタね」
相変わらずエドガーの言い方は軽いが、それに対してブリタは微笑んでいるだけ。
「私がこの国の魔法師たちをまとめているブリタだよ」
「師長。こう見えても孫がいるから……って、いてっ!」
ブリタの年齢に触れようとしたエドガーは、コツンと彼女に小突かれている。
「私の年齢のことはいい。そのくらい、自分で言える。子どもじゃあるまいし……ところで、お嬢さん」
「あ、リネットと申します。このたびは、行き倒れていたところを助けていただき、ありがとうございます」
「あら、見た目のわりにはしっかりしているお嬢さんだね。聞いたところ、キサレータのほうからやってきたんだって?」
ブリタの言葉に、うんうんとエドガーが頷いているのは、彼がそう伝えたからだろう。
「はい、キサレータからセーナス王国を目指していたのですが、途中から記憶がなくて……」
「だから、道のど真ん中にぶっ倒れていたんだって。僕が見つけなかったら、人買いに連れていかれて、どこかの金持ちじじぃに売られていたところだよ?」
エドガーが自慢げに口を挟んできた。
「セーナス王国では、まだ人身売買が行われているんですか?」
きょとんと驚いた様子でリネットは尋ねた。
「はぁ? そんなの裏ではがんがん行われているに決まってるじゃん」
「まぁまぁまぁ……」
ブリタが割って入る。
「エドガーはこんな幼気なお嬢さんに変なことを吹き込まない。とにかく、今、リネットはここにいる。それが一番大事なことだ。ところで……」
ブリタがまじまじとリネットの顔をのぞき込んできた。彼女の目は、まるでリネットの内側を見透かすかのよう。
「お嬢さんの魔力……ちょっとこう、変わっているね。キサレータから来たというわりには、キサレータの奴らとはちょっと違う」
「あぁ……私、スサ小国の生まれなんです」
「ちょっと待って!」
何かに気づいたのか、まるでこれ以上聞きたくないとでも言わんばかりに、エドガーが両手で耳を塞いだ。
だが、ブリタはそんなエドガーを気にも止めず、話を続ける。
「スサ小国生まれのお嬢さんがキサレータ帝国にいるって……もしかして、あんた……あの皇帝の……?」
ブリタの言葉の続きをリネットがそっと奪った。
「えぇと……側妃? だったんですけど、ぽいって捨てられました」
「なんで、言うんだよ。僕、心の準備ができていなかったのに」
エドガーの叫び声が部屋に響く。彼が耳を塞いだのは、どうやら衝撃的な事実を聞く前の心の準備だったらしい。だが、リネットのあっけらかんとした声は、彼の努力をあっさりと無効にした。
「だって、皇帝って……三十くらいのおっさんでしょ? この子、どう見ても未成年……って、あの皇帝って幼女趣味……」
「あ、私、こう見えても成人してます。そろそろ十九歳になりますので。それにキサレータ帝国では、未成年に手を出すと『アレがもげる』って言われているんです。どうやら、これはキサレータ帝国に伝わる呪いのようなものでして……」
「だから、ちょっと待ってよ。ツッコミどころが多くて、どこからどう突っ込んだらいいかがわからない」
エドガーが慌て始めたところで、リネットのお腹が盛大に「ぐぎゅるるるる~」と音を立てる。
「あはははは……気に入ったよ、リネット。まずは、腹ごしらえでもしようかね。食事しながら、その話をゆっくり聞かせておくれ。ベッドから下りることができそうなら、こっちにおいで」
ブリタは豪快に笑い、部屋の隅にある簡素なソファを指差した。
リネットは恐る恐るベッドから下りた。ひんやりとした石の床が足裏に冷たく、しかし心地よかった。身体はまだ少し重いが、歩くことはできそうだった。
「今、食事を運ばせるから。ちょっと待ってなさい」
ブリタがそう言うと、数分後、テーブルの上にはスープやパン、果物が並べられた。湯気が立ち上るスープの香りが、部屋にほのかに広がる。
「これが権力っていうやつだよ」
エドガーがこっそり耳打ちしてきた。普段、魔法院の者は食堂で食事をするが、師長であるブリタが命じれば、こうして部屋に食事が運ばれるのだという。
「ささ、食べなさい。話はそれからでいいだろう? お腹が空いていては、まともに思考も働きはしないよ」
「はい。ありがとうございます……いただきます」
ブリタは母親みたいだ。スサ小国に残してきた母とは似ても似つかないのに、彼女からは母性を感じる。
リネットはスープを一口すすった。温かく、野菜の甘みが広がるスープに、思わず目を細めた。
「……美味しいです」
「そうかい。ゆっくり食べなさい」
「なんか、見てたら、僕もお腹空いた。師長、これ、もらっていい?」
ブリタが返事する前に、籠の中に入ったパンを一つ、エドガーが手にした。半分に割って、口の中に放り込む。そんな彼の様子を見ていたら、パンも食べたくなってきた。
誰かとこうやって食事を共にするのは、いつ以来だろう。
キサレータ帝国では、いつも自分の部屋に運ばれてくる食事を一人で細々と食べていた。アルヴィスとは閨を共にしたことはあっても、食事を一緒にしたことは一度もない。
思い出せば、胸の奥にじわりと怒りが湧いてくる。
「……それで、キサレータではどうやって過ごしていたんだい?」
まるでリネットの心を読んだかのようなタイミングで、ブリタが声をかけてきた。
「そうですね……あ、私の荷物、ありますか?」
「あぁ、あったよ。粗末な肩掛けの鞄」
「その中に、帳面は入っていますか?」
「ちょっと待って」
指についたジャムをペロッとなめ、その手をごしごしと服の裾で拭いてから、エドガーは立ち上がる。先ほどまでリネットが寝ていたベッドの側に鞄が置かれていた。
それを手にしたエドガーはベッドの上で鞄をひっくり返した。ざざっと中身が広がる。
「あぁ、あるよ。帳面。あとは、ちょっとした着替え……? は? よくこれだけの荷物で、ここまで歩いてこようと思ったね」
エドガーの呆れた声が聞こえてきたが、リネットは気にもとめない。
「で? これには何が書いてあるの?」
さらにエドガーは、リネットの帳面の中身を勝手に確認するものの、それでもリネットは黙々とパンを食べていた。
「おいおいエドガー。女性の荷物を勝手に漁らない。そしてリネットも、もう少し自分の荷物に関心を持とうか?」
あっけにとられた様子で二人に声をかけるブリタ。やれやれとでも言いたげに、肩をすくめる。
「……はっ? 何これ。ちょ、ちょっと、師長。見てくださいよ」
エドガーは慌てて帳面をブリタに差し出した。
「リネット。中身を確認してもいいのかい?」
こうやって許可を取るところが、ブリタの人柄が表れているのだろう。
「はい。それが手元にあるのが確認できたので、私のほうは問題ありません」
その帳面は、リネットがキサレータ帝国でこつこつと書いていたもの。
「なんだい、これは……」
ブリタからも驚きの声があがった。
「キサレータ帝国は、帝国ですから。魔法に関する本だけは豊富だったんです。魔法への憧れが強いんですかね。私、夜伽ができない側妃だったから、その代わりに魔法具を作るように言われてまして……。それで書庫に入るのも自由だったんですけど、そこで見つけた呪い事典が面白かったので、そうやって書き留めておきました」
「あぁ。これかい? さっきリネットが言っていた『アレがもげる』ってやつ?」
帳面のあるページを見つけ、ブリタが目を丸くする。
「そうなんですよ」
「ちなみに、アレってアレでいいんだよね?」
エドガーが自分の股間に視線を向け、『アレ』について念押しする。
「はい。『アレ』とは男性器、陰茎のことですね」
ごほっとエドガーが咽た。だがリネットはそれを無視して言葉を続ける。
「帝国内では言い伝え、迷信として広がっているんですけど……すごいんですよ。実は帝国内全域にその呪いが展開してあって……」
そこから、リネットの熱弁が始まった。呪いの仕組みや歴史を語るうちに、自分でも気づかぬうちに、生き生きし始める。
ブリタとエドガーは、驚きと興味を隠せない表情で、リネットの話に耳を傾けた。
リネットの話が一息ついたところで、ブリタは切り出す。
「リネット、あんた、この国の魔法師にならないかい?」
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