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第四章(5)

* * *


 リネットとの生活が始まって、そろそろ十日が過ぎようとしていた。不健康極まりなかった彼女の生活は改善されつつある。朝起きて、夜寝る。そして三食きっちり食べて、適度な運動をする。当たり前の生活だ。


 しかしその当たり前の生活すら不平不満だらけのリネットだったが、三日過ぎた辺りからはその不満も口にしなくなった。それに、身につけるものにも気を遣うようになり、先日はヒースの妹のシーナと買い物に行ったようだ。下着の他にも普段使いのワンピースなんかも買ってきたようで、ここ数日はその新しいワンピースを着て、その上に魔法院のローブを羽織っている。


 規則正しい生活のおかげか、それとも明るい色の服を着るようになったからか、リネットの顔色もよくなっている。さらに表情も豊かになったように思える。


 だからこそ、彼女の陰が気になっていた。


 あれは、この部屋で一緒に寝泊まりするようになって二度目の夜。リネットはソファで眠ると言い出した。それは恋人同士という設定でありながら本物の恋人ではないというのが彼女の理屈だが、それでも命の恩人をソファで休ませることをラウルは拒んだ。


 だがリネットは、ラウルの部屋にあるソファは、魔法院のベッドよりもふかふかしていて寝心地がいいと言って譲らない。

 そこまで言うならと、ラウルは彼女がソファで眠ることを渋々承諾した。


 小柄な彼女はソファにすっぽりと埋もれ、気持ちよさそうに横になっていた。眠くない、眠くないと言いながら、何か本を読んでいたようだが、その本がパサリと手から滑り落ちたときには、思わず笑ってしまったくらいである。


 床に落ちた本を拾ってテーブルの上に置く。ずり落ちそうな毛布を肩までしっかりとかけ、室内の灯りを消してラウルもベッドへと潜り込んだ。


 ラウルは職業柄か、眠りが浅い。だからすぐに異変に気がついた。


「……いやっ……やめて……」


 誰かの声が聞こえ、はっと身体を起こす。


「いや……やだ、やだ……」


 この部屋にはラウルとリネットしかいない。となればこれはリネットの声だ。

 ランプを小さく灯し、ベッドから降りたラウルは、リネットが寝ているソファへと近づく。


 どうやらうなされているようだ。怖い夢でも見ているのだろうか。


「リネット……」


 声をかけてみたが、起きる気配はない。ただ、いやいやと首を横に振っているだけ。


「リネット。俺はここにいる」


 ランプがぼんやりと照らすリネットの眉間には深いしわが刻まれている。ラウルはそっとリネットの額に触れた。すると彼女の表情が和らいだ。


 やはり怖い夢でも見ていたのだろう。起きているときは何事にも動じず淡々としているし、朝方の寝顔はどこかあどけなさが残る。こんなに怯える彼女を見たのは初めてだった。


「リネット……もう、大丈夫そうか?」


 寝ている彼女にラウルの声が聞こえるわけでもない。だというのに、そう確認せずにはいられなかった。


 返事の代わりに聞こえてきたのは、穏やかな寝息。

 しばらくその様子を見ていたラウルだが、リネットが落ち着いたところでベッドに戻ろうとした。


「んっ?」


 何かに引っ張られるような感覚があり振り返れば、リネットがしっかりとラウルのシャツの裾を掴んでいた。


 これではラウルもベッドに戻れない。しかし、明日のことを考えれば今夜はしっかりと休んでおきたいところ。


(仕方ない)


 ラウルはリネットを抱き上げた。さすがにこのソファで二人で寝るわけにはいかない。それに、彼女を一人にするのも不安だった。


 次の日、ソファで寝たはずなのにベッドで寝ていた事実に驚く表情もかわいらしかった。

 そんな数日前のことを思い出しながら、ラウルはリネットの寝顔を見つめていた。

 寝息に合わせて頬にかかる髪がふわふわと浮いている。部屋の窓から差し込む朝の光が室内を明るくし、彼女の髪を淡く輝かせる。


(か、かわいい……)


 最近、特にそう感じるようになった。起きているときとのギャップがあるからなのか。とにかく、寝ている彼女は愛らしい。


 ドクンと心臓が大きく震えた。


 昨日、キスをしてからそろそろ丸一日経とうとしている。「おはようのキス」をしてから丸一日は穏やかな状態か、もしくはむらむらしても我慢できる状態が続く。それが次第に我慢できない情欲へと変化するのだ。


「リネット。起きてくれ……そろそろ時間だ……」


 ドクンドクンと、心臓がうるさいくらいに音を立てていた。


「んっ……」


 長いまつげがぴくぴくと震える。ぼんやりとした茶色の目はどこを見ているのかわからない。その目がラウルの姿を捉えると、彼女は「おはようございます」とはっきりとしない口調で言う。


「リネット、キスをしていいか?」


 そうしないと、この昂ぶりはおさまらない。むしろ悪化の一途をたどるだけ。


「はい」


 彼女もやっと目が覚めたようで、小さく微笑んだ。恐らく本人は無意識なのだろう。キスが終わると「キスがしつこい」と言って、すぐにツンとする。そのギャップがたまらなく愛おしいのだが、間違いなく本人は気づいていない。


 ラウルはリネットを包み込むようにして抱きしめ、唇を重ねた。


 キスの濃さとラウルの身体の状態は比例する。長くて深いキスをすれば、むらむらすることなく一日を終えられる。しかし唇と唇を合わせるような軽いキスでは、数時間もすればむらむらっとしてしまう。

 今すぐ誰かを襲いたいとそういった状態ではないが、やはりどこか気持ちは落ち着かない。


「……んっ」


 鼻から抜けるような彼女の声は、背筋を疼かせる。

 鼻孔をくすぐる甘い香りが、次第に官能を高めていく。リネットの反応を見たくて、唇を挟むのも今に始まったことではない。


 次第に二人の呼吸が荒くなり、ラウルは舌の先でリネットの唇をつついた。閉じられていた口がほんの少し開き、そこに舌をねじこませる。


「んっ……ふぅっ……」


 互いの吐息が絡み合ったところで、リネットがラウルの胸をぽかぽかと叩き始める。

 これはキスをやめろという彼女からの合図。


 名残惜しいところではあるが、これ以上、執拗にキスを迫れば、リネットは機嫌を損ねるだろう。それもかわいいといえばかわいいのだが、嫌われてしまっては元も子もない。


「……ふぅ。団長さん、相変わらずねちっこいです」


 息苦しかったのか、茶色の瞳が潤んでいる。頬をほんのり赤く染め、睨みつける顔もかわいい。

 そう思ったとき、ラウルに異変が現れた。


「うっ」


 変な声が出ると、リネットは「どうしました?」と不安そうに見つめてくる。


「いや、ちょっと待ってくれ……自分でもわからない……」


 ラウルにかけられている呪いは、「おはようのキス」をしないと昂ぶってくるものだ。今だって、目覚めて少しだけむらっとしたところ、リネットとキスをして落ち着いたはずだったのに。


「いや……なんでもない」

「なんでもないようには見えないのですが……あっ……」


 リネットがもぞりと動いたところで、ラウルのアレが彼女の身体に触れてしまった。


「もしかして、キスが効いていない? いつも、私とキスをすると萎えると言ってたじゃないですか」


 リネットが言うように、なぜか今、ラウルのラウルが元気になっている。


「どうしましょう? もう一回、キスしますか?」

「いや、違う……これは、アレだ……」


 間違いなくリネットに対して欲情している。つまり、彼女とキスをして感じたのだ。


「多分、しばらくすれば落ち着く……」


 そこでリネットも理解したようだ。「あぁ」と言いながら顔を上下に振る。


「でしたら、お手伝いしたほうがいいですか?」

「ん?」


 いったい何を手伝ってくれるというのか。


「手と口、どちらがいいですか?」

「ん?」


 ラウルが大きく目を見開けば、「ん?」とリネットは小さく首を傾げた。


「手と口? どちらがいいかって何をだ?」


 嫌な予感しかしない。

 リネットは困ったように笑みを浮かべてこう言った。


「手で気持ちよくさせるのと、口で気持ちよくさせるのと、どちらがいいですか?」


 ラウルは顔をひきつらせた。

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