第四章(4)
ラウルと向かい合って、彼を見上げる。澄んだ空のような彼の目はぎらぎらと燃えているように見える。
こうやって面と向かってキスをするのは初めてだ。
一度目は彼の頬にキス、二度目と三度目は寝ぼけているところにしつこいキスをされた。四度目はついばむような軽いキスだった。
ラウルが身をかがめ、リネットの両肩に手を添えたとたん、緊張が高まっていく。
彼の顔が近づいてきて、リネットは思わず目を閉じる。
少しだけかさついた唇が触れた。そのままラウルは力強く押しつけてくる。
「……んっ」
彼のキスがしつこいのはわかっていたが、こうやって頭が冴えているときにしつこいキスをされるのは初めてだ。しかも今は立っている状態。
ラウルの力に負けてよろけそうになると、すかさず背に手が回ってきた。倒れないようにと、彼がリネットの身体を支えている。
それでキスが終わるかと思ったのに、まだ唇はくっついたままだった。がっちりと抱きしめられたらそれから逃れられない。
「ん……んっ」
必死に喉の奥から声を出して抵抗してみせるが、ラウルのしつこいキスは終わらない。唇を食まれたうえに、舐められる。
息苦しくなり、鼻息も荒く、心臓も痛いくらいに動いている。これ以上、キスを続けるのは危険だ。
リネットは自由になる手で彼の胸をトントンと叩いた。
だが彼のキスはもっと粘着を増してくる。
「ふぁっ……」
苦しさに堪えられず呼吸しようとした瞬間に、彼の舌は口腔内に入ってきた。ざらりとした感触が口の中を侵す。
「ん、んんっ!」
背筋がぞくりとし、リネットは必死になってラウルの胸を叩いた。
それによって唇がやっと解放される。
「おはよう、リネット」
キスの前後に必ず「おはよう」と言わなければならない。それが「おはようのキス」の約束事である。
「ふぅ……。団長さん、今日もキスがしつこいです」
リネットが必死になって訴えても、ラウルは「そうか?」と平然と言い返す。
「だが、朝のようなあんな軽いキスでは、むらむらすることがわかった。俺のしつこいキスも意味があったというわけだ」
いつかのリネットのように、腰に両手を当て胸を張るラウルだが、リネットはそれを「はいはい」とあしらう。
「では、私への用は済みましたね? 今、いいところだったんです」
リネットはすとんと椅子に座り直し、先ほどまで読んでいた本に視線を落とす。
しかしその本がリネットの視界からするっと消えた。
「あ、団長さん。何をするんですか!」
今までリネットが見ていた本は、ラウルの手の中にある。
「俺がここに来たということは、休憩時間になったということだ。ほら、昼ご飯を食べにいくぞ」
「え? もうそんな時間ですか?」
「そうだ」
ラウルは手にした本をパタンと閉じて、机の上に置いた。
「適度な休憩も必要だ。考えが行き詰まったときなんかは、特にな」
まるで心の中を読まれたような発言に、リネットは顔をしかめる。
「そんな顔をしても駄目だ。とにかく、昼飯だ」
いつものように「お腹が空いていない」と言おうとしたリネットだが、集中力が切れたとたん、一気に空腹を覚えた。
「わかりました。団長さんの相手をしてお腹が空いたので、お付き合いします」
「そうか。俺のせいでお腹が空いたなら、よいことだ」
はははは、とラウルが勢いよく笑うから、リネットは慌てて「しー」と唇の前に指を立てる。
「いくら人がいないといっても、ここは図書館ですから。静かにしてください。それに、本来であれば図書館内でのキスも禁止ですからね。今は緊急事態だったので仕方がなかったということにしておきますが」
バンとテーブルに手をついて、リネットは立ち上がる。
「それで、食堂ですか?」
食堂は昨日のこともあるので、行きづらい。
「なんだ? 食堂じゃないところのほうがいいのか? 天気もいいからな。外で食べようか?」
その言葉にリネットはしばし考え込む。
「……外は眩しいから駄目です。私、溶けます」
「なら、食堂だな。午後からは訓練があるから、早めに戻りたいんだ。残念ながら、外の店に食べに行く時間はとれそうにない」
「忙しいなら、私にかまわなくていいですよ?」
「それは駄目だ」
リネットが逃げるとでも思ったのか、ラウルがいきなり手を握ってきた。
「君は、目を離すとすぐに、食べない、寝ない、動かないとなりそうだからな。不健康まっしぐらだ。やっと生活のリズムが掴めてきたというのに、ここでパーにされたら困る」
むっとリネットは唇を尖らせる。
「なんだ? キスしてほしいのか?」
「違います」
彼の唇から逃げるように、リネットはぷいっとそっぽを向く。だが、そのまま手を取られて書庫から引きずり出され、食堂に連れていかれた。
食堂は広く、多くの人がいるというのにラウルとリネットが列に並んだとたん、視線が一斉に集まった。
ラウルは素知らぬ顔をしているが、リネットはこのように注目を浴びることに慣れていない。
「うぅ……団長さんのせいです……」
そこでトレイを手にする。
「俺が何かしたか?」
「団長さんはエドガー先輩と顔の系統が似ていますから、女性の視線を集めるんですよ。そして私は、人の視線が嫌いです。注目されるのは苦手です。そこにいるかいないかわからないような、そんな空気のような存在になりたいです」
リネットはできるだけ目立たないようにと肩を丸める。できることなら、ラウルの身体の影に隠れたいくらいだ。
「空気のような存在って……俺にとってはある意味、君はまさに空気のような存在だな」
「ん?」
「君がいないと生きていけない。空気と一緒だろ?」
ラウルはパンを二皿取った。リネットは一皿だ。
「まぁ……そうかもしれませんが。お付き合いをしている女性に対して、おまえは空気だなんて言う人はいないかと思います」
リネットはスープもとった。パンとスープ。これだけあれば、十分だ。
ラウルはそこに分厚いステーキ肉と、サラダも合わせた。
「一緒で」
会計で、ラウルはリネットの分もまとめて支払いをした。
食事をのせたトレイを手にして、空いている席を見つけるとそこに二人並んで座る。
「団長さん、私の分のお金……」
「だから、いいと言ってるだろ?」
昨日も昼食代をラウルが払ってくれた。昼食だけではない。夜の外食分も。そして朝食はラウルが部屋にまで運んでくれるから、これもラウルの支払いだ。
「まぁ……迷惑料だと思ってくれればいい」
彼はリネットに何かを渡すときは、いつもそう言う。
変な呪いに付き合わせていることを、彼は彼なりに気にしているのだろう。
「では、遠慮なくいただきます」
くれると言うのなら素直に喜んでもらっておく。今まで、こうやってリネットに何かと贈り物をしてくれる人はいなかったのだから。
「相変わらず、量が少ないな。ほら、これも食べろ」
ラウルは小さく切った肉をフォークに刺して、リネットの顔の前に出した。
リネットも慣れたもので、それをパクリと咥えた。
こういうのは、恥ずかしがってもたもたしていたほうが、さらに注目を浴びるということがわかったのだ。だから特別感を醸し出さず、いつものよう振る舞えば、人々の関心も薄れていく。
「あ、団長。リネットさん。ご一緒してもいいですか? 相変わらず、仲良しさんですね」
ラウルの前の席に座ろうとしたのはヒースだ。その隣には見慣れぬ女性がいる。
「ああ、かまわない」
ラウルが返事をする前にヒースと女性は目の前に座っていた。
「リネットさん。紹介します。こちら、私の妹のシーナです。第七騎士団で文官として働いているんです」
「はじめまして、シーナです」
「あ、リネットです」
リネットはなぜかシーナから目が離せなかった。目元はヒースに似ており、金色の髪は長くて艶やかだ。ただ仕事のために一つに結わえているようだが、それでも彼女の艶めかしさは隠せない。
「あぁ。なんか、わかったかも。ラウルさんがリネットさんを選んだ理由」
くすくすと笑うだけで、シーナからふわりと花のような甘くていい香りがした。
「リネットさんって、守ってあげたくなるタイプですよね」
そう言われても、自分でわかるはずもない。リネットは少しだけ首を傾ける。
「そういうさりげない仕草です。これはもう、一人で外を歩かせたら危ないですね」
「私、外には出ないので……」
「そうなんですか? でも兄からはリネットさんの買い物に付き合ってほしいって……」
「あぁ」
リネットは心の中で手を打った。例のみすぼらしい下着の件だ。できることなら、シーナに丸投げしたい。
だからって初対面の人にそれをお願いするほど、リネットも図々しいわけでもない。
「よろしくお願いします」
そう、素直に答えた。




