第四章(3)
研究室に入れば、先に来ていたエドガーがにやにやしながら「おはよう」と声をかけてきた。
「おはようございます」
葡萄色の帽子を脱いだリネットは、魔法院のローブを羽織る。
「リネットが二日続けて朝から来るなんて……明日は槍が降る」
お~こわこわと、今日も自分の身体を抱きしめるような仕草をするエドガーを睨んで、リネットは席に着く。エドガーのこの反応は今に始まったことでもない。だから、無視するに限る。
「リネット。今日はいつもと髪型が違うわね。とうとうおしゃれに目覚めた?」
やはりこういった細かいとこは女性のほうがめざとい。
「違います。これも団長さんが……」
恥ずかしくなりラウルのせいにしようと思ったが、すぐにエドガーが反応する。
「え? なに? あの団長さん。髪の毛までいじれちゃうわけ?」
「図書館に行ってきます」
これ以上ここにいれば、エドガーからあれこれ突っ込まれそうだ。それから逃げるようにして、リネットはさっさと図書館へと向かうことにした。
今日も目的は、地下書庫の禁帯出の本。
昨日は、この国の呪いの歴史について調べようとしたところ、ラウルがやってきて閉館の時間だと告げた。だから今日はそこから調べ始める。
呪い事典にはありとあらゆる呪いの種類が記載されていたが、どの呪いがどの地方にというのは大雑把な分類になっている。
リネットは各地区にどのような呪いがあるのか、それを細分化しようとしていた。そうすることで、ヤゴル地区がどんな場所であったのかが見えてくるものがある。
書棚はリネットの背丈の何倍もあるため、上のほうにある本を取るためにははしごを使わなければ届かない。リネットはそれによじ登って、本のタイトルを確認していく。
(あった……これだ……)
リネットが選んだのは伝承について書かれた本。片手で持つのがやっとなくらい、分厚い本だ。それを手にしてそろそろとはしごを降りる。
いつもの席に戻って、リネットは本の中身を確認し始めた。薄暗い地下書庫の空気がひんやりと肌を包み、ページをめくる音だけが響く。
この本は呪い事典と違い、各地区の特徴と呪いや伝承の関係が記載されている。例えば、南にある村では、赤ん坊が生まれたときに女の子なら赤色の布玉を作り、男の子なら白の布玉を作る。これが子どもたちの身代わりとなり、災いは布玉が受け止める。そのため、子どもたちはすくすくと成長しましたと……いう話もある。
その村では、子を授かった女性が、不幸な事故でお腹の赤ん坊ごと命を失ってしまった。肉体を失っても、その女性の魂は子を求める想いが強く、その地にとどまり続け、子どもの姿を見れば「我が子を返せ」と迫ってきたらしい。そのため、布玉に赤ん坊の産毛を一本埋め込むことで、災い避けになるのだとか。
これも呪いと関係する。不幸な事故で亡くなった女性。その想いが強すぎて、空に還れずこの世にとどまる。特に肉体を失った魂は、目的のためだけに存在し、その気持ちが増長される。そして自我を失った魂は、目的を遂行するために手段を選ばず子どもを狙う。これも想いが強すぎた結果なのだ。
ひとことで呪いと言っても、相手の不幸を望むだけではない。自分の願望を満たすものも含まれる。その気持ちが強すぎて、日常とかけ離れた結果をもたらすものが呪いと呼ばれていた。
そしてその呪いを跳ね返すために作られた布玉。これは呪い返しとも呼ばれるが、それだって呪いの一つである。
つまり、人の気持ちが具現化したもの。それが呪いなのだ。
リネットは各地区の呪いを抜き出し、分類していくことにした。例えば、恨みによるものなのか、希望を求めるものなのか。
ただ、分厚い資料であるため一日、二日で読み切れるものではない。ここはじっくりと腰を据えてこの本と向き合う必要があるだろう。
リネットしかいない地下書庫に、ページをめくる音とペンを走らせる音が交互に響く。聞こえる音はそれだけ。そして本を傷めぬようにと薄暗い照明が室内を照らすが、リネットのいるテーブル席の周囲は明るい。
そうやって静かな空間で呪いについて調べていたのに、突然の侵入者によって静寂は破られる。
バンッ――。
乱暴に扉が開かれ、リネットは驚いて席を立った。ここにやってくる者は、静かに扉を開ける者たちばかり。だから、事件か事故か、何か問題があったに違いないとリネットは身構えた。
「リネット! やはりここにいたのか」
ラウルだった。しかも血相を変えて、大股で近づいてくる。
「団長さん、どうされました? いくら誰もいないからといっても、ここは図書館ですので、静かにお願いします」
相手がラウルだと確認できたら、リネットはほっと息をついて、再び腰をおろした。
それでもラウルは聞いているのかいないのか、ただ熱い眼差しをリネットに向け見下ろすだけ。
「リネット……」
どこか情欲を孕む声で、リネットにささやく。
「キスをしてもいいだろうか?」
「ちょっと待ってください。朝、きちんと『おはようのキス』はしましたよね? いくら恋人同士になったという設定であっても、不要なキスは行わない関係です」
「あぁ……君が言いたいこともわかる。だが、これも例の呪いのせいだとしたら?」
どういうこと? とリネットは首を小さく傾ける。
「いや、まだ我慢はできるんだ。だが、この衝動が強くなったら取り返しがつかない。いや、午後から訓練があるというのに、それに集中できない」
「はぁ……」
そこでリネットは、ラウルの股間に視線を向けた。いや、座っているリネットに対してラウルが立っているため、リネットの目線とラウルのそこがちょうどいい高さにあった。
「昨日は一日、何事もなかったが、今日は疼いて仕方ない。これも呪いによるものだと、俺は解釈した。そのため君とキスさえすれば治ると」
ラウルのそこは、いつもよりこんもりとしているかもしれない。だが、呪いを受けて魔法院に助けを求めにきたときよりは穏やかなもの。だから発情状態ではないと判断する。
「つまり……団長さんの興奮具合には段階があるということですね?」
「ん? まぁ、そういうことになるのか?」
「昨日は何事も問題なく? 朝、私とキスをしてから、昨日はこのように求める行為はありませんでしたよね?」
「そう、だな……なぜ、今日は……?」
ラウルもそれを不思議に思っているようだ。
リネットの中で一つの仮説は浮かび上がった。恐らく『おはようのキス』のしつこさだ。昨日はラウル主導のしつこいキス。今日はリネットが主導の軽いキス。
これによって、ラウルの欲が抑えられている時間が変わっているのだ。
「ちなみに質問です」
リネットはもう少し情報が欲しいと思った。
「なんだ?」
「えぇと、今はどんな状況ですか? むらむらしているが我慢できる感じでしょうか? それとも突っ込みたいという衝動まで?」
「我慢はできる。できるが、なんの拍子に臨戦態勢に入るかがわからない。となれば、穏やかな状態に戻しておきたい」
ラウルの身体の状態には、大きく三つの状態があると判断した。
穏やかな状態、ちょっとだけむらむらしている状態、やりたい状態。この三つだ。しかし最後のやりたい状態には、理性の有無でさらに二つに分けられると考えている。
「わかりました。どうやら、朝の『おはようのキス』の効果が薄れてしまったようですね。団長さんが理性を失うことはないと思うのですが、明日の朝、『おはようのキス』をするまでは、今の状態が継続されると思います」
「それは困る」
そう言ったラウルは自分の股間を見つめる。うまく隠してあるからか、リネットから見たらこんもりしている程度だ。それがラウルにとってどういう状態なのか、もちろんわかるはずがない。
「そうですね。私もデータを取りたいので、ここでキスしましょう。どうせ、誰もおりませんし」
そこでリネットはすっと席を立った。




