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第四章(2)

 散歩から戻れば、今日も朝からぐったりソファに倒れ込む。リネットの様子を微笑ましく見ているラウルは、食堂に朝食を取りに行ったようだ。


 リネットはふかふかのクッションを抱きしめ、ラウルが来るのを待っていた。


(……やっぱり昨日は、ここで寝たはずなのに)


 それなのにラウルと一緒にベッドで眠っていた事実が解せない。


(それに、わりと紳士的な人……よね?)


 アルヴィスと比べても、ラウルのほうがぐっと魅力的だ。それは容姿がというよりは、性格や物腰なども含めて。

 ただ、あのおせっかいさえなければ、周囲に女性が絶えなかっただろう。おせっかいによるウザさは彼の魅力を半減どころか、八割減くらいさせている。 


 リネットはクッションを抱きしめごろごろしているはずなのに、眠気はいっこうに襲ってこなかった。昨日は散歩から帰ってきたあとは動きたくなくて半分意識を失っており、さらに知らぬ間に朝食をとった挙げ句、気がついたら部屋にぽつんと一人という状況だった。


 しかし今日は眠くない。身体は疲れているものの、動けないというほどではない。動きたくないだけで。


「リネット。食事をもらってきたぞ」


 バンと勢いよく扉を開けてラウルがやってきた。銀トレイの上には焼きたてのパンやスープが並び、香ばしい匂いが部屋に広がる。


「今日はきちんと起きていたようだな。食欲はあるか?」

「昨日よりは……?」

「そうか。それならよかった」


 嬉しそうに破顔するラウルを見れば、やはり悔しい。恐らく今のリネットは、ラウルの思い通りになっているはずだ。


「どうした? そんな不満そうな顔をして……」


 悔しさが顔に出ていたらしい。


「いいえ? ちょっとだけ団長さんの作戦にまんまと乗せられたといいますか……」

「なるほど? だが、それが健康的な生活に必要なものだ。昨日はぐっすり眠れたようだし、散歩で少し身体を動かしている。あとは、食事も三食きっちり食べただろう?」

「だからです。さようなら、私のずぼら生活……」


 はははは、とラウルは豪快に笑う。


「リネットは面白いな」

「団長さんほどではないと思いますけど? 私のような面倒くさい人間をかまうなんて……」

「前にも言ったように、今の俺は君がいないと生きられないからな」

「だったら! やっぱりあのときエドガー先輩を選んでおけばよかったんですよ。もしくはヒースさんとか」

「男性と女性が幾人かいて、その中から誰か一人をキスの相手に選ばれなければならないと言われた、まずは女性から選ぶ。だが、ヒースとキスをしなければ死ぬと言われたら、仕方なくヒースを選ぶ……」


 やはりリネットが女性だから選ばれたのだ。さらに独身だから、ブリタよりもリネットが選ばれた。


 わかっていたというのに、それを改めて言われてしまえば、なぜかがっかりしている自分がいる。

 その感情を悟られないようにと、平静を装ってパンを手に取った。


「今日はパンも食べるんだな」


 本当にラウルはめざとい。リネットの変化を見逃さない。


「そうですね。団長さんがパンも食べろと言いましたから。あとでガミガミ言われるのもうるさいので」

「俺の言うことを、素直に聞いてくれて嬉しいよ」


 ラウルのパンはリネットのものとは違う。具材がたくさん挟み込まれている大きなパンだ。それを一口で半分ほどまで大胆に頬張る。


「見事な食べっぷりですね。胸焼けしそうです」

「言っただろう? 俺たち騎士は身体が資本だからな。特に第七は泥臭い仕事を引き受けているからな。食べられるときに食べて、休めるときに休む」

「へぇ。でしたら私の考えと変わらないじゃないですか。食べたくなったら食べる。眠くなったら寝る」

「それは根本的に違う。俺たちは食べられるときに食べる。君は食べたくなったら食べる。違うじゃないか」


 これといった言葉がわからず、リネットはパンを口の中に入れたまま、じっとラウルを見つめた。


 だが彼はそんな視線をものともせずに、がつがつと食事をすすめている。


 またどこか悔しい気持ちが、リネットの心の中に湧いてきた。だけど反論しても何かと言い返されてしまう。しかもそれが的を射ているから、歯がみしてしまう。


 なんとなく気まずい雰囲気を感じ取ったのか、ラウルが騎士団で飼っている猫の話題を振ってきた。今は五匹いる猫だが、すべてラウルが拾ってきたとか。


 スープをすすりながら、リネットはそんな彼の話に耳を傾けていた。


 朝食を終えると、ラウルは騎士服に着替え、髪も後ろになでつけて部屋を出ていった。

 いったい騎士団は何時から仕事が始まるのか。それを聞くのを忘れていた。


 ちなみに魔法師は何時でもいい。今の時間はすでにエドガーが来ているだろう。彼は早く帰る分、早く来ている。早く帰って何をしているのかといえば、御用達の娼館に足を運んでいるだけ。そこでお気に入りの娼婦と一緒に食事をして酒を飲むのが至福のひとときだと言っていた。


 だからあまり早く研究室へ向かえば、エドガーと二人きりになってしまうし、むしろ今まではエドガーが来たら部屋に戻るような、そんな生活パターンだったのだ。


 時間をもてあますような感じになってしまい、リネットはいつも持ち歩いている呪い事典を写した帳面を開いた。


 目的のページは『毎日「おはようのキス」をしないと発情する呪い』について。

 呪いの成り立ち、対象、症状、解呪方法といった内容が呪い事典には記載があり、それを同じ内容がこの帳面にも書かれている。事典にはもう少し詳しい年表や解呪に必要と思われる材料、道具などの記載があったが、この呪いはそこの欄が空欄だった。もちろん解呪方法も「なし」と書かれていた。


(帝国の図書館なら、もう少し詳しい資料があるかしら?)


 そう考えたとき、ブルリと背筋に悪寒が走った。

 キサレータ帝国の図書館に行きたいと思うが、身体は帝国に行くのを拒んでいる。


 軽くかぶりを振って、リネットは別の帳面を広げた。これはラウルにかけられている例の呪いに特化してまとめたもの。


 ゴル族の歴史や生活習慣、部族の消滅理由など。

 そこにラウルが呪いにかかった日、そのときの状況など。そしてキスに症状緩和を始めた日、時間とそれによる効果など。


 昨日の「おはようのキス」は朝の五時半。力強く唇を合わせたうえに食んできて、唇が包み込まれるようなキスだった。時間にして三十秒。これはリネットの中ではしつこいキスに分類される。

 そのキスの後、ラウルの症状は緩和された。つまり、むらむらしなくなったようで、その効果は約一日。


 今日の記録も忘れないうちに記載する。


【時間】五時半(どうやら、ラウルの起床時間らしい)

【キスの種類、時間】唇と唇を軽く合わせる、一秒。

【症状緩和】あり、萎える

【緩和時間】

【その他】


 今、書けるのはここまでだ。キスの種類で症状緩和の継続時間が変わるか変わらないか、そこに興味があった。


 両片思いをくっつけるための呪いだとすれば、恐らくここに変化があるのではないかというのがリネットの考えである。


 帳面をいつも持ち歩いている鞄の中にしまう。この鞄はキサレータ帝国にいたときも使っていた。すでに布地がすり切れているというのに手放せないのは、スサ小国から持ってきたものだからだ。


 だが、こんなぼろぼろの鞄を持ち歩いていたら、やはりラウルに迷惑をかけてしまうのだろうか。となれば、新しい鞄が欲しい。


 そこまで考えたリネットは、また軽く頭を振った。


 鞄を肩にかけ、研究室へと向かう。今日もまだ時間は早いが、手元に資料が足りない。

 葡萄色の帽子も忘れずにかぶった。


 外に出れば先ほどよりも太陽はだいぶ高い位置にあり、リネットは眩しさで思わず目を細くする。そして目立たないようにと、背中を丸めて歩き始めた。


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