第三章(3)
一人残されたリネットは、黙々と資料に目を通した。薄暗い書庫だが、魔法灯の光がリネットを包む。
ヤゴル地区には数百年前、ゴル族という部族が住んでおり、呪術が盛んだった。呪術といっても人を呪うとか恨みを晴らすとか、そういった類いだけにとどまらない。例えば、明日の天気を晴れにするとか、豊作を祈るとか、そういった祈祷のような行為も含まれている。
『毎日「おはようのキス」をしないと発情する呪い』は、先日も彼らに言ったように、両片思いのカップルがゴル族の中にいて、それを見かねた友達が、毎日「おはようのキス」をすることで二人の仲を進展させようとした、というのが起源にある。
(だから、キスの相手は固定……。本来は、想い合った二人のための呪い……)
「う~ん」
誰もいないのをいいことに、リネットは唸りながら、資料のページをめくる。
ゴル族の生活に関する資料だ。この部族は閉鎖的な部族で、他部族との交流を避けていた。そのため、部族間内で結婚するが、どちらかといえば個人の意思が尊重される自由恋愛による結婚が主だった。ただ適齢期になっても相手が決まらない場合は、出会いの場が設けられるらしい。
「って、普通にお見合いでは?」
誰もいないのをいいことに、リネットは一人突っ込みを入れた。
数百年前のといっても、恋愛や結婚事情は今と変わらない気がする。
(わからない……)
そこでリネットは机に突っ伏した。
そもそも他人の色恋沙汰に関して、リネットは疎い。いや、他人だけではない。自分に関してはもっと興味がない。なぜなら、恋愛なんてしなくても生きていけるからだ。それに、キサレータ帝国での生活を少し引きずっているというのもある。
結婚に興味がない。とにかく、恋愛事情は苦手なのだ。
(他の資料を読んでみよう……そうよ、呪術に特化した資料を……)
リネットは他の資料に手を伸ばす。だが、お目当ての呪術に書かれている資料はここにはなさそうだ。
(なんで……?)
再びリネットは机に顔を預けた。
(あ、むしろヤゴル地区にこだわっているからダメなのでは? 対象をこの国全域に広げ、そこの呪術を……)
そう思って、今までの資料を本棚に戻そうと立ち上がったとき、地下書庫に誰かが入ってきたことに気がついた。
(……珍しい。どこの部署の人だろう?)
魔法師は特有の紺色のローブを羽織っている。しかし、今、書庫内に入ってきた人物はローブを羽織っていない。
(……って、団長さん!)
誰だろうと思ってその人物を見ていたため、ラウルと目が合ったのは不可抗力である。
銀色の髪が魔法灯によってきらめき、青い瞳がリネットを捉えた。
「リネット。迎えにきた」
後光が差すような眩しい笑みを浮かべ、ラウルが軽やかに近づいてくる。
「えっ?」
図書館だというのについ大きな声をあげてしまい、リネットは慌てて両手で口を押さえた。だがすぐに、ここがリネット以外いない地下書庫だったと思い直す。
「迎えって……どうしたんですか?」
「どうもこうも? そろそろ図書館も閉館時間だろ?」
ラウルに指摘され、リネットは慌てて時間を確認する。あと十分で閉館だ。三十分前から、十分おきに閉館を知らせる鐘が鳴るはずなのに、集中しすぎて聞き逃したらしい。
「あ、本当ですね。今、資料を片づけますので」
地下書庫にある本は禁帯出で外に持ち出すことができない。だから使い終わったら、書棚に戻す必要があるのだが。
「これは、ここでいいのか?」
書棚の前で背伸びして資料を戻そうとしていたリネットを見かねたのか、ラウルがひょいっとそれを奪い取って棚に戻した。
「あ、はい。ありがとうございます」
「他は?」
「あ、えっと……ここと、ここなので……おしまいです」
そう言ってリネットは、最後の一冊を棚にしまう。
「よし、では帰るぞ」
「あの……帰るってどこに?」
「どこにって、騎士団の官舎にある俺の部屋だな」
だが、まだ六時過ぎたところだ。
「えっと……団長さん、お仕事は?」
「終わった。だから帰るんだろう?」
「こんなに早く?」
図書館は六時半に閉館する。だからリネットは、その後、研究室に戻って呪い全般を確認しようとしていたのだが。
「こんなに早くって……騎士団の訓練などは五時には終わる」
「早いですね」
「身体が資本だからな。昼間の訓練はそこそこ負荷をかけるが、その分、夜はゆっくり休ませるようにしている」
「なるほど。ですが、私はこれから研究室に戻ってもう少し調べたいことがあるんです」
「ダメだ」
ラウルが間髪入れずに答えてきた。
「ダメってどういうことですか? 騎士団は五時に終わるかもしれませんが、魔法師の研究に終わりはありませんから」
「いや? エドガー殿は、四時半には帰るといっていたが?」
「それはエドガー先輩だからです。先輩がさっさと帰るのは、夜の街に繰り出すからです。基本的には、魔法師は自由なので」
それでも治療室に患者がいる場合は誰かが残っているし、それに付き合わされることが多かったのがリネットだ。
「なら、君もこれから帰っても問題はないわけだ。美味しい煮込み料理を出す食堂がある。そこで、夕飯はどうかと誘いにきたのだが……」
お腹が空いていないと言えば、また「きちんと食べろ」と返ってくるだろう。そして無理やりその店に連れていかれるのだ。
「お腹が空いていません。と言っても、団長さんは私をそこに連れていくつもりですよね?」
「そうだな。あまりお腹が空いていないのなら、昼間もいったようにスープだけでも口にするといい。肉が口の中でとろけるようなスープを出してくれる」
「わかりました。団長さんにつきあいます」
するとラウルが驚いたように目を大きく見開いた。
「どうかしました?」
まさかそこで彼がそのような表情をするとは思っておらず、リネットは尋ねた。
「それは俺の台詞だ。断られると思ったから、必死に誘いの文句を考えてきたのに……」
なぜか悔しそうに顔をしかめている。
「では、行かないと言ったほうがよろしいでしょうか?」
「それはダメだ。行くのは決定事項。何よりも、先ほど、店に七時から予約の連絡をしたからな」
「あぁ。なるほど。予約をしたから絶対に行くしかないとかそんなことを言って、私を連れていくつもりだったんですね?」
「うっ……」
どうやら図星のようだ。
「まぁ。団長さんは少し鬱陶しいところもありますけど、団長さんと一緒にご飯を食べるのは嫌いではありませんから」
「そ、そうか……」
「荷物を置いてくるので、一度、研究室に戻ります」
「では、一緒に行こう」
まるで監視員のようだ。いや、エドガーの言葉を借りれば保護者だろうか。
手提げの籠に帳面や筆記具をしまって、書庫を出る。図書館の入り口の受付には顔なじみの女性が座っており、書庫閲覧を終えたことを伝える。
だが今日の受付係は、始終ニコニコとしていた。不思議に思ったリネットだが、彼女の視線がリネットの背後に向いているのを察すれば、ラウルのせいだろう。
彼がこの場にいるから、受付係は嬉しそうに微笑んでいるのだ。
その瞬間、リネットの胸にはチクリと針が刺さるような痛みが走った。
「また、明日も来ます」
「はい、お待ちしておりますね」
決まりきまった挨拶を交わして図書館を出るものの、針が刺さったような胸の痛みが抜けない。
そのまま回廊を進み、魔法院の建物へと入る。その三階がリネットの所属する魔法史の研究室だ。ちなみに、リネットはここの四階の空き部屋で寝泊まりをしていた。
案の定、研究室には誰もいなかった。いつもであれば、この誰もいない室内で一人居残りして、眠くなるまで研究に没頭するのだが。
リネットは肩越しにチラリと振り返り、ラウルを見上げる。
「なんだ?」
「……いえ。今日は、帰ります」
「今日だけでなくこれからも、だ。特別な理由がない限りは、決められた時間に帰る。わかったな?」
有無を言わさぬその口調に、リネットも「はい」と答える。
「団長さんのウザさが、今日一日で嫌というほどわかりましたので……これからはそれなりに対応いたします。だけど、治療を必要としている人がいるときは別ですけど」
「そうだな。その辺は臨機応変に対応すべきだ。だが、いくらウザいと言われようが、君みたいな人間は目を光らせておかないと危険だ。不規則な生活で身体を壊したり……最悪の結果になったりしたらたまったもんじゃないからな……」
どこかラウルの顔が陰って見えた。




