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第三章(2)

 先ほどから、エドガーが笑い転げている。


「あははは……ひっひっ……」


 笑いすぎて、引きつけを起こす一歩手前だ。


「エドガー先輩。笑いすぎです」

「いや……だってさ……」


 目尻に光る涙を人差し指で拭ったエドガーは、ひぃひぃと声を漏らしながら、カップに残っていた冷めたお茶を飲んで、なんとか落ち着きを取り戻した。


「食堂にリネットがいるだけでも珍しいのに、あの団長さん……手ずからリネットに食べさせるって……。膝の上に乗せそうな勢いだったし……」


 ひぃひぃ言いながらエドガーが口にしたことは間違いではない。


 食堂でリネットがゆっくり手を動かしていたら、あれも食べろ、これも食べろと、ラウルがリネットの口の前にスプーンを差し出してきたのだ。それを無視していたリネットだが、ラウルはウザいだけでなくしつこかった。リネットが食べるまでスプーンをそのままにして待たれたのだ。目の前に食べ物がのせられたスプーンがある。となれば、やはりそれを食べるしかない。


 仕方なくぱくっとスプーンを咥えると、ラウルはまた次も差し出してくる。となれば、それも食べたらまた次も……と、リネットがお腹いっぱいと言うまでそれが続いた。


 もちろん場所は食堂だ。となれば、不特定多数の者が利用する場。


 そしてその様子を、見事エドガーに見られていたというわけだ。


「リネットがかわいくてしかたないのね」


 女性魔法師がくすくす笑いながらそう言うが、ラウルにはもう少し場所と場合を考えてほしい。今朝のような室内で二人きりならまだしも、食堂はダメだろう。


 そう思っていても、ラウルの強引さに負けたのは認める。だって、目の前にずっと食べ物をのせられたスプーンがあって、他の人からも痛いくらいに視線を向けられていたら、それを食べるしかない。他の方法があるなら教えてほしいくらいだ。


「かわいいというよりは、私に死なれては困るから、お世話をしているというだけですよ」

「あぁ、なるほど!」


 それだけですぐに状況を理解したエドガーはぽんと手を叩いた。


「リネットの生活はめちゃくちゃだからね。寝ない、食べない、動かない。なまけものみたいな生活だよね」

「なまけものは動きが鈍いだけで、きちんと寝て、食べてます」

「てことは、なまけもの以下じゃん」


 エドガーの突っ込みに、リネットはむっとする。


「あの団長さんのおかげで、これでリネットも人間に戻れるよ? なんか、保護者みたいだよね」


 再びエドガーは、ひぃひぃと笑い出す。


「図書館に行ってきます」


 彼の言葉を無視して、リネットは机の上にバンと手をつき立ち上がった。

「エドガー、言い過ぎよ」


 そんな声が背中から聞こえてきたが、そう言われてもエドガーが反省する男でないのはよく知っている。


 どすどすと足音を立て回廊を歩けば、すれ違う人たちが、興味の視線を向けてくる。いつものリネットであればできるだけその視線を受けないように、隅っこを背中を丸めて歩くというのに、今は怒りに満ちているため、他の人の視線など気にならなかった。


 まだ半日だというのに、今日はラウルに振り回されっぱなしだ。平穏な生活を取り戻すためにも、早く彼の呪いを解かなければ。


 そう思って、再度、地下書庫にこもり始めたのだった。


 図書館の地下書庫なんて、滅多に人はやってこない。ここを利用するのは、王城で働く文官や魔法師たちが主である。特にリネットが閲覧している地区の伝承の資料の場所には、リネットしかいない。とりあえずタイトルにヤゴル地区の名前が入っている資料は片っ端から手に取った。


 それを持ってテーブル席へと向かい、内容の確認をしていたのが昼前だ。その作業中にラウルから昼食に誘われたため、テーブルの上には先ほどの資料が開かれたままになっていた。


 とにかく、何がなんでもあの呪いを解いてやる。


 そんな気持ちで、資料のページをめくっていく。


 だが、それも三十分も過ぎれば、猛烈な眠気に襲われた。これが睡魔というやつだろう。昼食をとった後に静かな空間に一人きり。資料がつまらないわけではないのに、なぜか襲いかかってきた眠気。これに抗う術はなく、むしろラウルの言う健康で文化的な最低限度の生活のために必要なものに違いない。


 少しだけ、と己に言い聞かせ、リネットは目を閉じた。

 どれくらいそうしていたかはわからない。気配を感じ、はっと目を開ける。


「おはよう、リネット」


 魔法師長のブリタだ。今日も自慢のチョコレート色の髪は艶やかに背中に流れている。


「リネットが居眠りなんて珍しい。寝ぼすけだけど、一度きちんと目が覚めたら、他に目もくれずに活動するはずなのに」


 寝起きのリネットはしょぼしょぼする目を瞬き、現状を把握しようと務める。


「はは。いつもの寝起きのリネットだね」


 リネットの顔をのぞき見していたブリタは、椅子の背もたれに寄りかかる。

 ここはどこだろうと、リネットは周囲を見回した。びっちりと並ぶ本棚を見て、図書館の地下書庫だったと理解する。なんとか現状を把握できたリネットは、ふわっとあくびを漏らしてから口を開いた。


「師長。どうかされました?」

「まぁ、昨日の今日だからね。どんな様子かと思っていたんだが……いろいろと楽しそうなことになっているみたいだね」

「楽しそうなこと……?」


 そこでリネットは眉をひそめた。


「まぁ、昨夜、あの騎士がリネットを連れていってからだね? なんだか一日で、恋人同士とか、そんな話が出回っているみたいだが?」

「はぁ……」


 リネットは気の抜けた返事をする。


「そうですね。一緒にいるのであれば、そういう関係のほうが自然かということで、そういうことにしておきました」

「なんだ。一線を越えたわけではないんだね?」

「ないですね」


 リネットはさらりと答える。


「それに今日はリネットが朝から研究室に来ていると言うし、挙げ句、昼休みには食堂でいちゃついていたという情報まで入ったからね。少し心配になって様子を見に来たんだよ」

「そう思うなら、昨日の段階で反対してください」


 その言葉には、ブリタも腕を組んで「う~ん」と唸る。


「呪いの性質を考えても、あの騎士の側にリネットがいることが望ましいだろう。仮に、あの騎士が発情した場合、誰も止められないだろう?」

「そうですね。理性なんてないに等しい。獣の発情期と一緒ですからね。前にも言いましたように、突っ込めるものがあれば突っ込みます」

「そうなったら、あの騎士は国から危険人物として認定され、討伐の対象となるわけだ」

「討伐……対象……?」


 不穏な言葉が耳に入り、リネットは目を大きく見開いた。


「そうだよ。発情して我を忘れた騎士なんて、危険極まりない。理性を失った状態だから、善悪の分別もつかない。もちろん、人の見分けなどもつかないんだろう?」

「恐らく。とにかくヤることしか考えられなくなると、そう事典には書いてあったような気がします」

「てことは、あの騎士が王族に手を出すことだって考えられるわけだ」


 セーナス国王には王女が二人いる。呪いのせいでラウルが彼女たちに手を出す可能性がゼロとは言い切れない。


「そうなったらまずいだろう?」


 リネットはゆっくりと頷いた。


「だからリネット。あんたが彼の側にいる必要があるんだよ。彼が理性を失いかけたら、すぐにキスをしてそれを阻止する。それはリネットにしかできないことだ」

「はぁ、そうですけど。あの団長さん、ウザい上にしつこいんですよね」

「へぇ? リネットが他人に興味を持つなんて珍しい。だから恋人同士になったのかい?」

「それは、そういう設定です。本当にそうなったわけではありません。一緒に寝泊まりしているのに、赤の他人では説得力がないからって。噂を利用して、とりあえず恋人同士にしておこうって」


 なるほどね、と呟くブリタの顔はにやけている。


「それで、リネットはどうなんだい?」

「何が、ですか?」

「仮初めとはいえ、あの騎士と恋人同士になったことだよ。嫌がっているようにも見えるが、それが心からの気持ちには見えないんだよね」


 さすがブリタは鋭い。


「う~ん。複雑です。今、私の生活は団長さんのせいでめちゃくちゃなんです。朝は早くから起こされ、散歩にまで連れ出され、挙げ句、ご飯をしっかり食べろって……」

「それ、当たり前のことだよ」


 ブリタも苦笑する。エドガーと同じような反応だ。


「でも、ま。あんたの顔を見てわかったよ。あの騎士は、リネットにとっていい影響を与えているみたいだね」


 聞き捨てならないと、リネットは唇を尖らせる。だが、複雑な心の内は事実。


「呪いを解くのは必要だが、あまり根を詰めないように」


 そう言ったブリタは、ひらりと手を振って書庫を出ていった。


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