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第二章(6)

* * *


 ラウルが執務室でいつものように書類に目を通していると、ヒースが追加の書類を手にしてやってきた。机の上にはすでに山のように書類が重ねられているというのに、ヒースの姿を目にしただけでもげんなりしてしまう。


「団長。こちら、例のヤゴル遺跡の報告書なのですが……」


 ヤゴル遺跡と聞いて、ラウルは顔をしかめる。


「とりあえず、被害状況をまとめたものになります。それから団長のことは、負傷者という形で報告が必要かと思いまして……」

「そうだな。魔法師の治療を受けたと書いておけばいいか?」

「そうですね。さすがに呪いを受けて発情中とは書けないので」


 事実をそのまま書けないときは、ぼかして書くしかない。


「魔法師たちも、俺が受けた呪いについては口止めしてくれているらしい」

「そりゃそうでしょ。呪われて体調を崩したとかならわかりますが……発情って……」


 ヒースがラウルから顔を逸らして口元を押さえているのは、込み上げてくる笑いを堪えるためだろう。

 ラウルは少しむっとして答える。


「だったら、おまえもあの呪いを受けてみればいい。とにかく、痛かった」

「痛いって、アレですか? 魔法師のリネットさん。団長のあそこの部分を見て驚いていましたし」


 そこでヒースはまたぷっと噴き出す。


「痛かったのは、確かにアレだ。自分の意志とは関係なく、勝手に育った感じだな。だが、彼女のおかげでなんとか助かった」

「本当ですよ。私だってヤられるかもしれないと、危機を感じたくらいですから」


 今だからこうやって笑い話にできるが、あのときはとにかく辛かった。抑えきれない衝動と、堪えられないような痛み。いっそのこと意識を失いたいと思ったくらいだ。


「それにしてもリネットさん。あれだけの情報と症状から呪いの種類を見破るとは、さすがですね。初めて見たときは、ほわほわっとしていて、その辺を歩いていそうな女学生に見えたのですが」


 ラウルもそう思った。呪いによって苦しみ悶えていたときに、突如として現れた小柄な女性。呪いを解く方法がないと聞いたときは、この世の終わりと表現したくなるくらいの絶望感に襲われたが、症状を緩和する方法があると耳にしたときは、早くその方法を試してほしいと願った。


 それが「おはようのキス」と言われてしまえば、信じられない気持ちでいっぱいである。つまり、キスさえすればこの苦しみから解放される。しかし、毎日、同じ相手というのが難点だった。


 残念ながら、ラウルは結婚も婚約もしていないし、恋人もいない。更に言うならば、過去に恋人がいたためしもない。となれば、キスの相手がいない。


 リネットはプロも提案してきたが、そうなった場合の費用は騎士団持ちになるかラウル持ちになるか悩ましいところだが、報告をぼかす案件となれば、間違いなくラウル持ちになるだろう。


 ヒースが「キスの相手は異性でなければならないのか」と確認した挙げ句、ヒース自身も対象かと口にしたときにはさすがに焦った。


 毎朝、ヒースの顔を見るのは勘弁願いたいし、ラウルも性愛の対象は女性である。ヒースとキスをしなければ今すぐ死ぬと言われれば考えるが、そうでなければ別の相手を望みたい。


 といってもその場に女性がブリタとリネットしかおらず、既婚女性と独身女性がいたら、後腐れなく独身女性を選ぶのが自然だろう。


 四人の中で誰を選ぶかと突きつけられ、少しだけ悩んでリネットを指名した。彼女も薄々そうなるだろうことは予想していたようで「消去法でいってもそうなりますよね」と言ったところで、すぐにその場で口づけてきたのだ。「おはようございます」と時間にそぐわない挨拶までつけて。


 その後、驚くくらいに昂ぶりがおさまった。となれば彼女が言っていた『毎日「おはようのキス」をしないと発情する呪い』に違いはないらしい。そしてその呪いが解けるまで、ラウルはリネットと毎日キスをしなければならない。


 はっきり言って、ラウル的には苦痛ではない。毎日、リネットのようなかわいい女性に「おはよう」とキスされるのは、最高ではないだろうか。独身男性のささやかな夢だ。


 しかし、そんな夢が現実になると思っていたが、その考えは甘かった。


 翌朝。リネットに「おはようのキス」をしてもらうために、魔法院の彼女の研究室へと向かったが、不在だった。この件を知っているエドガーがいたため、彼女の所在を尋ねれば「まだ寝てるよ。たいてい、昼過ぎにならないとここには来ないから」とケラケラ笑っていた。


 だが彼は、丁寧にもリネットの部屋まで教えてくれたのだ。となれば、そこへ向かうしかない。もちろん、扉には鍵がかかっており、ラウルは扉をノックした。まだ眠っているのか、ノックしても扉は開かない。しつこくノックをし続けたが、悔しいことにラウルのラウルが疼き始める。なぜこのタイミングなのか、まったくもってわからない。まだ我慢できるが、このまま彼女とキスをせずに仕事へ向かったらどうなるのか、予想がつかない。

 となれば、頼るのは魔法師長しかいない。


 師長室へ向かい、事情を説明すると、彼女はリネットの部屋の鍵を開けてくれると言った。

 ラウルがうら若き乙女が寝ている部屋に侵入するのは、いささか良心も咎めたが、背に腹はかえられぬ。


 魔法師長権限によってリネットの部屋の鍵は開けられ、師長の許可のもと、ラウルは彼女の部屋へと入った。


 しかしリネットはラウルの侵入に気づくはずもなく、気持ちよさそうに眠っている。


(か、かわいい……)


 昨日よりも幼く見えるのは、寝顔だからだろうか。ぽってりとした唇、ふっくらとした頬。閉じた瞼からはみ出ているまつげは長い。


 ラウルの心臓がドクンと音を立てる。


『おい、リネット。起きてくれ。キスの時間だ』

『んっ……?』


 瞼がぴくぴくと震え、ぼんやりとした焦げ茶の目が見えた。


 リネットを見ていると、庇護欲がかきたてられる。それはニャアニャア鳴いている子猫と同じように、守ってあげるべき存在だと、本能が訴えるのだ。


『リネット。キスをするぞ』


 昨日は彼女に主導を握られたが、今日はラウルが取らねばならないだろう。


『ふぁい……』


 寝ぼけながらも返事をしたので、このキスは合意のうえ。


 そう自身に言い聞かせて、身をかがめて彼女を抱き寄せたラウルは唇を寄せた。

 少しかさついていたが、ふっくらとした唇は甘い。それに「濃厚なキスをぶちゅっと」と言っていたのはリネットだ。


 その濃厚なキスの経験のないラウルはどうしたものかと悩んだが、彼女の甘い香りに誘われて、そのまま唇を舐め、食んだ。


『んっ……んんっ!』


 息苦しいのか、リネットが暴れたところでやめた。


『おはよう、リネット』

『おはよう、ございましゅ……』


 目を閉じたままのリネットから挨拶が返ってきたが、起きる気配はなさそうだ。


 よくよく見れば、目の下にはうっすらと隈ができているし、顔色も白い。彼女が昨日、何時に寝たのかよくわからない。目的を果たした今、無理やり起こす必要はないだろう。


 ブリタに礼を言い、ラウルはリネットの部屋を後にしたのだが、その日は彼女の姿が脳裏にちらついて離れなかった。


「今日は朝からリネットさんとの仲を見せつけて……やはり、あの噂のせいですか?」


 ヒースの言葉で我に返るものの、彼が言う噂に心当たりはない。


「噂? なんだ?」

「いや。団長とリネットさんが恋人同士だと。だから二人は一緒に暮らし始めたっていう噂ですよ。まぁ、噂というよりは、半分事実ですけどね!」


 事実でない部分があるとしたら、それは二人が恋人同士という点だろう。


「なんでそんな噂になっているんだ……」


 山のような書類を目の前に、ラウルは頭を抱え込む。


「昨日、団長が魔法院からリネットさんを連れ出したからですよ」

「俺がリネットを連れ出した?」

「まさか、忘れたとか言わないですよね?」

「いや、忘れてはいないが。彼女と一緒に帰っただけなのに、どうして連れ出したという話になるんだ?」


 ラウルにはさっぱりわからない。


「団長。あれは一緒に帰ったレベルではないですよ。リネットさんを横抱きにして、そのままお持ち帰りしたじゃないですか! さらに魔法師長には一緒に暮らすと言ったんですよね? それを聞いていた人たちがたくさんいたんです!」


 ヒースが言ったことは正しい。いつまでも帰ろうとしないリネットに業を煮やし、そのまま抱き上げて連れて帰った。ブリタには今朝のようにリネットが起きてこないと、大変だからと、同じ部屋で寝泊まりすることを提案したのだ。もちろん、ブリタは許可を出した。


「なるほど。周囲からはそう思われているということだな」


 ラウルの軽率な行動が招いた結果だ。それでも彼女とそういった関係にみられることは嫌ではなかった。


「だが、そう思ってもらったほうが、俺としては都合はいいのか……」


 呪いの件は公にはできない。そして今まで特定の異性との噂の一つもなかったラウルが、特定の女性を側に置いている。


 となればやはりリネットとの関係は恋人同士と説明するのが、無難なのではないだろうか。

 ただ、彼女がどう思うか、それだけが気がかりだった。


「だけど、リネットさんって……どこかで会ったことがあるような気がするのですが……」


 ヒースがそんな曖昧なことを口にしながら、首を傾げていた。


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