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第二章(5)

「おはようございます」

「おはようって……リネット? なんでこんな時間に来るんだよ」


 リネットが使う研究室にはエドガーと他に男女一人ずつの魔法師がいる。木製の机が並び、古い書物の匂いとインクの香りが漂う、趣のある部屋だ。ここでは、魔法史、すなわち魔法の歴史を主に扱っており、呪いも魔法史の一部ということで、リネットはここに配属された。


 エドガーの声に、他の二人も挨拶を返すが、驚きに満ちた表情を隠せない。


「はぁ……呪いのせいですね……」


 研究室にいた三人は、昨日ラウルが押し入ってきた一件を知っている。むしろ、ブリタを呼んでくれたのは彼らだ。


「呪い? あぁ、あのふざけた呪いね。キスをしないと発情するんだっけ? もしかして、発情してヤられそうになったところを逃げてきたとか?」

「はぁ……こんなことなら、エドガー先輩を選んでくれればよかったのに」


 そうぼやいたリネットは、かぶっていた帽子を脱いで衣装かけにかけ、魔法師の紺色のローブを手に取った。それを羽織ると、深緑の髪がふわりと揺れる。


「だから言ってるでしょ。僕は、男性は対象外だって」

「でも、同性からのキスでも本当に呪いは緩和されるのかというのも気になっているんですよね。呪い事典には『対象が人間であればいい』って書いてありましたけど、呪いの成り立ちから考察するに、そこに矛盾を感じると言いますか……。いえ、それよりも、早くあの呪いを解かなければ、私のほうが危ないです」

「何? 貞操の危機? やっぱり発情して襲われかけた?」

「違います。朝早くから起こされ、散歩に付き合わされ、さらに朝食まで……考えてみたら、拷問じゃないですか!」


 リネットは力説するものの、エドガーや他の二人も「どこが?」と首をひねる。


「私の安眠を守るためにも、早くあの呪いを解く方法を見つけなければなりません!」


 そう気合いを入れて、リネットは小さく拳を握った。机の上には、魔法史と呪いに関する資料が山積みになっていて、微妙なバランスを保っている。


「あ、それよりも。さっきここに来るまでの間、変なことを言われたんですよね」


 席につき、机の中から呪いについて書いた帳面を開きながら、リネットはそう口にする。


「変なこと? 何を言われた?」


 エドガーの声色が変わったのは、リネットの身分が知られることを懸念しているのだ。

 リネットがキサレータ帝国の皇帝の元側妃だったことや、スサ小国の王族という事実は伏せられている。それはリネットの身分を悪用しようとする者がいないと言い切れないからだ。リネットの素性を知っているのはブリタとエドガーのみ。


 さらにリネットは誰かの養子になっているようだが、その誰かをよくわかっていない。ブリタは何か説明してくれたかもしれないが、魔法師にさえなれればいいと思っていたリネットはそれを聞き流していた。


 表向き、リネットはスサ小国からブリタに憧れてセーナス王国に来たことになっている。エドガーが警戒するのは、そうした背景ゆえ。


「はい。私が、恋人と一緒に暮らし始めたって……いったい、どういうことでしょう?」


 エドガーはぶほっと噴き出した。他の二人も困って顔を見合わせる。


「あぁ、ごめんごめん。そういうことにしたんだよ」


 手の甲で口を拭い、空いた手をひらひら振りながら、悪気もなくエドガーがさらっと口にした。


「そういうことにした? どういうことですか?」


 リネットにはエドガーの言葉の意味がわからない。


「いやぁ。あの団長さん、目立つでしょ? 僕と同じように顔もいいしさ。その団長が発情の呪いにかけられたから、解呪のために魔法師の女性を一人囲っていますなんて言えないでしょ? だったら、団長さんとリネットは恋人同士で、一緒に暮らし始めたっていうほうが説得力もあるし、団長さんの体面も保てるわけだ」


 エドガーの言うこともわかるし、ラウルの呪いを公にするつもりもない。

 だからって、何もリネットとラウルが恋人同士という設定にするのはいかがなものか。それを抗議すれば。


「だってさ。昨日、団長さんがリネットのことをお持ち帰りしているところをいろんな人に見られていたんだよ。だからって一夜限りの関係でもなく、君は彼の部屋で寝泊まりしているんだろう? 今朝だって濃厚なキスをしてきたんじゃないの?」

「そうなんです。あの団長さん。キスが無駄にしつこくて長いんです。おはようのキスは、唇と唇を合わせればいいはずなのに……」


 その事実を再確認するためにも、リネットは帳面をパラパラとめくる。「毎日、おはようのキスをしないと発情する呪い」は、キサレータ帝国の図書館で見つけた呪い事典に記載されていた。それを転記した帳面なのだが。


「う~ん。『おはようと言い、唇と唇を合わせるキスをする必要がある』ってしか書いていない」

「つまり、それがどの程度のキスであるかは、わかっていないわけだ」


 エドガーの指摘は正しい。唇と唇を合わせるキスと言っても、種類はさまざまである。ついばむような軽いキス。そしてラウルが二日間続けてしてきた、しつこくて濃いキス。まだ、舌をいれられなかっただけマシかもしれない。いや、舌を絡め合うような超濃厚キスをしたら、どうなるのか。


「そうですね。解呪方法も判明していませんが、緩和方法についてもこれしか書いていない。ということは、まだまだ謎の多い呪いってことですね」


 もしかしたら、キスのしつこさと緩和内容が異なるかもしれない。それであれば、今日一日、ラウルがどんな状態であったか、確認する必要もあるだろう。逆に明日は、軽いキスにしてみるとか。


「う~ん。やはり資料が足りません。ヤゴル遺跡って昔から呪術が盛んな地域だったようですが……それもあって埋蔵文化財包蔵地に指定されているんですよね。変な呪具が掘り出されて、悪用されないようにって……」

「ま、結局そこが荒らされて、呪具が悪用されたみたいだけどね。そして団長さんがたまたま巻き込まれたってだけで」


 ガタッと音を立てて、リネットは席を立った。


「私、図書館に行ってきます」

「ええ? 引きこもりリネットがここ以外に足を運ぶだなんて、天変地異の前触れかもしれない」


 お~怖い怖い、とエドガーが自分で自分の身体を抱きしめる。


「だって、ここの資料では足りないんですもん。もう少しヤゴル遺跡について調べたいので」


 今まではセーナス王国の一連の歴史を調べていた。そこにどのような呪いが関係して、どのような結果が生まれたのか。しかし、各地区の細かい歴史については、まだまだわからないことが多い。そういった各地域に特化した資料は、ここには置いていない。


 となれば図書館に頼るしかない。


「失礼ですね。私だって、今までも十日に一回くらいは図書館に通っていました」


 それは本の貸し出し期間が十日だからだ。


「でも、僕の記憶じゃ、君は四日前にも図書館に行ったばかり。その本の返却期限はまだきていない」

「エドガー先輩も、なんでそんな細かいところまで覚えているんですか!」


 十日に一回図書館に通っていると自分で口にしたリネットだが、正確には十五日に一回くらいだ。返却期限がきても、自分から図書館に向かうことはしない。たいてい図書館の係から「期限が過ぎてますよ」と催促を受けてから返却しに行く。返却したら、そのついでに借りたほうが効率もいいため、係の人から「次は期限を守ってくださいね」と言われながら本を借りる。


 その結果、リネットは返却期限を守ったことなど一度もない。しかし、催促すればきちんと本を返してくれるため、ブラックリストではなくグレーリスト辺りに名前は載っているだろう。

 係の人もリネットの顔を見るか、名前を見れば「あぁ……」と苦笑する。


 とにかく、図書館の係の者とも円満な関係が築けているはず。


「もぅ!」


 少し頬を膨らませながらも、リネットは図書館へ行くことにした。


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