第7話 毒殺(前編)
僕たちの通う和島学園高等学校では、選択科目として家庭科の授業が採用されている。本日はその時間に調理実習が実施され、2人1組でアップルパイを調理するのが課題だった。
不運にも僕は冬月さんと同じ班に割り振られてしまう。家庭科室は刃物や火気、場合によっては毒物などが大義名分で使用可能な凶器のテーマパークのようなもので、僕は体調不良を訴えて保健室に避難しようか本気で悩んでいた。
「リーダーは私に任せて貰えるかしら? これでもお菓子作りには少し自信があるの」
エプロン姿の彼女はいつもより張り切っている様子で、本当にお菓子作りが好きみたいだ。同じクラスの冬月ファンの男子生徒達は僕を恨めしそうに羨望の眼差しで見つめているが、僕からしてみたら不安でしかない。
「そういえば僕も何度か貰ったことあるね……食べた事ないけど……」
「今回は感想をレポートで提出しなければならないのだから、必ず食べて貰うわよ?」
「僕の方が白雪姫にならないことを祈るよ」
「あ……」
冬月さんは、突然何かを思いついたように口籠った。
「どうしたの?」
「もし毒リンゴを食べて眠ったら……王子さ……千秋君は、私を助けてくれるかな……って」
「ちょっと……そんな危険な検証に僕まで巻き込まないでよ? それに別のクラスだし」
「一生の不覚だわ……今日に限ってアレを家に忘れてくるだなんて……」
彼女が本気で悔しがっている様子を見て、今回は本当に毒を入れるつもりはなかったことが伝わった。とりあえず……毒殺の線は消えたようで、厄介な不安要素がひとつ減った事にホッと胸を撫で下ろした。
早速調理へ取り掛かると、冬月さんが真っ赤な林檎を手に持つだけで、有名な絵画のように被写体として完成されていた。
「やっぱり……林檎、似合うね」
僕の言葉を鼻で笑うように、彼女は得意げに語りかける。
「花守君は……白雪姫ってどんなお話だと思ってる?」
「うーん……毒リンゴを魔女に食べさせられて死んだ可哀想なお姫様を、王子様が助ける話……かな?」
「あなたらしい凡庸な解答ね。私の解釈は違う……彼女はきっと頭が良くて狡猾な女だったに違いないわ。だってそうじゃなきゃ、見ず知らずの小人たちに、短時間であれほど好かれる筈がないもの」
「それだけ心も美しかったってことじゃないですか?」
「そんなご都合主義で目に見えないもの、私は信用しない。きっと何か弱みを握ったか、裏取引があったのね。全ては彼女の計画の内だったのよ。家族に愛されないどころか、義理とは言え母親から命を狙われるだなんて、最悪な現実から目を背けたくなったのかもしれないわね。だから……真実を知った彼女は壮大な計画を立てたのよ。自らは手を下さずに母親を殺し、更には愛する男性まで手に入れられる最高のストーリーを……」
「じゃあ、実は白雪姫は悪人だったってこと……?」
僕の問いに、彼女は林檎を包丁で薄くスライスしながら答える。
「どっちだっていいわ……だけど一応、第三者から見れば彼女だって殺されそうだったんだから、正当防衛なんじゃないかしら。それでも彼女はきっと全てを知った上で、自ら進んで毒リンゴを食べた……」
「何の為に……?」
「……可哀想な女の子に、男の子は弱いのでしょう? あなただって……」
冬月さんは僕の方をチラッと見て、途中で言葉を詰まらせた。
「僕が、なに……?」
「いえ、なんでもないわ…………私は本当の意味で白雪姫にはなれなかった。だから……私は自分自身を毒リンゴにして、王子様に食べさせるという選択をしたの。これで私はずっと彼の中に居られる。忘れたくても、忘れさせてなんかあげない。それが私の愛であり、復讐なの……」
「じゃあ……冬月さんから毒リンゴを奪おうとしている僕こそがホントの白雪姫だったりして……」
「あなたのそのしぶとさと悪運の強さだけなら、白雪姫以上かもね。ところで……グラニュー糖は加熱できた?」
「うん、いい感じのキツネ色だよ」
「じゃあそこへ林檎を加えて混ぜながら水分が無くなるまで煮詰めて?」
「あ、はい……」
完成した僕たちのアップルパイは、お店の商品みたいに見事な出来栄えだった。僕は冬月さんから言われた通りに作業していただけだったけど、彼女は教え方も上手で手際も良く、先生からの評価もクラスで一番高かった。
――残すは実食のみ。
大きめにカットしたパイをフォークで一口大へと更に切り分けると、サクッという気持ちの良い音が鳴り、口へ運ぶとジュワ〜っと、林檎の甘みが舌の上で溶け出した。
「冬月さん、コレめちゃくちゃ美味しいよ!」
さっきまで得意げだった白雪姫は、少し照れくさそうに顔を逸らしていた。
「そう……良かったわね」
「毒さえ入ってなければ、今までのも食べてみたかったなぁ……」
「言ってくれれば今度……毒抜きで作ってあげるわよ……」
「ホントに!? 騙し討ちはなしだからね?」
「信じるか信じないかはあなた次第よ」
「いやそれどんな都市伝説よりも怖いんだけど……」
こうして無事に殺されかけることもなく調理実習は終了した。僕は冬月さんの新たな一面が見られた事に、少しだけ優越感のような感情を抱いていた。
でもそれも束の間……昼休みになると一気に現実へと引き戻される。
僕の机の中に手紙が入っていた。そこには「呪いの手紙――この手紙を今日中に友達5人へ送らないと死にます」と、書かれている。
…………詰んだ。
知っての通り僕に友達は5人もいない。まさかこんな殺害方法があっただなんて……いつから彼女は呪術の類まで習得していたんだろう。やはりあの人は侮れない。
「とりあえず1通は本人に返すとして……あとの4通はどうしよう……」
――こうして昼休みに、僕は友達を探しに出掛けたのだった。




