第6話 刺殺
「花守君はワニとサメ、どっちに食べられたい?」
昼休みに屋上の花壇の手入れをしていた僕の隣で、冬月さんは意味の分からない質問を突然投げかけてきた。
「はい……?」
「父にペットを飼いたいと言ったらなんでも好きな動物を選んでいいと約束してくれたから、どっちにしようか悩んでいたの」
「あの……それはつまり、僕にそのペットの餌になれと……?」
「ええ、だからそう言っているじゃない。せっかくだから選ばせてあげようと思って」
「どっちにも食べられたくありませんけど……」
「そんなワガママが通用するほど世の中は甘くないんだから、諦めて選んでおいた方が身のためよ? 死に場所くらい自分で選べた方が幸せでしょ?」
「なぜ僕の死に場所は胃袋限定の二択なの? 出来れば天寿を全うしたいのですが……」
「大切なのは長さよりも深さだと思うの。珍しい動物に食べられるなんて死に方をした人は決して多くない。凡庸な人生をこれからもダラダラと続けるより、衝撃的な死によってあなたの人生は価値あるものに昇華するはずよ」
「冬月さん……女の子にこんなこと言うのは気が引けるけど……ぶん殴っていい?」
「そうしてくれると助かるわ。警察に泣きついてあなたを牢屋に入れられれば、邪魔者は居なくなるもの」
「邪魔者って……」
「あら、言い方が気に食わなかった? それなら鼻つまみ者? でも……あなたの場合は花つまみ者かしら……」
最近になると彼女は時折このような冗談を言うようになっていた。
「上手いこと言ってやったみたいな顔しないでよ」
僕は彼女と会話を交わす機会が増えた事を単純に嬉しく思っていたけど、それも油断させる為の策略なのかもしれないと疑う心も決して忘れてはいなかった。
冬月さんはその場にちょこんと腰掛けると、柵に背中をもたれさせた。
「ところでずっと気になっていたんだけど、あなたってなぜ友達がいないの? 私からすれば、そうやって常に1人でいてくれた方が狙いやすくていいけど……」
――この話をするには、思い出したくない過去から話さなくてはいけなくなる。だから僕は必要最低限の内容だけを抜粋して話すことにした。
「そういうこと直球で聞いてくるの、すごいよね。僕の心は言葉の暴力で滅多刺しだよ」
「介錯なら任せて」
彼女は刀を握るようなジェスチャーをしていたが、流れつつあるシリアスムードを壊さないよう、僕は気にせず話を続けた。
「僕はここへ来た当初、この町に住む人達を見下してた……だから転校初日の自己紹介で『僕はいつか帰るので、ここで友達をつくる気はありません。話しかけないで下さい』って、言っちゃったんだ……」
「それは……なんと言うか、最低ね……」
「本当に最低だよね……でも、そう宣言することで、いつか本当になるかもしれないって、あの時は思ってたのかもしれない……」
「なら戻ればいいじゃない。そうすればお互い幸せでしょう?」
「それが出来たらいいんだけどね……それに今はまだしばらく、冬月さんの復讐を止めないといけないし」
「花守君は自分のやりたい事を犠牲にして、私のやりたい事を阻止しているの?」
「うーん……そうだね……冬月さんの事がなかったとしても、僕はまだあそこへ帰れない。だからそれとこれとは別問題だよ」
「やり辛くなったら嫌だから、向こうで何があったのかこれ以上は聞かないけど……この町にいる間は、私が命を狙っているんだから、気を抜かないでね……」
「……あれ、冬月さん的には僕が気を抜いてた方がいいんじゃないの?」
「そ、そうね……撤回するわ。存分に気を抜いて過ごしてね。ところで、サメとワニの話だけど……」
「どっちも嫌です」
そろそろ教室へ戻ろうと屋上の鍵を閉めていると、誰かに見られているような気がした。冬月さんはまだ隣にいるから……彼女ではないし、辺りを見回しても異変はなかった。ここ最近、常に気を張り巡らせていたから、過敏に警戒し過ぎていたのかもしれない。
「どうしたの?」
「誰かに見られてる気がしたんだけど、僕の気のせいだったみたい」
「自意識過剰なんじゃない? あなたを狙う物好きなんてこの学校では私くらいよ」
「そうですね……」
僕はこの時、冬月さんに対しての警戒が多少薄まり、油断して彼女の前を歩いて下りの階段を進んでいた。瞬時に自分が今どれだけ危険な行為を冒しているのか悟り、我に返って振り返る。
――案の定、そこにはアイスピックを持つ右手を高く掲げ、今にも振り下ろさんとしている彼女の姿があった。このままでは鋭利な凶器が僕の脳天へ直撃する。でも今から手を上げて防ごうにも間に合うかどうか分からない……後ろへ避けようにも、階段から転落する危険性すらある。僕は刺し違える覚悟で、彼女のスカートを思いっきり捲り上げた。せめて死ぬ前に冬月さんのパンツが見たかった……訳ではない。失礼、訂正します……だけではない。
――黒タイツ越しに見えた聖域は、まさに歩く世界遺産と言っても差し支えのない光景だった。
「白……」
「ぇ…………キャッ……だ、ダメっ! 見ないで! 見たら殺す!」
僕の思惑通り冬月さんは犯行を中断し、両手でひっくり返っていたスカートを慌てて押さえた。この人は確かにサイコパスだが、性的な言動や行為に対しては小学生並の抵抗力しか持ち合わせていない事を、僕はこれまでの経験でよく知っている。
「いや、見てなくても殺す気満々だったでしょ……でもこれは防ぎようのない事故と言うか、こっちは殺されるとこだったんだから、これでおあいこと言うか……でも貴重なものを見せて頂き光栄と言うか……」
「殺す……2回分……殺す……」
なんとかこの難局を乗り切ったと思われた僕だったけれど、怒りと恥じらいからか顔をリンゴのように赤くさせた涙目の彼女から睨まれ、全速力でその場から逃げた。午後からの授業で後ろからの視線が、いつもよりチクチクと刺さるように痛いと思っていたら、本当に背中を何かで突つかれていたらしい。帰宅後に確認してみると、シャツには数ヶ所、穴が空いていた。
視線と言えば、さっきは勘違いだと思っていたけど、それからもちょくちょく冬月さんではない何者かの視線を感じることが増えた。誰かに恨まれる覚えもないし、もしかしたら密かに僕へ想いを寄せる女の子でもいるのか……と、短絡的に浮かれる程度にしか考えていなかったけど、まさかこれがあんな事件に発展するとは、この時の僕はまだ知らなかった。
まぁ伏線っぽく言ってみたけど、本当に知らないだけだから、一旦本筋へ戻ろう。僕は自宅の部屋で1人、本日の刺殺未遂事件について例の黒いノートへ記入していると、以前より明らかに殺されかける頻度が減っている事に気が付いた。これは嵐の前の静けさなのか、それとも彼女が更生へと向かっている兆候なのか、どちらにせよ、まだ安心は出来ない。だって……心の傷は、目には見えないから。だからこそ完治したかどうかは誰にも判断できるものじゃない。もしかしたら一度傷ついた心は、二度と元へは戻らないのかもしれない。なら僕はせめて、絆創膏くらいには、なれているのだろうか。
翌日になると、幸運な事に冬月さんの機嫌は戻っているように感じられた。
「花守君、ライオンとクマだったらどっちに食べられたい?」
――僕は、難しい事を考えるのは辞めた。