第5話 絞殺
「花守君……ネクタイが曲がっているわ」
――まるで新婚ホヤホヤな若奥様のような発言をしながら、冬月さんは僕に近付いた。
誰もいない放課後の教室で学年一の美少女と2人きり。普通ならば嬉しいシチュエーションの筈だけど、僕の場合は違う。だから……日直当番が回ってくるこの日が億劫だった。
日直の仕事は放課後の教室の掃除と、休み時間に黒板を消したり、先生から頼まれた雑務があればそれをこなす。他の生徒は既に全員帰るか部活に行っていないのに、なぜか冬月さんだけは教室に居残り続けた。
「もう帰るだけだし、ネクタイくらいそのままでいいよ」
「いいえ、たとえどんな時でも身だしなみは整えておかないと。私が結び直してあげる……」
「じ、自分でやるからそんなことしなくていいって!」
僕がネクタイをほどいた瞬間――彼女はすかさず後ろに回り込みネクタイの両端を握って強く僕の首を縛りつけた。
「や、やっぱりそういう魂胆か……」
なんとか首とネクタイの間に指を入れて隙間を作っていた僕だったが、冬月さんから突然の膝カックンをされると、意識が上半身に集中していた為、簡単に膝から崩れ落ち尻餅をついてしまう。不利な体勢にもつれ込んでしまい、彼女は更に力を強めて締めつけてくる。僕が上を見上げると、彼女は目を瞑って歯を食いしばり必死な表情をしていた。
「冬月さん……疲れない? そろそろ一旦休憩しようよ……?」
「その手を離せば、一生休憩させてあげる……」
僕は苦しみながらもなんとか抗い続ける。
「……と、取引しない……?」
「こんなチャンスもうニ度とないかもしれないんだから……絶対、やめないわ……」
「じ、実は……今この位置からだと、その……冬月さんの下着が見えるんだけど……」
「っ……そんな嘘には引っかからないわ! どこに目がついていたらその位置から私の……パ、パンツが見えるの……!?」
「……ち、違くて……パンツじゃなくて……下からのアングルだと、セーラー服の隙間から、ブ、ブラジャーが……」
「え……」
彼女の力が少し弱まった。
「冬月さん……下着まで白なんだね……」
僕のこの発言で赤面した彼女の手は完全にネクタイから離れ、胸を隠すように両手を押し当てた。晴れて自由になった僕は慌てて距離をとる。もちろん、これは咄嗟に思いついたハッタリだった。
「た、助かった……本当は見えてないから安心して? 当てずっぽうで言ってみただけだから……」
「な……そ、それは卑怯よ……! それに……下着の色バレちゃったじゃない!」
「こっちも命がかかってるからね……毎回必死だよ……」
僕がネクタイを結び直すと、今のやり取りで完全にしわくちゃになってしまい、余計にだらしなく見えた。
「あ、これもうダメなやつだ……」
それを見た冬月さんは少しだけ申し訳なさそうに言う。
「……じゃあ、お詫びに新しいのをプレゼントするわ。これから一緒に買いにいきましょう?」
「それ……買ってすぐこうならないよね?」
「安心なさい……もうこの手は通用しないでしょ?」
彼女が凄いのは、一度使用した手口はもうニ度と使わないところだった。これまで30以上にわたる殺害方法には、ひとつとして被りがない。よくこんなにも人を殺める方法を思いつくものだと、感心すらしてしまう。
僕達は商店街の紳士服店へと向かった。小さなお店だけど品揃えは多く、冬月さんは難しい顔を浮かべている。
「花守君には、きっと大人しめの色の方が似合うわよね」
「特にこだわりとかないし、一番安いのでいいよ……」
僕はこう言ったけど、彼女はその後も店内を何周もして色んな柄のネクタイを持ってきては、それを僕の首元に当て、1人で何やらボソボソと呟いていた。
元々僕がしていたのと似た柄のネクタイを当てると、少しだけ彼女の顔が綻んだような気がした。
「これなんていいんじゃないかしら」
「う、うん、じゃあそれにするよ」
会計を済ませた彼女からそれを受け取ると、僕は気になったことを興味本位で尋ねてみる。
「なんでこんなに熱心に選んでくれたの?」
「……だって、それが花守君の死装束になるかもしれないでしょ? せっかくなら綺麗な格好で殺してあげないと不憫だから」
――この人は、ブレてなかった。
でも……女の子から初めて自分の為に選んでくれたプレゼントを貰ったことに、とても不純な動機ではあったけれど、嬉しい気持ちがない訳じゃなかった。
少々浮かれ気味な僕とは裏腹に、冬月さんは突如、顔を曇らせた。
「こういうの……千秋君ともしたかったな……」
「デートとかあんまりしなかったの……?」
「ええ……彼には部活があったし、休日は私も習い事で忙しいから……」
「そ、そっか……」
こういう時なんと声をかけるのが正解なのか、僕には全然分からない。いつもは僕の命を狙ってくる存在から、ふいに弱い部分を見せられるとどうしても戸惑ってしまう。
「花守君は、恋したことある?」
「ま、まぁ片思いしかないけど……あるにはあるよ」
「私は、千秋君が初恋だった……」
「そうなんだ……それは辛いね」
「だから……私から千秋君を奪ったあの女だけは、絶対に許せない……トラウマを植えつけさせて一生後悔させてやる」
そう力強く語った彼女の目には――光ではなく、復讐の炎がメラメラと燃え上がっていた。
「で、でもまぁ……まずは平さんのことより先に僕を殺してからじゃないと……」
「そうね……申し訳ないけど私の復讐の為には、やっぱりあなたにも死んで貰うしかないわね……」
失恋で傷心した彼女が、復讐の為にわざわざ焼身自殺を選ぶとは、なんて皮肉だろう。いつか彼女の傷が癒えた時、僕に復讐を止められて良かったと言って貰える日が来ることを、静かに願う僕だった。
「僕は……簡単には殺されないから」
「まだ私には実行に移していない花守君殺害計画が87通りほどあるけれど、それを全て凌ぎ切れるかしら?」
「これ以上思いつきませんって、言わせてみせるよ」
「ふふ……もしもそうなった時は、潔く負けを認めて諦めてあげる……」
――この時、僕は初めて会った日以来に、彼女の笑顔を見た気がした。