第37話 拗らせ姫のランデブー(おやゆび姫編2)
「嫌……だった……?」
飛鳥先輩の破壊力抜群の上目遣いは、僕の首を横に振らせる隙を与えてはくれない。
「僕、実は撮ったことないんですけど……」
「なら余計に、春人の初めて……貰ってもいい? もちろん私も初めてだから……」
周りの人に聞かれでもすれば勘違いされそうな会話のやりとりに僕はつい隠れたくなり、白い光が漏れ出るカーテンの奥へと進まざるを得なかった。
「な、なんだか不思議な空間ですね……」
「クラスの女の子たちが、よく休み時間に友達と見せ合ったりしていて、それにずっと憧れていたの……」
「僕の前の学校でも、女子はみんなやってました。でも、一緒に写るのが僕で良かったんですか?」
「ううん、春人がいいの……だって、ちゃんと形に残る思い出になるでしょう?」
「そ、そういうことなら……」
撮影が始まると、お互い初めて同士の僕たちは、ぎこちない距離感とポーズに苦戦しながら、大袈裟にも思えるフラッシュを伴うシャッターを数回に渡って浴びた。
そして迎えたラストショット――飛鳥先輩は僕の肩へおもむろに手を置くと、柔らかく生温かい感触のする何かを僕の頬へと寄せた。何が起こったのか、瞬時には理解できていなかった僕へ衝撃が走ったのは、その写真が目の前の大きな画面に映し出された瞬間だった。
――目を閉じた飛鳥先輩の唇が、僕の頬に押し付けられている。
ハッとなった僕が横を向くと、先輩は口元に手を当てながら、か細い声で言う。
「思い出、もうひとつ増やしたくて……」
僕はきっとこの先、飛鳥先輩のこの表情を、忘れることが出来ない。隠しきれない恥じらいと、それだけではないどこか愁いを含んだ瞳を見せた先輩は、僕が声を発するのを待たずして四角い箱から足早に退室した。
僕は、この出来事について言及など出来ない。出来る筈がなかった。しばらくその場で立ち尽くし、外にある落書きコーナーで先輩と合流した後も、何事もなかったかのように接した。それが正解だと、信じて疑わなかった。というか、それ以外思い浮かばなかったんだ。気の利いたセリフのひとつもひねり出せない己の経験不足を、ただただ恨むことで精一杯だった。
ゲームセンターを後にした僕たちは、多少の気まずさを抱えながら目的もなくフロアを歩いていた。時刻が11時を過ぎた頃、神妙な面持ちの飛鳥先輩が重い口を開く。
「春人……さっきはいきなり、ごめんなさい。ちょっと気持ちが高ぶってしまったというか、その場の勢いに身を任せちゃったというか……私は、春人の気持ちを知ってるのに……」
「そんな……僕の方こそ、すみませんでした……」
「春人は何も悪くないのに、なんで謝るの?」
「僕、ホント慣れてなくて……こういう時なんて言えばいいか、全然分からなくて……」
「やっぱり……迷惑だった……?」
「そんな、迷惑だなんて、そりゃあビックリはしましたけど……」
「じゃあこのことは、2人だけの秘密ってことでもいい? この写真は私が大切に保管しておくから……」
僕がそれに頷くと、少しだけ元気を取り戻したように見えた飛鳥先輩は少し早めの昼食を提案してきた。
ショッピングモール最上階の飲食店が多く集まるフロアへと移動すると、日曜日のお昼時だけあってどのお店も人でごった返していた。
「でも僕たちだけ先にお昼済ませちゃって、あの2人に後で文句言われないですかね?」
「さ、さっき連絡したから大丈夫よ!」
「え、でも飛鳥先輩、しばらくスマホ触ってなくないですか?」
「こ、細かいことはいいじゃない! さ、春人は何が食べたい!?」
不審な点が続いている気がするけれど、やはり空腹には敵わない。比較的空いており席数も多そうなカフェへ入店すると、僕はオムライス、飛鳥先輩はパスタを注文した。
「春人、オムライスが好きなの?」
「子供ですかね……叔母さんがたまに作ってくれるんです。卵がぐちゃぐちゃで見た目はそれはもう酷いんですけど、不思議と味は悪くないんですよね……」
「ふふふ……でも、花守先生が羨ましい……」
「どうしてです? 絶対飛鳥先輩の方が料理上手ですよ」
「私が料理を好きになったのは、それを食べた奈良丸が美味しいって言ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかったからなの。でも最近はそんな機会もなくなって、料理をする理由が無くなっちゃった……」
もの悲しげな先輩の表情を、これ以上見たくないと思った。
「じゃあ、もし良かったら、僕に作ってくれませんか? も、もちろんお金は払います。いつもお昼ご飯を買うのには苦労してましたし、先輩の作ったご飯が食べられるならお昼休みが楽しみになりそうだし、当たり前ですけど、気が向いた時だけでいいので!」
「本当に……? 迷惑じゃない……?」
「こちらこそ迷惑じゃなければですけど……」
飛鳥先輩は僕に今日一番の笑顔を向けながら「じゃあ最後にもう一軒だけ、私に付き合って?」と言うと、何やら時間を気にしながら食事のペースを早めた。
大急ぎで昼食を済ませると、僕は先輩にとある雑貨屋へと連れられる。先輩がそこで選んでいた物は、シンプルなデザインのランチボックスだった。
「これなんてどうかしら?」
「はい。大きさも丁度いいと思います」
「じゃあ買ってくるわね」
彼女はそれを2つ手に取ると、急ぎ足でレジへと向かう。
「待って下さい!」
堪らず僕は先輩の肩を掴んだ。
「え!? 他に気に入ったのが見つかった?」
「そうじゃなくて、これは僕に払わせて下さい。飛鳥先輩の料理の一ファンとして、ここはちゃんとしておきたいです」
「でも……」
「でもじゃありません。これは僕のワガママですから、飛鳥先輩の好意に甘える訳にはいきません。それに、僕と対等でいたいって言ったのは、先輩じゃないですか」
「春人……」
「だから、ちゃんとお金は払わせて下さい。そうじゃないと、僕だけが幸せ者過ぎます」
観念した先輩は僕へランチボックスをしぶしぶ手渡すと、しょげたように僕の一歩後ろをトボトボと歩いた。
支払いを済ませると、彼女は「ありがとう」とは言うが、目を合わせてはくれなかった。あの飛鳥先輩が珍しく拗ねている――それはぜひ映像に残したいと思える程に貴重な光景だった。
「先輩、お弁当楽しみにしてますね」
「じゃあ春人の嫌いな物を教えて? 参考にするから」
「えーっと、強いて言うなら、セロリとレバーですかね……」
「じゃあ最初のお弁当の具材は、セロリとレバーたっぷりにするから、ちゃんと美味しく完食してね?」
「そっちを参考にするんですか!? その騙し討ちはズルイですよ!」
「これでおあいこだから、異論は認めません!」
先輩は子供みたいに無邪気に笑っていた。今日ここに来られたことで、彼女と本当の意味で対等になれた気がしたのは、僕だけだったのだろうか。もしも許されるならば、そうでないことを願うばかりの僕だった。




