特別編 拗らせ姫の農泊(ねむり姫編)
これは、慌ただしく過ぎていったゴールデンウィーク中の合宿で、僕と3人のお姫様との間で起きた出来事を深堀りした物語。まず最初に、ねむり姫こと夏樹ちゃんとの思い出を、振り返ってみようと思う。
夏樹ちゃんとはこの合宿を通して、学校では見られない表情や知らなかった彼女の良いところを、多く垣間見ることが出来た。その中でも一番衝撃的かつ印象的だったのは、やはり2日目の深夜の出来事だった。
発作を起こし、部屋に籠ってしまった僕を冬月さんがささやかなレクリエーションで励ましてくれた後、僕はリビングへ戻りみんなに心配をかけてしまったことを謝罪した。飛鳥先輩も夏樹ちゃんも……全てを叔母から聞いた上で僕とは距離を置かずに、いつも通りに接してくれて、僕にはそれがどうしようもなく嬉しかった。
こうして迎えた合宿最後の夜、僕はいつもより早めに眠りについた――のだが……この日も昨晩と同じように、とある異変で目が覚める。
昨夜と同じく、部屋の扉が静かに開いたのだ。でも昨日とは明らかに違って、一切の殺気を感じない。もしかして飛鳥先輩が既成事実を作ろうと暴走を始めたのでは、などとよからぬ妄想をしていると、暗闇の中で良く通る声が響いた。
「先輩……起きてますか?」
「夏樹ちゃん!?」
僕は予想外の来訪者に驚いて、随分と情けない声を上げてしまった。
「はい……」
「ど、どうしたの? こんな遅くに……」
「春人先輩のこと……心配で眠れなくて……」
段々と暗闇にも目が慣れてくると、扉の前で立っている彼女の姿が、うっすらと見えた。
「僕はもう落ち着いたから大丈夫だよ。心配かけてごめんね……」
「あたしに何か……できることはありますか……? 春人先輩の力に、なりたいです……」
「夏樹ちゃんにはもう十分に助けて貰ってるよ。いつも早起きして手伝ってくれてありがとう」
「そうじゃなくて……園芸部としてじゃなくて……春人先輩の……その……こ、後輩として、できることはありませんか……?」
「うーん、そうだね……すぐには思いつかないけど、もし困ったことがあったら、また相談してもいいかな?」
「は、はい!」
「夏樹ちゃんも何かあったら、遠慮せずに言ってね? 僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど相談に乗るから」
「じゃ、じゃあひとつだけ……いいですか?」
「うん、もちろん」
「最近……マスターの顔が思い出せなくなってしまったんです……」
「そ、それで……?」
「春人先輩の魔力を……分けてほしくて……そうすれば思い出せるような気がして……」
「それってつまり……どういうこと?」
夏樹ちゃんは僕の問いに答えることはせずに、ノソノソとベッドに上がり、ベッドボードにもたれかかって座っていた僕の足元から侵入すると、かけ布団を掻い潜り始めた。
「ちょ、ちょっと夏樹ちゃん!?」
僕のお腹の上辺りで頭をひょっこり出すと、彼女は恥ずかしそうに顔を背けた。
「先輩の魔力、お借りします……」
狼狽えている僕の腰に腕を回し、しがみ付くように体を密着させてくるねむり姫。
「こ、これホントに意味あるの!?」
「分かりません……でも、前世の記憶では、マスターはあたしが落ち込んだ時は、いつもこうして励ましてくれました……」
「もしかして夏樹ちゃん……僕を元気づけようとしてくれたの……?」
「それもあります……」
「じゃあ、さっきのは嘘ってこと?」
「嘘じゃありません……本当に、顔が思い出せないんです……あんなに毎日妄想してたのに……」
「それは……夏樹ちゃんが今の生活に満足し始めた証拠なんじゃないかな……」
「そうだとしたら……なんか寂しいです……」
「新しい人生を歩み始めたことを、きっとマスターも喜んでるよ」
「先輩が言うなら……信じます」
「じゃ、じゃあそろそろいいかな? これ以上は僕の身が持たないから……」
「もしかして春人先輩……今えっちなこと考えてますか?」
「そ、そりゃ、多少は……だから出来れば離れてくれるとありがたいんだけど……」
「あたしはただ、春人先輩に魔力を送っているだけです……どうですか? 少しは元気、出ましたか?」
「う、うん……これ以上は夏樹ちゃんの魔力も心配だから、そろそろ……」
「そういえば先輩……あたしになんでもひとつ、お願いごとしてもいいんですよ……?」
今までなんとか耐えていたのに、この言葉で僕の身体は完全に戦闘モードになってしまった。夏樹ちゃんに気付かれる訳にはいかないと、無理やり距離をとろうとした。
「じゃ、じゃあお願いだから離れて! これ以上はたぶん理性が持たないから!」
夏樹ちゃんはサッとベッドから降りると、僕に背中を向けた。
「ふふ、早速使っちゃいましたね? もう1回は通用しませんよ? じゃああたし、そろそろ戻ります。お休みなさい……春人先輩」
そう言って、顔を隠すように出ていったねむり姫のせいで、僕はしばらく眠りにつくことが出来なかった。
――春人の部屋を出た夏樹は、扉の前でしばらく息を整える必要があった。そうしなければ、うるさすぎる心臓の音でぐっすり寝ている同室の2人を起こしてしまうのではないかと思ったからだ。茹で蛸のように真っ赤に染まった顔は、彼女がどれだけ自分を奮い立たせながら春人を元気づけようとしていたかを物語っていた。
(春人先輩……あたしのこと、ちゃんと女の子として見てくれてたんだ……)
――あの時、春人の身体がオスとして確かに反応していたことを、夏樹は微かに感じとっていた。




