第20話 焼殺
翌日の早朝――叔母は気分が悪そうに1階のソファで項垂れていた。
「また二日酔い? それで、何か収穫はあったの?」
「どいつもこいつも、男ってのは甲斐性なしばっかりだぁー……」
酒に焼けた掠れ声でいい大人が愚痴を溢す様は滑稽だったけど、ここまでくると少しかわいそうだと思ってしまう。
「何も、なかった……んだね」
「私の勝負下着は敵前逃亡の為不戦勝だよこのやろぅ……はるとぉ……いい男紹介しろぉ……」
「相手が高校生じゃ犯罪でしょ」
「うっせぇ、もうなりふり構ってらんねぇんだよぉ……」
結局、この日も農作業は僕たちに全て任せっきりにして、叔母は夕方までぐっすり眠った。かく言う僕も昨日の冬月さんの言葉が棘のように心に刺さったまま、彼女とは少しギクシャクしながらこの日の作業を終えた。
食事の支度を飛鳥さんに任せきりなのは忍びなかったから、今日の夕飯はみんなで協力してカレーを作ることになった。
「カレーのお肉は豚肉でいいよね?」
「は? カレーといえば鶏肉に決まってるでしょ?」
冬月さんは、まるでゴミでも見るかのような蔑みの視線を僕へ送っていた。
「……飛鳥先輩はどうですか?」
「ごめんね春人……私もどちらかと言うとチキンカレー派なの……」
そのやりとりを聞いていた夏樹ちゃんはぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を上げた。
「はい! はい! あたしは春人先輩と一緒で豚肉派です!」
「意見が分かれてしまったわね……そうだ、せっかくだから2種類作っちゃいましょうか?」
飛鳥先輩のこの提案で、チームを2つに分けて料理をすることになった。勝ち誇った顔の冬月さんは、もうひとつ条件を追加してくる。
「そうと決まれば、勝負をしましょう? 花守先生にどちらのカレーが美味しかったか採点してもらって、負けたチームは勝ったチームの言うことをなんでも1つ聞くの」
「そ、そんな後出しズルイです! それならあたしだって、春人先輩と別のチームが良かったです!」
夏樹ちゃんが抗議をすると、冬月さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「もちろん風間さんも、今からでもこっちのチームへ来てもいいわよ? 歓迎するわ」
白雪姫と僕とを天秤にかけるように交互に見つめたねむり姫は、華麗に僕を裏切った。
「すみません春人先輩……今日からあたしは、チキンカレー派です!」
こうして……なぜか僕は1人になってしまった。それなら僕もチキンカレーでも良かったんだけど、今さら言い出しにくい雰囲気になっていたし、楽しそうにキッチンに立つお姫様たちの姿を見たら、反論するのは野暮だと思った。
――そして、いざ実食。
「うぅん……どっちもすごく美味しかったわぁ。ご馳走様でした」
まるで妊婦のように膨れたお腹をさすりながら満足げな顔を浮かべる叔母へ、夏樹ちゃんが気になる勝敗を確認する。
「それで花守先生、どっちの方が美味しかったですか?」
公平を期すために、2種類のカレーを誰が作ったかは叔母には伏せていた。
「どっちも美味しかったけど、こっちのは本格的で、まるでお店の味って感じだったわね……」
叔母がチキンカレーを指さすと、3人の姫は嬉しそうに顔を見合わせた。だが、叔母の品評はまだ続いていた。
「……でも、やっぱり食べ慣れてる方が個人的には落ち着くし好みだから、敢えて順位をつけるとするなら……こっちかな!」
叔母は、僕の作ったポークカレーを選んだ。こうなることは、なんとなく予想がついていた。なぜなら僕は祖父が作ってくれるカレーを忠実に再現していたからだ。これは僕の勝利ではなく、審査員に叔母を選んだ冬月さんの敗北と言って良かった。
肩を落とす白雪姫は僕を一瞬睨みつけると、やけ食いするようにカレーをもぐもぐと頬張り始めた。
みんなより一足先に夕飯を食べ終わっていた僕は、お風呂へ入ることにした。僕が湯船に浸かって2日間の疲れを癒していると、浴室の扉が勢いよく開いた。ま、まさか飛鳥先輩が僕の背中を流しに来たのか……と、期待と不安が同居していた僕の幻想は、一瞬にして砕かれる。
――入ってきたのは、オバさんだった。
「あんたいつまで入ってんの。男の長風呂は嫌われるわよ」
「ちょっと! だからって入ってこないでよ!」
「あんたが小さい頃はよく一緒に入ってたでしょうが。ほら、私もまだまだイケると思わない? この魅力に気付かない男が馬鹿なのよ」
叔母は鏡の前でポーズを決めていた。まぁ、歳の割にはそこそこのナイスバディだった。
「僕、先に上がるから!」
「背中流してくんないの? せっかくあんたの作ったカレー選んであげたのに」
「やっぱり、分かってたんだ……」
「そりゃあね……家族だもの」
「ありがとう、叔母さん……」
「だから叔母さんはやめろっつってんだろ、先生もしくはお姉さんと呼びな」
僕が風呂場を出てリビングへ戻ると、閉まっていたカーテンのそばで、姫たちが何やらコソコソとしていた。
「みんなでなにしてたの?」
僕がそう尋ねると、飛鳥さんは嬉しそうに僕の手を引いて窓のそばまで連れて行く。
「ここへ来てから合宿っぽいこと何もしてなかったでしょ? それで雪乃ちゃんの提案でね……最後の夜だから、どうせなら春人を驚かせようって……」
冬月さんと夏樹ちゃんが一斉にカーテンを開けると、庭で轟轟と燃え盛るキャンプファイヤーが姿を現した。
――僕は、思わず言葉を失った。
綺麗だと感動した訳でも、圧倒された訳でもない。ただただ恐ろしかった。そしてその感情がピークに到達すると、僕は息が苦しくなって、めまいがして、聞くに堪えないであろう叫び声を上げると、その場で崩れ落ちてしまう。
「は、春人どうしたの!?」
「……!」
「春人先輩!!」
正常な判断が出来なくなった僕は、駆け寄ってくるみんなの手を振り払いながら、逃げるように自室へと向かった。
女子部員たちは何が起こったのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた――そこへ風呂上がりの春人の叔母が騒ぎを聞いて駆けつける。彼女は窓の奥で激しく燃える炎を見て、全てを悟った。
「あぁ……ごめん、みんなには伝えとけば良かったかな……春人は火に、因縁があるの」
「……春人先輩の怯えようは尋常じゃありませんでした。先生、春人先輩には何があったんですか?」
彼女らの不安そうな表情を見た春人の叔母は、しばし悩んだ末に問いかけた。
「今からする話はあんまり気分のいいものじゃないけど、それでも聞きたい?」
園芸部の姫たちは、固唾をのみ無言で首を縦に振った。
「あなたたちになら、話しても大丈夫そうね……どうか春人の力に、なってやってほしい。私の兄――つまり春人の父親はね、今、刑務所にいるの」
「「「…………!!…………」」」
衝撃の事実に3人の姫たちは絶句する。
あんぐりと口を開けて固まる他の2人を見て、年長の自分がしっかりしなくてはと思い最初に冷静さを取り戻した飛鳥が口を開く。
「春人のお父さんは、何をしてしまったんですか……?」
「……自分の家に火をつけたの。それも、春人が中に居ると分かっていながら……」
――春人の叔母は、神妙な面持ちで彼があの町へ越してきた詳しい経緯を続けた。




